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2005年08月02日

聖心ウルスラ学園レポート⑨~あとがき [ 野球 ]

決勝、試合が決まった直後の一コマ 今回、聖心ウルスラ学園を取材させていただくにあたって、自分にはじつは複雑な思いがあった。自分は決勝で敗れた宮崎北の卒業生であり、決勝の日は母校の甲子園出場を信じてスタンドで応援していたから。
 でも、負けてしまった。試合直後は落胆すると同時にすぐに「北高、よくやった!」という感謝の叫びは出せたものの、呆然とした気持ちはなかなか抜けなかった。北高の落胆と喪失感をもっとも表現しているのが、ここに載せてる写真だと思う。最後のバッター、北高のエース・小宮が泣き崩れている場面だ。同じとき、マウンドではウルスラナインが喜び合っていた。それが決勝の“明”なら、こちらは“暗”である。
 ウルスラが栄光を掴む過程で、53校が敗れていった。自分たち北高が勝ち進むなかでも、相手は敗れている。決勝戦になって、あと一歩のところで初めて敗者の現実を味わった。卒業生として、自分は聖心ウルスラ学園に負かされた人間である。
 まあ、終わったことだし、しょうがないことではあるけど。

 ウルスラ学園を訪れてからは、そういう気持ちは忘れていた。目の前のことを取材することに集中していたから。
 先生たちから学校や野球部、石田監督の話などを聞いてうならされた。チアリーダーの女の子たちに接して、自分たちにできることをやろうと努力してる姿に感激した。初めての体験ながらも、学校一丸として臨もうとする姿に感心した。何より、じかに接して親しみがわいた。
 野球部の練習を見て、石田監督に話をうかがって、素直に「凄いな」と感じた。
 今は、宮崎県代表としてのウルスラ学園にがんばってほしいという気持ちでいっぱいだ。

 自分が北高の卒業生であることは、じつは石田監督にお話している。こういうやり取りがあった。

自分「じつは自分、決勝戦を見てました。北高の卒業生なんです」
石田監督「ああ、そうなんだ。君の年齢なら、君の頃の監督は大富さん?(注:大富さんは佐土原の監督として昨年、甲子園に行っている)」
自分「はい! そうです。でも、自分の頃は弱くて。これだけ強くなったのは、指導者の力が大きいのかなと思うんですけど」
石田監督「北高の山本監督というのは立派な人ですよ。ウチよりしっかりしてます」
自分「……」
石田監督「北高の野球部はウチよりしっかりしてますよ。ウチよりしっかりしてるのは宮崎北、小林西の2校です」

 石田監督のこの言葉はうれしかった。

 聖心ウルスラ学園は原則として、生徒全員で甲子園へ応援に向かうという。延岡から西宮まで、バスで半日ほどはかかる。着いたら応援して、また半日ほどかけて帰る。大変だ。

 選手や生徒たちには、もし涙を流すのなら“一瞬の涙”であってほしいと思う。
 もし負けたとき、何か悔いがあるものだったら、それは後々残ってしまうだろう。
 最後まで勝ち続けたとき、もしくは負けても悔いが残らないものだったら――たとえ試合後に涙を流すことがあっても、ずっと「よかった」と振り返れるものになると思う。そうあってほしい。
 ああ、でもこれ、チアリーディングの女の子たちが言ってたのと似てますな(苦笑) 自分がわざわざ言うまでもないです。

 最後に、取材に協力していただいた方々に感謝いたします。どうも、ありがとうございました。

投稿者 pawaspo : 2005年08月02日 15:01

コメント

実は、わたしウルスラの卒業生なんです。私たちの頃は女子高だったんで、野球なんて考えもしませんでした。
お嬢様の通うしつけのきびしい学校として有名で、両親もそこに魅力を感じて薦めた学校でした。
 いつの間にやら少子化のせい?か男女共学に・・・
初めて聞いた時はびっくりしました。
それにしても、創部4年目にして甲子園とは!!凄いですね!
こうなったら相手がどんなに強い高校であっても、全力でぶつかってほしいです。
卒業生の一人としてエールを送ります。

投稿者 おかちゃんママ : 2005年08月05日 09:14

>>おかちゃんママ様

共学は増えましたよね。
自分が宮崎を離れてる間に、日向学院と宮崎女子が変わりましたし。

相手は昨年の優勝校。不足なし……です。

投稿者 てるKUN : 2005年08月05日 23:29

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