五ヶ瀬川の畳堤(五ヶ瀬川の畳堤を守る会)


投稿:2006.06.27
【延岡・日向エリア】 【観光スポット】 【マニアック】 【活動】 【地域】 【カルチャー】 【文化】

「先人達の知恵を後世に!」かつての延岡市民の防災意識の高さをひもとくカギとなる五ヶ瀬川堤防の上にある、高さ60cm程度のコンクリートでできたアーチ状の物体『畳堤』の秘密をさぐる!

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)

 しかし雨の日が続きますね……。これから秋にかけては台風による災害の心配もしなければなりません。特に延岡市は河川が多いので、他地域よりも水害に対する防災意識を日頃より高めておかなければなりません。
 そこで今回は、水郷延岡の貴重な文化であり、水害との戦いの歴史を物語る貴重な資料として今も残る「畳堤」について詳しくレポートしてみました。
  ところでみなさんは「畳堤(たたみてい)」の存在をご存知ですか?延岡市川中地区付近の五ヶ瀬川堤防上にある、高さ60cm程度のコンクリートでできたアーチ状の物体(画像参照)のことを「たたみてい」と呼ぶのですが、それが北町あたりから船倉町に架かる五ヶ瀬橋より150mほど下流まで連なっています。遠くから見ると堤防の飾りか、手すりのようにも見えますが、今となっては、いったい何のために存在しているものなのか知らない方も少なくないと思われます。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)

 実はこの「畳堤」は、過去において何度も水害に見舞われてきたこの地区の人々が「水害から身を守るため」に、昭和初期(推測)に設置したもので、中央にある隙間に畳を差し込み水の浸入を防いでいたのだそうです(水を吸収すると畳は強度を増すそうです)。
 ちなみに、全国でも「畳堤」と名のつくものは、延岡市の五ヶ瀬川、岐阜県の長良川、兵庫県の損保川でしか確認されておらず、中でも五ヶ瀬川の「畳堤」が“日本で最初”と推測されているそうです。私も「畳堤」の存在は話には聞いていたものの、その歴史や製作意図などを詳しく調べたことはありませんでしたので、今回の取材を機会に特に深く掘り下げてみました。
(レポート:松田秀人)

レポート協力及び参考資料提供「五ヶ瀬川の畳堤を守る会」

西本師子さん(五ヶ瀬川の畳堤を守る会会長)
参考:畳で街を守る(冊子)
発行・製作 : 国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所
編集・製作 : 西本師子・五ヶ瀬川の畳堤を守る会・北町区

畳で街を守る【動画】

URL:http://www.pawanavi.com/?p=12286

 

五ヶ瀬川の畳堤がある場所

ルートを検索

▲上記マークの付近一帯に設置されています。

 

レポート協力及び参考資料

 畳堤は向こう三軒両隣が力を合わせて自分達の生命を守ろうとした証しなんです。そして防災のあり方を考えさせてくれる歴史遺産でもあります。
西本師子さん (五ヶ瀬川の畳堤を守る会会長)

 延岡市川中地区に在住する西本師子さん。上記でも書いたように、昔から水害に悩まされる事の多い地区でもあり、特にこの地区で生活を営む人々は水害に関して敏感であったと思われます。しかし、そんな西本さんですら「畳堤」の歴史はずいぶん後になるまで知らなかったそうです。
 そんな西本さんが「畳堤」についての詳細を耳にするきっかけとなったのは、今から16年前のこと。当時の北町の区長さんと何気なく「畳堤」に腰掛けて雑談をしている時に、地元の水害と畳堤の歴史を区長さんが語られたそうです。そしてその時、西本さんは「先人達の知恵を後世にのこさなければならない」と思い、様々な情報収集をはじめたそうです。
 それから10年。「畳堤」の歴史をまとめた調査書を作成し、平成13年の記念碑(北町)建設後、「五ヶ瀬川の畳堤を守る会」を結成したそうです。またこの年の7月に東京で開催された、全国の川および川づくりに取り組んでいる団体または個人を対象に行われている「第4回・川の日ワークショップ」では「いい川づくり部門」で「五ヶ瀬川・畳堤」が準グランプリを獲得し、翌年の平成14年には「国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所」の協力のもと「畳で街を守る」と題した冊子を作成されました。冊子のなかで、西本さんはこのように語っています。

「堤防は、河川の氾濫を防いでくれる川の砦のようなものです。その砦の材料に身近な『畳』を使う『畳堤』の発想は、どこかユーモラスで奇想天外、まさに発想の転換です。しかも、いざという時だけ即席堤防が出来上がる仕組みを生み出した知恵、そして工夫の見事さにも驚かされます。第一安上がりで、用済みになっても語り継がれる古い遺構の見本のような存在です」

 また今年3月には「五ヶ瀬川の畳堤を守る会」で企画立案した「畳で街を守ったおはなし」と題する紙芝居が完成したそうです。この紙芝居は「枠」が「畳堤」の模型になっており、畳を差し込む様子などをわかりやすく説明できるようになっているそうです。
「畳堤は向こう三軒両隣が力を合わせて自分達の生命を守ろうとした証しなんです。そして防災のあり方を考えさせてくれる歴史遺産でもあります」と西本さん。
 また「地元の文化を後世に伝えるためには、そのものの歴史的価値を理解し、地域と行政がひとつになって守っていくことが大切です」との言葉どおり、冊子「畳で街を守る」のサブタイトルには「それは地域と行政の新たな取組みだった」と記されています。現在も防災関連の行事などに積極的に参加されていらっしゃいますが、今後は、畳堤を後世にしっかりと伝える事ができる後継者を育てたいとおっしゃっていました。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)

▲左:西本師子さんと冊子 右:西本さんが撮影した畳堤

畳で街を守る(冊子)

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

発行・製作 : 国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所
編集・製作 : 西本師子・五ヶ瀬川の畳堤を守る会・北町区
 このレポート内の「畳堤」に関する画像や文章などは、上記の冊子「畳で街を守る」より抜粋させていただきました。歴史的な資料や地図、さらに細かいレポートなどがわかりやすく紹介されているので、是非一度読んでいただきたいと思います。尚、この冊子に興味のある方は「国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所調査第1課」にお問い合わせくださいとの事でした。

 

■冊子に関するお問い合わせはこちら

国土交通省九州地方整備局
延岡河川国道事務所 調査第1課
〒882-0803 延岡市大貫町1丁目2889
TEL 0982-31-1155~8
FAX 0982-22-0489

 

冊子「畳で街を守る」より

 ここからは、上記でご紹介しました、冊子「畳で街を守る」の中から、「畳堤」に関する資料の一部をご紹介したいと思います。ちなみに文章も短くまとめてありますので、詳細につきましては、ぜひ冊子をご覧ください。

大瀬川と五ヶ瀬川にはさまれた川中地区

 下の図のように、全国的にも珍しい「畳堤」を確認できる延岡市の川中地区は、大瀬川と五ヶ瀬川に挟まれた真ん中のデルタ地区です。延岡市では有名な「城山」もこの地区にあります。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲川中地区の概要図(畳で街を守るより)

 

畳堤とは

 高さ60cmの高覧(橋に設置されている手すり)に似たコンクリート製の堤防で、上から見ると幅7cmの隙間があります。この隙間に畳をスッポリとはめ込み、川の水が堤防を越えるのを防ぎました。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲畳堤の詳細図(畳で街を守るより)

 地元の人々は昔から「高覧」と呼んでいたそうですが、正式名称は特殊堤防「畳堤」です。しかし「畳」といっても、様々な種類のものがあり、寸法も異なります。いろいろと調べた結果、当時一般家庭で使用されていたと思われる畳が「畳堤」にピッタリおさまりました。この事からも、地元住民自らが我が家の畳を持ち出して、洪水を防いでいたと考えられます。何かといえば行政にたよりがちな現在において、住民一人ひとりの防災意識の有り方を示唆した事例ではないでしょうか。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲実演風景(畳で街を守るより)

 そしてデザイン的にも、「和」を感じさせる、しゃれた扇形をしており、中央部に空間があるため、平常時には橋の高覧のようにも見え、風景の見通しもよくなっています。さらに、構造力学的にも優れた、鉄筋コンクリートによるラーメン構造(ドイツ語で枠をラーメンといい、柱+梁溝の枠組みの隅角部を固定した構造)をなしています。一般的にコンクリート構造物を施工する際、型枠をつくり、流動性の高いコンクリートを流し込み、固めて完成します。ところが、前記の扇形の型枠を組むとなると非常に手間がかかります。当時構造物としては珍しく、大変貴重な工法によるものです。

 

どこに設置されていたか?

 現存している「畳堤」は延岡市街地の船倉町、紺屋町、中央通の一部、祇園町の一部、北町の五ヶ瀬川沿いの堤防です。延べ980mがいまだに残っています。昔は大瀬川沿いにも設置されており、総延長は2,000mに及び、全部に畳をはめ込んだとしたら、約1,000枚の畳が必要になります。

 

いつ頃造られたのか?

 五ヶ瀬川の大改修工事は、大正8年に五ヶ瀬川が準用河川(市町村が指定する公共の利害に重要な関係がある河川)になってから、中小河川改修として宮崎県によって行われてきました。その後、昭和26年に国が直接工事や管理を行う河川に編入され現在に至っています。しかし、現在では「畳堤」に関する文献は見当たりません。このため、一般から資料などを募ったところ「畳堤」堤防の竣工式の写真(下画像)が寄せられました。ただ日付が記入されていないため、何年ごろのものか不明です。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲「畳で街を守る」に掲載された竣工式の記念写真
(甲斐正人さん提供)

 また、昔唯一の輸送手段だった帆掛け舟の浮かぶ大瀬川の写真が「ふるさとの思い出写真集」に掲載されていますが、この中に川沿いにある「畳堤」を見る事ができます。写真の説明文は昭和初期となっています。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲「畳で街を守る」に掲載された昭和初期の大瀬川。「ふるさとの思い出写真集」に掲載されていた写真

 また、当時発行されていた地元紙「延岡新聞」の昭和9年4月6日付の、須崎橋竣工の特集記事に、大瀬川左岸の「畳堤」が写されています。これにより、「畳堤」の設置が昭和初期であることがわかりました。全国に五ヶ瀬川を含めて3つの河川に「畳堤」が存在しています。その中で五ヶ瀬川の「畳堤」が最も古いと推察されています。

 記録によれば、昭和26年当時の文化人や見識者による「明治、大正、昭和三代に亘る延岡を語る座談会」記録から、昭和18年には未曾有の大洪水がありましたが、その時、川中地区の区長をされていた向井耕作さんの談話の記録に、「見回りで行った地区で畳で水の防御対策をとった」とあります。

 

なぜこのような工法が考案されたのか?

 

(1)方財と洪水

 水郷延岡と称されるように延岡市内には、五ヶ瀬川、大瀬川、祝子川、北川の四つの大きな川が流れています。五ヶ瀬川の降水の原因は台風が殆どで「台風性河川」と一般に呼ばれています。台風が接近すると日向灘の湿った空気が一気に九州山地に吹き寄せて、急激に雲が発生し、豪雨をもたらすために洪水が頻繁に発生します。五ヶ瀬川流域に降った豪雨は一気に延岡市内に流れ込み、大きな被害を度々出しています。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲五ヶ瀬川の洪水について:畳で街を守るより

 延岡市街部の河川氾濫と海際に位置する方財町(大瀬川河口部)とは密接な関係があります。現在の地形とは異なる当時の航空写真(下記)をもとに、延岡市内の昔の河川氾濫状況を調べると、大瀬川が方財のところで北上し、東海付近で五ヶ瀬川と合流。さらに南下してきた友内川、北川に合流して日向灘に注いでいました。そのため一度豪雨が降ると、4つの川の水が一気に河口に流れこむことになってしまいます。しかし、河口が小さいため、流水は膨れ上がり、堰上げ現象(流水が止まってしまい、水かさが増すことによって起こる逆流現 象)が発生して、水が逆流し、市街地は洪水の危機にさらされたのです。昭和42年からはじまった「方財締切り工事/昭和44年完成」と鷺島橋の架設により 「毛なし浜」を通る以外のルートが確保されたため、毛なし浜の開削が可能となり、大瀬川は現在のルートを流れるようになりました。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲「畳で街を守る」に掲載された昭和35年7月の大瀬川河口部。毛なし浜がつながり、道路がみえる。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

▲「畳で街を守る」に掲載された平成13年9月の大瀬川河口部。毛なし浜が開削され、左側に鷺島橋が架かっているのが見える。

 

(2)毛なし浜を切ってくれ

 昭和42年以前は、洪水の時に大瀬川河口の方財町の砂州、通称「毛なし浜」を開削(土地を切り開いて道路や運河などを通すこと)しました。つまり膨れ上がった大瀬川の水を、毛なし浜を切って海に放し、市街地に逆流する河川の水位を下げるための作業が行われたのです。
 この作業をする前に、常に市街地と下流の「毛なし浜」のある方財町との駆け引きがありました。上流の人たちからすると一刻も早く開削してほしいのですが、方財町の住民はそう簡単に引き受けられませんでした。一度開削すると生活用道路が遮断されて方財町は島となり孤立状態になります。さらに人力で水道をつくる開削作業は「命がけの作業」でもあったのです。
 こうした市街地と方財町の住民とのやりとりのなかで、市街地の人たちは、ハラハラしながら膨れ上がっていく河川水位の状態を見守っていました……。
 実は、毛なし浜開削を方財町から承諾してもらうまでの僅かな時間が問題だったのです。そこで考案されたのが「畳堤」ではないかと推察されます。
「畳堤」は一時しのぎのために考案されたものです。たしかに「畳堤」の構造では急流河川である五ヶ瀬川に耐え得るものではなく、堰上げした水位から受ける水圧に、長時間耐えることが出来るか疑問がのこります。

 

延岡の主な水害

・昭和18年9月・・・・・(豪雨)
・昭和29年9月・・・・・(台風12号)
・昭和46年8月・・・・・(台風23号)
・昭和57年8月・・・・・(台風13号)
・平成5年8月・・・・・(台風7号)
・平成9年9月・・・・・(台風19号)
・平成14年9月・・・・・(台風14号)

 

畳堤画像

(平成18年6月27日撮影:松田秀人)

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

 私も、「なんとなく」しか見ていなかった「畳堤」でしたが、このような歴史やドラマがあったことを始めて知ることができました。今回の取材では西本さんといろいろなお話をさせてもらいましたが、いつの時代になっても「自分が今おかれた環境を熟知し、身近にあるものを使い、アイデアと工夫で苦境をのりこえる!」という意識を忘れてはならないということをあらためて感じることができました。
 そして実用性だけでなく、日々人々の目に触れる事を考慮し、景観を崩さないようなデザインになっている事に驚きました。さらに、「何かといえば行政にたよりがちな現在において、住民一人ひとりの防災意識の有り方を示唆した事例ではないでしょうか?」という部分に関しては、昨年の台風災害の例や、これからやってくる台風シーズンの事を考えると、恥ずかしながら言葉がありませんでした……。
「畳堤」が完成した当時は、もちろん「防災コミュニケーション」などといった言葉は無かったと思いますが、「畳堤」はそうした役割を充分に果たしていたと考えられます。先人達がのこした「畳堤」には実に多くのメッセージが込められています。今回の取材をきっかけに、私も自分や近隣住民とできる「防災」についても考えようと思います。

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る五ヶ瀬川の畳堤(畳堤を守る会)〜書籍・畳で街を守る

 今回のレポートにご協力いただきました、西本師子さんをはじめ、国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所調査第1課の皆様、貴重な資料やご解説をいただき誠にありがとうございました。

 


pawanavi Since 2001.01.24|Renewal 2012.07.23 Copyright - (C) 2001-2016All Rights Reserved