ファームカノン


投稿:2009.02.18
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生命力あふれる「最高に美味い豚肉」を生み出す〜響きあう農場・farmcanon (ファームカノン) 栗山素幸さん

ファームカノン・栗山素幸

 五ヶ瀬町三ヶ所地区で農業(養豚農家)を営む、東京は「浅草」出身の栗山素幸さん(38歳)。南国宮崎とはいえ「日本最南端」に位置する『五ヶ瀬ハイランドスキー場』があることで知られる『五ヶ瀬町』の冬の寒さは厳しい。

 刺すような寒さが身にしみる2月の早朝。栗山さんは食欲旺盛な豚たちに餌を与え、午前中は堆肥作りや床の管理を入念に行い、様々な雑仕事をこなし、夕刻になるころ再び豚たちに餌を与える。どんなに寒い夜であっても、出産日には一晩中「つきっきり」で手助けをし、出荷日には前日から準備を整え、翌日は五ヶ瀬町から日向市にある「と畜場」を往復する。あと少しの辛抱で「春」が訪れるのだが、暖かくなれば畑仕事や田植え、草刈りの仕事が増える。農家の一日は忙しい。

 「養豚家と言われるのは抵抗があるんですよ!」と栗山さんは屈託なく笑う。『farmcanon (ファームカノン)』は、特殊な農場だ。一般的な養豚農家は通常、一千頭から一万頭を養い、月ごとの出荷頭数は数百頭という。それ以下は小規模といえるが、なんとファームカノンが養っているのは、わずか百頭ばかり。ちなみに月ごとの出荷頭数は多いときでも五、六頭だという……。その特殊性は、栗山さんの理想とする“響きあう農場”に起因する。その中で「最高に美味い豚肉」が生み出されていく。

ファームカノン・栗山素幸ファームカノン・栗山素幸

 浅草生まれの栗山さんが、なぜ便利な都会暮らしを捨て五ヶ瀬町で豚を育てているのか?そして『 farmcanon (ファームカノン)』が目指す“響きあう農場”とは?朝から夕方まで農場での仕事を追い、様々な話を聞いているうちに、栗山さんの挑戦がこの混迷の時代にあって「私たちに新たな道を示してくれるものではないか?」と感じられた。
(レポート:藤木テツロー)

farmcanon (ファームカノン)

住所:宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所11023
電話:0982-73-5488
URL:http://farmcanon.jp/

 

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インタビュー 〜 栗山素幸さん

 ファームカノン・栗山素幸

 

Q:farmcanon(ファームカノン)という名前の由来は?

「farmcanon(ファームカノン)は、ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)作曲の『カノン』からとりました。この曲は、最初は奏者が一人で奏でるのですが、次々に奏者が増えて音がだんだんと響きあっていきます。その曲調のように『ファームカノン』も様々なものと響きあうことを理想としています。人と響きあう、農場と響きあう、宇宙のリズムと響きあう。そういう願いをこめて名づけました。それと、僕が浅草生まれなので雷門にある風神・雷神像にちなみました。その二体の像の口の形が『あ』と『ん』なので、僕の農場も『ふぁ』で始まり『ん』で終わる形にしました。始まりは終わり、終わりは始まり、という永遠循環を表しています。『阿吽の呼吸』で響きあうという意味も含まれています。また、farmcanon(ファームカノン)の「f」を小文字で表しているのは小さな農場がたくさん集まって響きあうことによって成り立っていく様があってもいいんじゃないかと思ったからです。真ん中のCは沈静の月を表しています」

ファームカノン・外観

 

 Q:農業を始めたきっかけは?

「生きるってなんだろう?生きる根源って何だろう?って、考えた時に、それに近づける職業として農業を考えていたんです。けれども、周りには誰もやってる人がいなかった(東京では)ので、特にどうすることもできず、当時は母の小料理屋を手伝ったり、ビルからぶらさがって窓拭のアルバイトをしながら、日々、悶々としていました。あるとき”黒豚しゃぶしゃぶ”とその黒豚を利用した堆肥で作った有機野菜を試食する会に参加しました。その時にその黒豚と豆腐、それと大根のスライスを食べて、雷に打たれたように魂が震えたんです。もともと母が、飲食店をやっていましたし、手伝いなどもしていたので、野菜やお肉に関しては一般の方よりは、詳しかったと思うのですが、その会で食べた野菜や黒豚は別格に美味しかったのです。何でこんなシンプルな料理で人に感動を与えられるのだろうって思いました。黒豚はしゃぶしゃぶするだけ。豆腐はそのまま。大根はスライスしただけのものでした。それでも、物凄く感動しました。その時、強烈に自分でも作ってみたいと思ったんです。それから直ぐに、養豚をさせてもらえる場所を関東で探したのですが、いい土地がなかったんですよ……。そしたらたまたま義父が、”畜舎も家も五ヶ瀬町にあるよ”というので、生活や環境の変化などといった細かい事などとにかく気にせず”やってみよう”と思いました。それが2001年の4月です。当時、僕は30歳でした」

ファームカノン・栗山素幸ファームカノン・イメージ

▲阿蘇地方の原種の大豆。祖父の山からでる湧き水で味噌をつくる。

 

Q:東京を離れ、五ヶ瀬町で農業をやることに不安はなかったか?

「農業は全くやったことがないし、豚も見たことがなかったので不安だったけど、どうしてもやりたかった。もうイチかバチかですよ(笑)だって、一般的な養豚農家は数万頭から数千頭の単位で育成するんですよ!それなのに僕は、育成方法はおろか、農家の経営全般についても全く分かりませんでしたし、例えば、餌のつくりかたや交配させて、出産させて、出荷するまでの細かい技術もわかりませんでした……。でも、知らなかったからこそ、発酵する床の上で飼うという、堆肥づくりと密着した自分ならではの新しい豚の育成方法がつくれたのかもしれません。」

ファームカノン・作業風景ファームカノン・風景

ファームカノン・風景ファームカノン・風景

 

農業を始めてから八年を振りかえる

「この八年間、辛すぎてあんまり覚えてないぐらいです。あはははは!最初は、四苦八苦しました。この農場自体が、二十数年間ほったからしにしてあった場所なので、まず開拓することから始めないといけませんでした。それをしつつ、豚の知識を得ながら育てていくっていうのが肉体的にも経済的にもきつかったし、誰も知っている人がいなかったから孤独でした。それと自分の理想として、全く薬を使わずに生命力のある豚を育てたかったし、生命力のある作物を作りたかった……そして、それらの生命力を生み出す源である土づくりをしたかったのです。薬やら消毒やら農薬やら抗生物質をのませたり、ワクチンを打ったりするっていう方向にはどうしてもいきたくなかったんですよね。だから、それを確立するまではしんどい時期がかなりありました。大きい台風が来た時に、養っている豚の半分から三分の一が死んだこともあったんですよ。畜舎の中に水が入って、一メートルもある床がズブズブの沼状態になりました……そうしたらいっぺんに豚が病気になってしまって……。ただただ落胆するばかりの日々でした。もう何回も”やめよう”とも思いましたし、お酒を飲んでふてくされていた時期もありましたよ(笑)」

ファームカノン・風景ファームカノン・風景

ファームカノン・風景ファームカノン・風景

 

Q:豚が半数近く死滅するという壊滅的といえる状態を体験をしても、薬を使いたくないという理由は?

「やはりそれは”薬がなきゃ生きていけないような豚”を、はたして人が食べて本当に健康になるのだろうか?その豚の糞尿で作った堆肥が本当に土を活性化させて生命力あふれるものできるのか?僕には疑問なんですよね……。つまり、生命力を高めることにはならないんじゃないかな?って思うんです。もしかしたら、科学的な数値ではみえないことなのかもしれないけど、その目にみえないものが大切だと思うんです。薬や農薬は目に見えない生命を殺していることになりますよね。例えば堆肥を消毒してしまったら、物凄い数の微生物を殺すことになる。本当は彼らが有機物を分解し、堆肥化してくれているわけです。土の中で微生物が動いて、作物を生み出しているんですよね。命を殺して生命力が高まるとは思えないんです。大切なのは”命”だと思うんです。もちろん、僕にも未熟な点はいっぱいありますよ。調子悪くなった豚をどうするのか?獣医を頼むだけの経済的な余裕はあるのか?とか、色々あるじゃないですか……。でも、できる範囲内で豚の自然治癒力や抵抗力を高めていきたい。命を基とする農業が大切だと思っています」

ファームカノン・風景ファームカノン・外観

 

餌に対する想い

「豚は贅沢な生きもので、草だけでは育てられません。パン、大豆かす、麦、とうもろこし、ふすま(麦の皮)、魚粉、茶葉をベースに、竹の子と昆布の粉末、自家製のさつま芋、かぼちゃ、草、竹の子、稲藁、茄子農家の商品にならなかった茄子などを自家配合して与えています。飲み水は、山の湧き水をセラミックを通して活性化させたものを与えています。餌に関しては、まだ納得のいかない部分がありますが、今やれることはここまでです。現状はネイティブアメリカンが大切にしてきた地下水を汲み上げて莫大に与えて作るとうもろこしに頼らざるえない部分があるのですが、もっと違う部分があってもいいと思います。出来る範囲内で放棄された田畑を耕して作物を作る。社会から出る残渣類をうまく活用する。技術だと思うんです。餌化するための技術。小さな農場がいかに自然と響きあって成立するかが一番の課題です。かといって自分で全部作物を作ったとしても微々たるものです。人を雇って作物を作るには、経済的に厳しいものがある。大規模農家じゃなくても、小さな農場で響きあってそれをやれるのが理想ですよね。極論に走るのは難しいけれど、理想の餌に近づける道はあるんじゃないかと思います」

ファームカノン・栗山素幸ファームカノン・栗山夫人

 

Q:栗山さんのつくる堆肥はとても良質だという評判だが

様々なトラブルが重なり、どういうふうにしたらいいんだろう?どういうふうに豚と一緒に生きていったらいいだろう?って、そんな事ばかり考える時期が続いたのですが、それと平行して行ってきた”堆肥作り”の技術が高まっていきました。ある日、町内で有名なお茶農家の宮崎さんが訪ねてきてくれて堆肥を茶園で使ってくださることになったのです。そこで好評をいただき、さらに自分でも使ってみて”これなら”と手ごたえを感じました。そんなことから、あるとき”県の品評会にだしてみよう”というになったんです。するとそこでありがたい事に、県知事賞と九州農政局長賞を戴き、さらに近隣の農家や個人の方へと広がりました。もともと僕は、健康な豚を育てるためにどうしても健康で品質のよい茶葉を食べさせたかったので、宮崎さんとの出会いは大きかったですね!今では、豚の堆肥で茶葉を育て、茶葉で育った豚が堆肥を作るという循環ができて、本当に宮崎さんには感謝しています。」

ファームカノン・イメージファームカノン・イメージ

ファームカノン・風景ファームカノン・風景

 

Q:その堆肥はどのようにしてつくられるのか?

「五ヶ瀬町からでる木の皮、落ち葉、もみ殻、のこくず、あらゆる有機物を床に一メートルほど積み上げます。その上で、豚が餌を食べて、糞尿をして、走り回る。それを僕が機械で上下に混ぜる。豚の力が半分、人の力が半分で堆肥を一緒に作り上げています。コンクリートの上で育てないのは、大地の力、目に見えないエネルギーを信じているからです」

ファームカノン・イメージファームカノン・イメージ

ファームカノン・作業風景ファームカノン・作業風景

ファームカノン・堆肥

▲大評判の堆肥

 

Q:現在、納得のいく仕事ができているか?

「知れば知るほど、ますます分からなくなりました……。技術に関しても、これは違うんじゃないかと思う部分もあるし、流通にしても、経営にしても、未熟な部分がますます見えてきましたね……。できればそういう壁をのり越えて、また一歩先に進みたいですね。そうじゃないと、僕みたいに小さな農業者は本当に生命力のあるものを世に伝えられません。続けていくのも難しいです。僕の理想は、生産から販売まで一つの輪で結ぶことですね。自分のところで製品化して、買いやすい形にしてから届けるようにする。そうでなければ、今ある仕組みの中で大量に生産する農業をやらなければいけない。もちろん、やりようによっては宮崎さんちのお茶のように、量もあるし、品質もいいというものも作れるとは思いますが、家畜の場合は、たくさん養うとなると、餌も膨大な量が必要だし、糞尿も膨大な量です。果たして、それを農地に還元してバランスがとれるのかということは、考えないといけないと思います」

ファームカノン・風景ファームカノン・風景

 

Q:そのバランスとは?

「ヨーロッパの最高峰の有機農法と指示されているバイオダイナミック農法を確立したシュタイナーの言葉に、『その農地に必要な家畜の数は、その農地で収穫できる作物で育てられる量が適切だ』と、あります。しかし、それをそのまま今の農業にあてはめると非常に難しい……。それは経済活動が成り立たなくなるからです。今は、そこを目標に置きつつも、どれくらいの家畜の数で農地とバランスがとれるのかを模索しているところです。堆肥は必要だし、家畜も必要。だけれども、膨大な数は必用ではないと思うんですよ」

ファームカノン・採れたての野菜ファームカノン・食事風景

▲この日の、昼ご飯。五ヶ瀬のおにぎり、畑で採れた生野菜、猪肉の炒め物。

ファームカノン・食事風景

 

Q:豚はどういう生きものか?

「豚はすごく人間に近い動物だと思います。ずっと、豚のことについて考えてきたんですけれど、僕にとって豚は同志なんですよね。土づくりをする仕事仲間。豚がいなかったら堆肥作りはできません。最初の頃はいいお肉ができればいいと思っていたんだけれども、それは、失礼だと思うようになったんです。確かに流通するなかで美味くなきゃいけないんだけど、でも”美味いまずいを越えたところ”で、僕は育てています」

ファームカノン・栗山夫人ファームカノン・栗山夫妻

 

Q:では同志である豚の命を奪うことへのジレンマはないか?

「ありますね。最初に養ったのが白豚だったんですが、子豚だけ八頭買ってきました。その中にひときわ小さな子豚がいて、チビと名づけたんですよ。チビと呼べば来るんです。耳も倒すし、とても可愛いんです。でも、あたり前の話だけど、チビだけど最終的にはでかくなってお肉になる大きさに育って、食べることになったんです。実は東京から五ヶ瀬町にやってきて集落に入るときに、僕の前にこの場所で養豚業を営んでいた人が公害をおこしていたという理由から、村の人が僕の養豚に大反対したんです。『豚は臭いし、どうかと思う』って集落の人に言われてしまいました。でも、とりあえず熱心に頼み込み、了解を受けて豚が育ったら集落で食べる約束をしたんです。日も決まってチビと一緒に延岡の”と畜場”に行きました。最後のお別れだから頭をなでてやったら、犬のようにごろんと寝転んで嬉しそうにしていました。可哀想だけど死ぬまで育てるわけにもいかないし……」

ファームカノン・作業風景

「僕の養い方をみて、どうしても枝肉を見てみたいという養豚家のおじさんと一緒に行きました。と畜場の方に了解をえて、一時間後に枝肉をみることになりました。ひとまず時間つぶしをするために延岡の町で食事をして、一時間後に”と畜場”の小部屋に行くと、チビのと畜を担当された方がでてきて『どうぞ』と言いました。チビの返り血を浴びた彼の右手にはナイフがぶら下がっていました……。僕はとても複雑な気持ちになりました。彼の向こう側にはチビが枝肉になってぶら下がっているわけです。床には血の蒸気が凄いんです。チビの頭も転がっています。でも、まだチビの魂がそこにあるような気がして涙がでてきました……。向こうにしてみればいい迷惑だったと思います。隣では、一緒に来たおじさんが、『いい肉質だ、内臓もきれいだ』って言うんです。その時『ああこれが豚を育てるということなんだ』って感じましたね……。実は、チビの頭は持って帰って、自宅でさばくことになっていたのだけれど、包丁はあてたものの、僕には出来ませんでした。その晩は、自分の人生の中で一番泣いた夜となりました……。自分にこの仕事は向かない、いっそのこと辞めてしまおうかな?とも思いました」

ファームカノン・作業風景ファームカノン・作業風景

ファームカノン・作業風景ファームカノン・作業風景

▲出荷されていく豚。

 

実際に食べたとき

「それで、食べることになったとき、すごく嫌悪感がありました。人間って何て残酷なんだろうって……。ぼくは気持ち悪くなりながらそれを食べました……。しかし、これが実に美味いんです。もちろん気持ちは複雑です。凄く悲しかったです。でも凄く美味いんです。この矛盾がすごいんです!しっかりと噛みしめ、ゆっくりと飲み込んだとき、その複雑な気持ちが感謝に変わりました。それで、責任をもって大切に食べてあげることが供養になると自分の中で腑に落ちたんです。だから、粗末にしたり、残念な感じで流通させるのは悲しいんですよね……。仕事を辞めなかったのは、この後、どこかで自分が豚肉を口にしたときに、もう一人の自分が『お前、逃げたくせによぉ〜』って、言うと思ったからです。それだったら最期に頭を撫でてあげて『ありがとうね』って言って、自分で責任をもったほうが納得いくと思いました。今でも葛藤することがあるし、矛盾だらけなんですが、一つ一つ答えを出す。そういう作業をしているのかもしれません。そういうことを常に心に刻んでないと、チビに悪いな〜って思いますから……」

ファームカノン・作業風景ファームカノン・作業風景

ファームカノン・作業風景

 

Q:中々できない体験だとおもうが……。

「悲しいことだけれど、みんなそういう体験をしたほうがいいと思います。昔の日本の暮らしには自然とそれがあったと思うんですよね。本当に豚一頭殺して食べるって大変ですもん。スーパーでパックに入って並んでいる豚肉を見ても、そうした背景などわかりえないと思うんです。そうしたらね、トラックで突っ込んでいって簡単に人を刺したりするようなことはないと思いますし、ぎすぎすした日本にもならないんじゃないかと思うんです。命のことを知らないから、暴力的になれるんだと思います。僕、トマトの花が黄色なのを、結構いい歳になるまで知しりませんでしたよ。やっぱり、自然との絆が切れているんですよ。そういうところを小さな農場なら結ぶことができるかもしれません」

ファームカノン・父親豚ファームカノン・父親豚

▲父親豚の翼。とても大きい。

 

Q:今後の目標は?

「ファームカノンという農場の完成度を高めることですね。それと、小さな農場でもやっていける道を切り開きたい。一つの農場が響けばやっぱりカノンするのだと思います。僕みたいに農業やったことがない人でもやってみたいと思うかもしれない。誰も受け入れなくて一人で頑張るっていうのではなくて、ネットワークをつくりコミュニケーションをとりながら連携をとって高めていく。小さな農場でも考えを持って行動することによって、社会になにか影響を及ぼす、響かせることが出来ると思います。それも、ファームカノンの挑戦かもしれませんね」

ファームカノン・イメージファームカノン・イメージ

▲栗山さんの畑には、一足先に春が訪れてるようだった。

 

ファームカノンを取材して感じたこと

ファームカノン・イメージファームカノン・イメージ

 栗山さんは、やりたいことを正直にやっている、とても正直な人だと思った。これは、簡単なようで簡単ではない。普通は既存の枠からはみ出ることを恐れ、理想や志を貫くことが出来ずに諦める。良し悪しは別にして、多くの人がその選択をしていると思う。それは、既存の枠からはみ出るリスクを恐れてのことだ。安心を手放すリスク。社会から差別されるリスク。自分の能力と向き合うリスク。さまざまなリスクが挑戦する意思を挫く。そういう中で、ファームカノン・栗山さんは、挑戦している。既存の養豚。既存の流通。既存の社会。既存のものに対して自分で考え、行動し、理想を追い求めている。

ファームカノン・イメージファームカノン・イメージ

 多くの農家は有機的な農業を理想としつつも、理想と現実は別にしている。多くの消費者も、安心で安全なものをと口では言いつつ、現実は一円でも安いものを買いもとめることに躍起だ。結果、理想とかけ離れたものになるばかりか、日本の農業自体が成り立たたなくなりつつあるのも事実だ。飢えを忘れた日本は、金を恐れる社会になった。栗山さんは、理想的な農業を追い求めつつも、現実の社会とむきあい葛藤している。それは経済活動を成立させなければ続けることさえできないからに他ならない。けれども、既存の流通とは違う選択肢もあるのではないかとも考えている。

 日本の食糧の情勢をみると、もう飽食の時代は終わっている。農民の高齢化により食糧自給力は著しく低下し、他国も農作物の輸出規制、及び、高い関税政策を始めている。今後、日本が「飢えに苦しまない」とは言えない。栗山さんの信念とする『命を基とする農業』、そうした思考は、農業にかぎらず、厳しい時代を前に、今こそしっかりと考えなくてはいけないことだと思う。それは、食糧のことだけではなく、私たちの暮らしそのものに、「本当にこのままで大丈夫ですか?」と、問いかけているようでもある。もしかしたらそれが、一つ目の『カノン』なのかもしれない。響きあうことで、私たちの暮らしが表面的な豊かさではなく、心の深い部分に響き渡る真の豊かさになればいいと感じた。

 


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