佐藤先生からの一言

 *** 第4回 竹細工、職人技をぬすめ! *** 
== みんなの一言 ==


■ 佐藤先生 ■ 大分の竹細工が有名なのは知っていましたけれど、完全に「灯台下暗し」でした。 今回取材させていただいた廣島さんは、延岡から40kmほど高千穂に向かって走った日之影町の、旧218号線八戸バス停前に工房を構えていらっしゃいます。 工房の前の五ヶ瀬川にはちょうど旭化成の大きなダムが架かっていて、ダム湖はとても神秘的な深い緑色をしていました。そして工房のすぐ裏手には高千穂鉄道が走っています。(たぶんこのあたりです
http://map.msn.co.jp/here.asp?map=E131.25.48.5&map=N32.37.8.1&zm=今回の取材ではかざぐるまにチャレンジしましたが、前もって竹の表皮を帯状に薄く加工して、それを編むだけの状態に準備してくださっていました。実はこの下準備こそが一番大変なことのようです。 竹細工って、着色していないものは黄緑色をしていて、しっとりとした手触りのずみずしい香りがしますけど、使い込んでいくうちに薄茶色の硬く渋い感じに変わっていくのがいいですね。 以前香港で見たのですが、数十階建てビル建設現場の足場が竹で作られていて驚いたことがあります。素人なので、安全性の面からこれが良いのかどうかはわかりませんが、竹って丈夫なんだなーと思いました。この取材を通して、竹のすばらしさをもっと日本人は大切にしなければならないと思いました。あんなに自然にたくさん生えているのに有効活用されていないような気もします。ヨーロッパの有名ブランドバックの取手に竹が使われてちょっとオリエンタルな感じになって日本で大流行しましたけど、逆輸入されないと良さを発見できない日本人の不思議な文化を思い出させる取材でもありました。 ところで、廣島さんは竹細工教室も開いてらっしゃるそうです。廣島さんのユーモアあふれるトークにどんどん引き込まれながら楽しく、緻密な竹細工の技術を身につけることができますよ!それに、なんと言ってもスミソニアン博物館に認められた技術です! 最後に余談ですが、高千穂では古語で使われていた言葉が方言としていくつも残っています。おらす(いらっしゃる)、いぬる(帰る)・・・などですね。これらが神話の里と言われるゆえんの一つでもあるようです。この高千穂に近い廣島さんがお使いの言葉も非常に優雅ですよ!手をゆるして(はなして)、かざぐるまが良くめぐる(まわる)、・・・なんかいいなぁ


■ ジュンコ ■ 竹はとてもいい香りでした。竹だけで風車を作りました。最初、廣島さんがつくるのを見て、それから自分達で作ってみました。最初から難しくて廣島さんに手伝ってもらいながら、竹をあんでいきました。本当に接着剤も何も使わずに細く竹をきったもの4本だけでできてしまいました。すごいっ!!と思いました。自分のつくった風車がまわった時はとっても嬉しかったです。廣島さんは「昔の人はエライ」とか「すごい」と言っていました。自分は昔の人が考えたのをまねしたりして作っているだけで昔の人はすごいと。その通りだと思ったけど、それをまねできる廣島さんもすごいと思いました。廣島さんのところにあった一りんざしがとてもかわいかったので、次に行った時はぜひ一りんざしを作ってみたいと思いました。


■ リヨ ■  今回は、世界の竹細工名人の廣島さんの所へ、竹細工を習いに行って来ました。廣島さんは、かごなどの自分の作品を見せてくださった後、私達にかざぐるまを作ってくださいました。その手つきは、とてもあざやかで、私はただただ驚くばかりでした。廣島さんは「わしゃ、頭が悪いから、はかれんのじゃよ。」と言って、ものさしなどはいっさい、つかいませんでしたが、昔からの知恵とわざで、とてもみごとにかざぐるまを仕上ていきました。その後、私達もかざぐるまを作ってみましたが、むずかしくて、みんな必死になっていました。廣島さんは「若い者が、竹細工のことをわかってくれるのが、うれしんじゃよ。」といって、終始にこやかでいらしていて、私は、廣島さんのすてきな人柄だなあと思いました。

■ みゆ ■  10月12日。今日は日之影町の廣島さんのお宅で竹細工を体験させていただきました。初めに廣島さんから竹細工について少しお話をしていただきました。その時に実際、廣島さんが作った。竹かごや米作りに必要なざるを見せていただいたのですが、とても人の手で作ったとは思えない程精密に編み込まれていて、編み目の間もすごく綺麗に整っていてびっくりしました。廣島さん曰く「物を作る時には細かい計算などはしていない」そうで、それにもびっくりしました。工房へ行き、廣島さんがお作法になる風車を作ってくださったのですが、材料は竹の棒4本だけなのにすごく複雑な編みこみでとても材料がそれだけとは思えないようなものを作ってしまいとても感動しました。いよいよ自分達でも風車チャレンジしたのですが、やり方が全然分からず、一人が廣島さんに教えてもらい、その人が次の人へ教えまた次の人に教えていくという形で一生懸命作りました。廣島さんは「すごいのは俺ではなく、これを考えた昔の人、そのやり方をまねてやってるだけだ」とおっしゃいましたが、本や口だけではこのような技術は決して今まで残すことは出来なかったと思います。"習うより慣れろ"の言葉通り、体で技術を覚えてなけれはいけないこの竹細工というすばらしい伝統に触れることができ、体験たということはとても貴重なことでした。私は不器用なので仕上るのにとても苦労しましたが、できあがった風車がとてもよく回りすごく嬉しかったです!このような素晴らしい伝統に、ぜひもっと多くの人が触れることができたらと思います。竹細工がこれからも日本につたえられていくことが子供にも大人にも必要なことだとおもいました。機会があればぜひ一度体験してみてください!

■ えっこ ■ 日之影という所に竹細工を体験するために行った。そこに行くまで初めての景色ばかりで車の窓の外をずっと見ていた。廣島さんという80代の職人の方に教えていただいた。私の祖父も同じぐらいの年代で無口で頑固なので、祖父みたいな方かなと思って会う前とても緊張した。でも会うと思っていた方とは全く違い、優しくあたたかい方だった。そして、廣島さんの竹を使った作品を見て、あまりにもきれいですばらしいもので驚いた。竹の微妙な曲線は竹の良い特徴だなと思う。そして自分たちでかざ車を作ると聞いて、私には絶対できないと思った。やはり難しかったけど廣島さんにマンツーマンで教えていただき、苦戦したけどとても楽しかった。完成し風が吹いてかざ車が回ったときは感動的瞬間だった。もっと難しく複雑なかごを作ってみたいと思った。

■ 遼英。 ■ それは、良く晴れた日の事。今日のミッションは、何と80余才の名人の技術を盗み取る事「あぁ」、それは、私の不器用さをも暴露する日であった・・・。
9月某日、基礎ゼミの日。次のミッションの計画たてる日。
[佐藤先生] 『今度は、何しにいくんです?』
[松田さん] 『あの、まだ決ったわけじゃないんだけど、日之影に竹細工職人の方を訪ねたいと思ってます。』・・・

その時、竹という単語が頭に拡がっていた。「竹」、それは古代は竹取物語に神秘的存在として現れ、我々、日本人にはいろいろとなじみが深い植物である
[松田さん] 『作るのは、風車か竹とんぼとかかな・・・。』
・・・風車!!竹とんぼ!!。遼英。の頭の中には、イメージが拡がっていった。と同時に、作りたい!!挑戦してみたい!!という、欲求が迫ってきた。子供の頃に、よく遊んだ記憶がある。セピア色の思い出の中に過去を顧みている自分がいた。しかし、当日あんな事になろうとは、予想だにしていなかったのである。

10月12日(金)よく晴れた、絶好のミッション日和であった。2台の車に5人づつ分かれて乗り日之影町を目指した。・・・が、どうしても、遼英。は車に弱いので、気付くと、すぐに、胃の中がコインランドリー状態。
遼英の心の中『はっ早く着いて〜〜〜〜〜』
と心の中で叫びながら、道をいく。どんどん、山へ山へと分け入っていくカンジがした。とようやく目的地の名人宅へ到着。皆、車の中から降りて、名人宅へ。
全員 『失礼します。』
名人 『こんにちは』

・・・そこに、立ってらした方は、80余才というのに、いや、だからこそだろうか。何か威厳をかんじさせた。その時、ビデオを名人は渡した。自分の写っているビデオらしい。そして、いろいろな自作の品も見せていただいた。籠・魚のしかけ等である。丈夫で、ささくれもない。
[名人] 『じゃあ、工房の方にいきましょうか・・・』
[松田さん] 『今日、作るのは何ですか』
[名人] 『風車と竹とんぼかな』
して、皆移動。そして、作業の開始。用意していただいていたのでまず。風車から。竹の長いのを4つもってぱっぱっぱっと作られた。
[名人] 『じゃあ、皆も4つづつ持って・・・』
気合が入る。そして、手に持って、ぱっぱっぱっ・・・とはいかないわけで、・・・全然わからない。皆も、同じ様子である。しかし、時間が経つと、出来る方々も出てきた。という事で、わからないので、出来た他隊員に聞いてみる事に
遼英 『あの・・・。どうしたらいいんですかね』
ジュンコさん 『だから、こーして、あーして・・・。』
遼英 『ふむ、ふむ。』
ジュンコさん 『じゃあここまでやって』
遼英 『ありがとう』
よしといきごんだか、・・・『出来ない!!』見てみるとそうは思わないのだが、意外に難しい。とその時、佐藤先生が出来てたので、
佐藤先生 『なんだ、まだできてないのか。教えてやるよぉ・・・。』
佐藤先生 『途中まで、出来たから、後は自分でやって・・・。』

ありがとうございます。と思ったら、この先が出来ない!!他の皆がいろいろな方法で出来上がっているのに、何故・・・と、思った。最終手段!!名人に直接!!たのんでみた。
名人 『人がやったのは、わからんなー。』
・・・そうなんですか。名人にも弱点が・・・。あっただなんて・・・。もう一度崩して、最初から。そして、メインの部分の完成。そして、次は、紙付け作業。ボンドを使って、ペッタンペッタン。時間的に、竹とんぼは、作れなかったけど、風車。楽しかったです。
遼英の心の中『感動です。』
名人 『私は昔の人の真似をしてるだけや。これを考えた昔の人がすごいんや。』
だそうです。竹を捌く姿に、とても感動しました。
風が吹くと、クルクルクルクル回ってくれて、物に命を与えられる仕事・・・、と思いました。

今日は、一緒に頑張った皆先生、御指導してくださった廣島名人。ありがとうございます。お疲れ様でした。
私は、とても不器用です・・・。

■ 陽一 ■

■ ごー ■ 日之影町と言えば・・・大きな橋!という事しか浮かばなかった。しかしそこには世界で有名な竹細工職人の廣島さんという人いる。廣島さんへの初めの僕の印象はとても頑固で恐そうなおじいさんという感じだった。 初めに竹で作られた魚を入れるかごや入れものなど今はプラスチックで作られているものが竹で作られていることにびっくりした。廣島さんは「自分は昔の人が作っているものに習って作っているだけ。偉いのは昔の人。」ということを言っていたが、こんな器用な事ができるなんて僕にとって尊敬ものだと思った。 早速、僕達も竹細工作りに挑戦!しかし、初挑戦の僕達には、かごを作ることは難しいらしく(と言うか絶対できない!)風車を作ることになった。廣島さんはちゃんと説明しているが僕には全く理解できなかった。そのため助けられながら、なんとか作り上げた。風車は、とてもきれいに回って飾りを付けたら、手作りのそれも竹で作られたものとは思えないものだった。しかも風車を作るために使うのは竹を切った細いものを4本だけというのも昔の人の知恵に驚かされた。 少しの時間であったが、廣島さんは初めての印象とは違い明るくて、優しい人であった。廣島さんは、「若い人に竹の良さを分かってほしい」と言っていたが、あの竹細工を見れば、誰でもすごいと思うだろう。しかも竹は成長も早いので、使い勝手もいいと思う。今こそ竹を見直すべきではなかろうか?そして竹細工を受け継ぐのは我々現代日本人ではなかろうか?

■ 修二 ■ このたびの体験レポートは竹細工です。延岡から、片道1時間程度の日之影町にいきました。そこで、廣島さんというおじいちゃんに竹で作る風車を教えてもらいました。廣島さんは、80歳を過ぎているのに考えがまだ若く、そして竹細工のことがすきなんだなと感じた。最初に廣島さんの作品の一部を見せてもらったのだが、どれも繊細で素晴らしいものだど思った。次に風車を作るのだがまず細切れを4本もらったのだが、この細切れを作るのが逆に風車よりも難しいと教えられた。そして風車を作るのだが、僕の場合、ほとんどを廣島さんに作ってもらった。しかし、完成したときは子供心に戻ったような感じがした。作り終わって、風車で遊ぶと回ってくれたのでよかった。最後に、出来上がった風車は、僕の部屋のどこかに飾られています。

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