| 目指せ表彰台!! | ||||
| 第3章 ミニバイクレース | ||||
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仕事に就いて、自分のお金を使えるようになってからバイクの世界が、どんどん広がっていきました。学生の頃には、土日のバイトや、飲みたいジュースをケチって、なんとかガソリン代をひねりだしバイクに乗っていたので、それに比べると好きなだけバイクに乗れて楽しくてしようがなかった。バイクもこの頃レーサーレプリカが流行し始め、私もカウルが初めて市販車に取り付けられた、スズキのRG250ガンマというバイクに乗っていました。このバイクがくせ者で、ある人からエンジンオイルでいいのがあるよと薦められ、ちょっと有名メーカーのものを使い始めたとたん、原因不明の片肺(2気筒のうち半分が死んだ状態)になるトラブルに見舞われ、修理に出しても治らず散々な目にあわされました。でも2サイクルのあの爆発的な加速感などなど楽しさをしみつけられた面白いバイクでした その頃、私のバイク人生に大きな影響を与えた人の一人である、同じ会社のY浦さんと出会いました。この人と話してみると、私と同じくらいバイクを大好きな事がすぐに分かるほどで、初めてのミニバイクレースへ誘われたのも、Y浦さんでした。よく聞くと、スプリントレースだけど恥ずかしいから、途中で交代して走ろうというものでした。県北では自動車学校を使った50ccのスクーターや、ギア付きバイクでのレースが結構盛んでした。それに私の知り合いの中では、いち早く目を付けた人でした。そのレースは当然順位など全く眼中になく、また覚えてもいません。でも甘く見ていた私にとって、ものすごい衝撃と、ものすごく楽しかった事だけは鮮明に覚えています。それから自分でもYSR50というバイクを購入し毎週日曜にY浦さんと自動車学校へ練習に通う毎日となって行きました。練習を重ねるほど上達が実感できたので、周りの選手より下手でも懲りずに楽しく打ち込む事が出来ました。そのうち、国富カートランドや宮崎市のレースへも遠征したり徐々に行動範囲も広くなっていきました。後で気づいたのですが、宮崎でのレースのビデオを家で見ていたら、まだ知り合っていない頃の妻の声が入っており、確かに手伝いに行っていたので、その場に居るはずだという事も判明し驚いた事もありました。 そんなある日、私にとってバイクの乗り方を考え直す大事件が起こったのです。もう一台の400ccのバイクで友人3人とツーリングへ出かけました。3人ともコーナーをちょっとスリルあるスピードで走るのが楽しく、その日も同様に走っていました。しかし、途中で先頭の一人がまず転倒し、それに驚き2番目も転倒、3番目の私は少し離れていたのでなんとか逃れ通過する事ができました。すぐ引き返してみると、先頭は肋骨骨折でなんとか動ける。次は命に関わるような大けがを負っているようだ、通りがかりの車が止まってくれたのでその場を頼んで、私は救急車を呼びに電話ボックスへ走った。電話をかけようとするが、動転しているので救急車の番号がわからない、どうしよう!見回したら張り紙があり、なんとか知らせて現場へ戻った。介抱しながら救急車が来るまでと病院までの時間がものすごく長く感じました。大けがの友人が心配なのと、先頭は自分が原因だと気を落としているのが気がかりで、つらい毎日でした。それから、気がつくとあれ程好きでたまらなかったバイクからも、約1年間全く離れて過ごしていました。その間、「公道であんな危険な事をやっていたのか」ということや、「人の命の大切さ」を思い返していました。1年半後には、大けがを負った友人も会社に復帰して元の暮らしに徐々に戻って行きました。そんな事もあり、私はやっと気づいたのです「いつまでも、こんな事をしていてはいけない!」と。 |
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| 第1章、第2章 2001/2/15 |
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