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第2章 音楽の悲劇
第1章で音楽が親しまれていると書きましたが、一方では音楽が悲劇を生む事もあります。現代では、音楽の持つポピュラー性からチャリティーや平和活動、また逆の意味の活動でも音楽は必要不可欠なものになっています。音楽には人々にメッセ−ジを伝える力を持っています。人々の賛同も受ければ批判も受ける事もあります。極端ではありますが、命まで奪われたアーティストもいます。ここでは、そこのレベルまで言わないとしても、皆さんでも人々に様々な影響を与える事もあると言う事を知っていてください。

最近、延岡でも夜中に路上で歌う若者を、多く見かけるようになりました。これにより
「延岡にもストリートミュージシャンがいる」「街に活気が出た」「若者のパワー」などという声も聞きます。しかし、一方では「うるさい」などの苦情の声も聞かれています。それ以前に果たして、安易にストリートミュージシャンと言っていいのでしょうか?そして、これは音楽的なこととして理解していいだろうかという疑問を持ちます。

都市には、音楽以外でもストリートパフォーマーが大勢います。その中には強力な外国人パフォーマーも大勢います。彼らはしっかりしたポリシーと技術を持っています。彼らの
活動場所は歩行者天国、駅前や有名な待ち合わせ場所など。そこは人が多く集まり、立ち止まれる場所です。時間帯は、夜間でも7時ぐらいから、せいぜい終電(午前0時前後)までの、夜の街が賑わっている時間帯だけを狙っています。だが、このような場所は縄張り争い、警察沙汰などの危険も伴っています。逆に、それだけのリスクを抱えても、自分達の演奏(芸)をアピールしたいということなのです。私はストリートライブを行うプロミュージシャンのスタッフをしていたことがあります。人々の足を止め、こちらに関心をもってもらうのは非常に難しい事です。毎回、人通りや時間帯をリサーチし、ビラを配り、前回より人を集めることを目標に活動していました。 また、巷で流行しているような、アコギソングのコピーをしている若者もいます。彼らは適度に人が流れる通りや、邪魔にならない所で演奏しています。前者のようなパフォーマンスは殆どありません。時間帯は、深夜(朝)まで歌っています。この様な書き方だと語弊があるかもしれないが、現実、両者の質、内容、活動する場所は全く違います。多くの人も、否定もせずに判断できているのも事実です。厳しい言い方をすれば技術的に未熟な場合や遊び半分で前者のように場所でやっていると、邪魔扱いされてしまいます。この場所の差は、100人クラスのライブハウスから500人クラスにステップアップしていくように、良い場所は目標(ステップアップ)のステージでもあると考えて下さい。

ストリートは、ライブハウスの様にオーディションもありません。また、限られたスペースと違い、多くの人々に自分達の音楽を聞いてもらえるメリットがあります。しかし、過去にこんなことがありましたので、参考にして下さい。98年、日本のストリートパフォーマーのメッカ、原宿・表参道の歩行者天国「原宿ホコ天」が規制を受けました。(2001年9月1日完全に廃止)「原宿ホコ天」は、毎週日曜日に開放され、多い日には約4万人が訪れていました。路上で歌い、踊る「竹の子族」「ローラー族」「ブレイクダンス」や「ホコ天バンド」など最先端の若者文化を全国に発信していました。廃止となった原因の一つに、
過熱しすぎた「バンドブーム」があります。ブームに乗り、バンドが異常に増え、競うように大音量で演奏しあったのです。その結果は早かった・・。騒音とゴミが増え、いつのまにか秩序が無くなり、周辺住民の反対・苦情を受け、「原宿ホコ天」は終わってしまいました。そして皮肉にも「バンドブーム」も終わりました。

幾ら
静かな音楽でも、その時に音楽が必要ない人にとっては雑音になってしまいます。その分、多くの人に聴いてもらえる音楽(ライブ演奏)にするには、最低限のルールやマナーが必要になります。あらゆる趣味やレジャーもそうです。地方には、都会の表面の「絵」しか届いてきません。都会の真似や憧れに走り、本質を無視してしまっては意味がありません。延岡の路上演奏者も「自分の音楽を聴かせたい」のか、「ただ流行しているから」なのかで、全然意味が違ってくるのです。より多くの人に聞いてもらいたいのであれば、夜の街で演奏するだけでなく、人が集まる場所や時間帯をリサーチして活動して頂きたいと思います。ただ「流行しているから歌っている」のであれば、将来、本当のストリートミュージシャンが出来なくなってしまうような事だけは避けて頂きたいと願います。
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