2007年10月01日
吉村作治の早大エジプト発掘40年展 [ 文化 ]
テレビのCMなどでご覧になった方も沢山いらっしゃると思いますが、9月21日より宮崎県総合博物館でにて「早稲田大学創立125周年記念 吉村作治の早大エジプト発掘40年展」が開催されています。吉村作治先生率いる早稲田大学古代エジプト調査隊の活動40年を記念して開催されている今回のエジプト展には、調査隊の発掘した250点あまりの貴重な発掘品が並んでいます。早稲田大学の調査隊は、発掘品を海外に持ち出す事無く、エジプト内にとどめ、保存、研究を行う方法を確率させているということで、今回、日本でこれらの発掘品が見られるということは本当に貴重な事なのです。40年間に渡り築き上げて来たエジプト政府と、調査隊の信頼関係があってこその日本での「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」。この貴重なエジプト展が宮崎で開催されているのですから見逃す手はありません!ぜひ、会場で貴重な発掘品の数々をご覧ください!
(レポート:甲斐英利) 取材協力:MRT宮崎放送
吉村作治の早大エジプト発掘40年展
場所:宮崎県総合博物館
開催期間:9月21日(金)〜11月18日(日)
休 館 日:毎週火曜
観覧時間:午前9時〜午後6時(入場は午後5時30分まで)
観覧料:大人1,200円 小中高生600円
団体料金 大人1,000円 小中高生400円
・宮崎県総合博物館ホームページ
・MRT宮崎放送ホームページ
・吉村作治先生のホームページ
今回は、9月22日に行われた吉村作治先生のトークショーにお邪魔しました。トークショーの中では、現場での苦労話や、発掘してから、世に公表する難しさなどを中心に40年間に渡る調査隊の話しを聞かせてくださいました。また、エジプトなど海外の発掘調査と、日本国内の発掘調査の違いなど、普段は聞く事の出来ないような内容の話も聞く事が出来ました。本当は話の内容ももう少し詳しくお伝えしたいところですが・・・なんと、10月にもあと4日間トークショーが開催されます!ここでは書けない話などもありますのでぜひ、トークショーにご参加ください!なお、トークショーは先着順となっていますので詳しくはMRT宮崎放送の特設ページにてご確認の上ご参加くださいね!
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▲ユーモアあふれるトークショーで、難しい話もわかりやすく解説してくれます。
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▲トークショーの後には、サイン会&記念撮影会も開催されます。
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エジプト展会場の様子
それでは、今回特別に許可を頂き、エジプト展会場内の様子を撮影する事が出来ましたので。ご紹介いたします。なお、会場内は写真・ビデオ等の撮影・録音・録画は一切禁止されていますのでお気をつけください。
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▲吉村先生自らの解説が収録されたテープガイド。
番号の振ってある展示物の詳しい解説を聞く事が出来ます。
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さて、いよいよ、入場です。どんな発掘品が待っているのか・・・入り口付近には調査隊の歴史がわかるパネルが展示されています。まずはここで調査隊について理解を深めましょう!
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▲まず目に飛び込んでくるのは、早大エジプト調査隊の名を世界に広める切っ掛けとなった1974年発掘「魚の丘」遺跡の彩色階段の復元モデル。
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ケース内には貴重な発掘品がズラリ。その細かな装飾やデザインなどには驚かされるばかりです。
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▲調査隊が実際に発掘作業で使用した機器類の展示もされています。
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▲この部屋が、今回最大の見所!2005年1月5日に発見された「青いミイラマスク」と「彩色箱形木棺」が展示されています。トークショーでも「遺跡的な保存状態」と話されていた「青いミイラマスク」は本当に綺麗な色彩に感動します。発掘品は外気や光の影響を強く受ける為、発掘後も最良の保存状態を保つ為に時間との勝負だったそうです。そうしたことから、この部屋は他の部屋に比べてもさらに暗くなっています。
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▲出口付近には2007年1月24日に発見されたばかりの4個の未開封木棺の発見時のパネルが早くも展示してあります。お見逃し無く!
さて、いかがでしょうか?「もっと見せろ〜」と言う声も聞こえてきそうですが、写真では伝わらない事多すぎますのでぜひぜひその目でご覧になってください!パンフレットなどで見ている物も、実際に見てみると、実はルーペでみないと見られないくらい小さな物だったり、逆に大きかったり・・・いろんな発見があります!大人も子供も、そして、普段は興味ないんだけど・・・と言う人にもオススメのエジプト展です!
投稿者 blogpawanavi : 12:52 | コメント (0) | トラックバック
2007年07月13日
九州保健福祉大学国際交流レポート07 [ 文化 ]
「日本への理解を深める事」を目的とした、九州保健福祉大学(延岡市)による「海外研修団」との国際交流プログラムが7月6日(日)〜7月9日(月)の4日間に渡り行われました。すでに毎年恒例となっているこのプログラムですが、今年も九州保健福祉大学と海外教育交流協定校となっているライト大学(アメリカ合衆国)、フィンドリー大学(アメリカ合衆国)、パラナカトリカ大学・パラナ連邦大学(ブラジル連邦共和国)より、学生研修団(引率教員を含め34名)が延岡市に訪れ、七夕祭り見学をはじめ、延岡市内および高千穂・阿蘇を観光し、さらに学生主催による交流パーティーなどを通し、九州保健福祉大学の学生・教員をはじめ地域住民達との楽しいひと時をすごしました。そんな中、今回のパワナビレポートでは、7月8日(日)に行われた高千穂〜阿蘇観光の模様を、旅のスナップ写真集感覚でご紹介したいと思います。
(レポート:松田秀人)
九州保健福祉大学のホームページ↓
http://www.phoenix.ac.jp/
高千穂町観光協会のホームページ↓
http://www.takachiho-kanko.jp/
阿蘇市観光協会”あそぶらりnet”ホームページ↓
http://www.aso.ne.jp/~aso/
阿蘇ファームランドのホームページ↓
http://www.asofarmland.co.jp/
◆過去の九保大国際交流レポート↓
・2006年 ・2005年 ・2004年 ・2003年
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◆高千穂峡
高千穂町観光協会のホームページ↓
http://www.takachiho-kanko.jp/
朝8時30分、九州保健福祉大学大学会館を出発。七夕の翌日ということもあり、毎年この時期は空とにらめっこをしながらの観光となります。私が2年前にご一緒した時もやはり、雨が強く、高千穂峡はバスの中から見るだけになってしまいました。さて今年は・・・。
青空は見えないまでも、どうにか雨は降っておらず、高千穂峡の美しい自然を、みんなで歩きながらゆっくりと見ることができました。
雨が多かったせいもあり、水量はたっぷりあったのですが、水の色が濁っていたのが残念でした・・・。それでも、ものすごい勢いで峡谷を流れる水には、誰もが足を止めカメラやビデオの撮影をしていました。また、九州保健福祉大学の学生と海外研修団の学生とが、お互いに記念写真を撮りあうシーンも幾度となく見られました。
この日は移動用のバスのサイズが大きく、かなり背も高かったので、肝心のヴュースポットの近くにある駐車場までバスを乗り入れることが出来ず、みんなかなり離れた上のほうでバスを降り、てくてくと坂を下り、帰りはバスが待っている大きな駐車場まで、かなり急な階段を延々と登らねばならず、私はちょっとバテてしまいましたが、みなさん若いので、余裕の表情・・・。
そして余裕ついでに、観光地ではお決まりの”顔出しショット”も撮ったりしました。そしてここ高千穂にも、最新の「東国原知事バージョン」が設置されていました。
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◆阿蘇ファームランド
阿蘇ファームランドのホームページ↓
http://www.asofarmland.co.jp/
高千穂を出発したあたりから、今年もまた雨足が強まり、熊本県に入ったあたりから土砂降り・・・。でも、次の目的地である阿蘇ファームランドは屋内スペースだけでも、食事やお買い物が十分楽しめるので安心。お昼過ぎに到着し、「世界の屋台村 ワールドキッチン」でランチ!そして、ミルクファームや焼酎蔵、食祭市場、ビッグファームバザールなどでお土産のお買い物をしました。
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◆阿蘇山
阿蘇市観光協会”あそぶらりnet”ホームページ↓
http://www.aso.ne.jp/~aso/
午後2時過ぎ、阿蘇山ロープウェイ乗り場に到着した頃には、雨と霧であたりは真っ白・・・。まあ、美しい風景を見ることが出来ないのは残念でしたが、それでも皆さん、元気いっぱいにポーズをとってくれました。半ばヤケッパチのようでしたが・・・(笑)。
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阿蘇から延岡への帰りは、さらに雨足が強くなりましたが、途中休憩で高千穂の「神楽酒造トンネンルの駅」に立ち寄り、お土産を買ったりしました。そして午後5時頃、みんな無事、九州保健福祉大学に到着。ここで私は失礼させていただいたのですが、その後は夕食のあと、大学会館にてエイサーサークルや軽音部によるライブが行われ、さらに交流を深めたとのことでした。滞在中の4日間は中々天候に恵まれまれず、関係者のみなさんは、いろいろと大変だったと思われます。みなさん本当にお疲れ様でした。そして海外研修団のみなさん、また来年もよろしくお願いします!
投稿者 blogpawanavi : 15:38 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月16日
3・20 ピース・アクション〜レポート [ 文化 ]
2007年3月 20日・21日。宮崎市の中心地では、世界平和の祈りがこめられた‘‘3・20 ピース・アクション‘‘(同実行委員主催)というイベントが行なわれました。このイベントは今から4年前の2003年3月20日にイラク戦争が開始されたことをきっかけとして、宮崎市の中心地で毎年3月20日に催されているものです。特に今回はイラクに落とされている劣化ウラン弾の被害と、11月には本格稼動するといわれている六ヶ所村核燃料再処理施設の問題に焦点をあて、‘‘世界のすべての場所から被爆による苦しみがなくなりますように‘‘との願いをこめてのイベントとなりました。また3月20日の夜には、宮崎市にあるカリーノ宮崎8階 gaga-8(ガガエイト)にて、イラクでの劣化ウラン弾の被害の状況をまとめたビデオ『劣化ウラン弾の恐怖』(ジャーナリスト豊田直巳)上映会があり、核燃料再処理施設誘致に揺れる六ヶ所村を描いたドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ監督)予告編もあわせて上映されました。その後、大平直也さん(NGOイラク救済基金・代表)、中村隆市さん(スロービジネススクール校長)、てんつくマン(NGO MAKE THE HEVEN代表)の講演会が開かれました。大平さんはイラク戦争について、中村さんとてんつくマンさんは「六ヶ所村核燃料再処理施設」についてお話をされました。さらに21日には、若草通りでイラクの写真展が開かれ、ハイカラ通り沿いの‘‘PureHouse‘‘という学童保育施設で、ミュージシャンの大野勇太さんをゲストに迎え、平和への祈りを込めたコンサート(右下)が開かれました。
(レポート:藤木テツロー)
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●実行委員 大平直也さん(NGOイラク救済基金・代表)
〜3・20ピース・アクションについて〜
2003年3月 20日にイラク戦争が始まって、それから一年経った頃、何か宮崎でも平和のための取り組みをしようと思ったのがきっかけで、イラクの平和とイラク戦争を人類史上最後の戦争にしようという願いをこめて、毎年3月20日に‘‘ピース・アクション‘‘という形で取り組んできました。今回、イラク戦争と六ヶ所村核燃料再処理施設という二つの問題をテーマとしたのは、広島・長崎から原子爆弾という兵器で放射能被爆による苦しみが始まり、アフガニスタン・イラクと劣化ウラン弾という兵器によって被爆による苦しみが続いていて、日本でも原子力発電所から排出される放射能により被爆して亡くなった方がいるなど、放射能被爆という共通の苦しみがあり、一般の人たちに知らされない事実があるということが危険で問題だというのは、イラクでも日本でも共通していることだと思ったからです。特に今回の場合は、イラクの核の問題に触れたときに、日本の核の問題にも触れたいという学生の実行委員の強い声があり、その子たちが中心になって、中村隆市さんやてんつくマンを招いて、今年の11月に本格稼動するといわれている六ヶ所村核燃料再処理施設の危険性を考える場にもなりました。
◆大平直也さんプロフィール
本名(児玉直也)
1971年生 宮崎県清武町在住
96年から、諫早湾の干潟やナホトカ号重油すくいなどの環境ボランティアに関わり、97年沖縄県名護市海上基地建設運動に仕事を退職して参加。03年からイラク支援をはじめ、大きな平和を願い、自身の名前を大平直也に。現在、写真展や講演会を通じてイラクのことを伝えている。
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●実行委員 大谷怜美さん
〜イラクについて〜
もともとのイラクの状況っていうのを私達が知らないままに戦場の様子がテレビから流れてきて、爆撃があったとか、自爆テロがあったとか、日本のメディアは伝えているんですけど、私がこの写真(アイスクリームをおじさんが食べている写真)を見たときに、自分と同じようにアイスクリームを食べているおっちゃんがイラクにいて、そういう普通の人たちが爆撃にあったり、劣化ウラン弾の被害に苦しんでいて、このおっちゃんもいつ爆撃にあうかわからない状態でこうやって過ごしているということを考えると、凄く心をうたれました。
イラク戦争が始まって4年が経ちましたけど、テレビではイラクの状況とかはあんまり報道されなくなりましたよね。昨年も‘‘ピース・アクション‘‘は、やったんですけど、劣化ウラン弾で苦しんでいる子供やお母さんがいたり…、そういう部分を伝えていくところが無いから、自分たちのやっている企画というのは重要だと思っています。やっぱり、戦争は終わってないんですよね…。ここにも色んな写真があるんですけど、その一つ一つが日本のメディアが伝えてこなかったことで、実際に現地に行かれたフリーのジャーナリストの方々が撮ってこられた写真を一般の人にこうして見て貰う機会というのが、すごく重要だと思います。私もこういう写真を見るまでは、イラクのことを考えたことが無かったし、イラクのことと言ったら自爆テロとか、過激な人たちがいる危険な国だと思っていたんですけど、イラクの日常の写真をみて、私たちと同じように明るい人たちが平穏に暮らしていることも知れて良かったし、知らないと何も始まらないと思いました。イラクに住む人たちが米軍からの攻撃や、核の恐怖から解放されることを願っています。
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●中村さんと、てんつくマンさん
中村隆市さんと、てんつくマンさんは、2007年6月22日の夏至の日に、地球温暖化の現実、六ヶ所村核燃料再処理施設のこと、世界で起こっていること、そして、未来が希望に変わっていくライフスタイルを伝える号外を日本全国に4900万部(日本の世帯数)配ろうという取り組みをしています。この取り組みには、音楽家の坂本龍一さんを始め、多くの著名人が賛同し、参加されています。
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●中村隆市さん(スロービジネススクール校長)
〜六ヶ所村核燃料再処理施設について〜
簡単に言うと、原子力発電所からでる使用済みの核燃料に含まれている、燃えるウラン、燃えないウラン、プルトニウム、死の灰というものをそれぞれ分離するのが核燃料再処理工場です。その分離する際に工場から放出される放射能があり、この工場から放出される放射能の量を分かりやすい例えで、「原発一基が放出する放射能の一年分を核燃料再処理施設は一日で放出する」といわれています。空に放出される放射能で代表的なものがプリクトンで、チェルノブイリの原発事故に出た量に比べてだいたい10倍くらいの量が放出されます。海に放出される放射能で一番多いのがトリチウムという放射能です。核燃料再処理施設が11月に本格稼動すると二日に一回、600トン放出されます。青森県は海の魚が300ベクレル、お米が90ベクレル汚染されるということを認めています。青森県がこういう事実を分かっていて認めたのも信じがたいし、国が認めているということも信じがたい。そして、こういうことをマスメディアが報道しないんですね。だから、一般の人が知らない。その中で、すでにテスト的に稼動していて、11月には本格稼動をするというとんでもない問題があるということです。
◆中村隆市さんプロフィール
1955年生 福岡県出身
19歳で水俣病と出会い、公害問題、環境問題に関心を持ち始める。環境保護の市民運動に関わりながら、80年から7年間、生活協同組合にて有機農産物の産直運動に取り組む。86年、チェルノブイリ原発事故をきっかけに生協を退職し、有機農産物産直センターを設立。その後、中南米の有機コーヒーやアジアの有機紅茶などをフェアトレードで輸入する(有)有機コーヒーと(株)ウィンドファームを設立。2000年、ブラジルに初めてのオーガニックカフェを開店。ビジネスの展開と並行して、原発事故被害者の医療支援を行う「チェルノブイリ友の会」「非電化・有機工業運動」「ワールドエコロジーネットワーク」などのNGO代表を務める。04年、スロービジネススクールを開校する。
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●てんつくマンさん(NGO MAKE THE HEVEN代表)
〜豪快な号外『Team Go Go 2007』について〜
まず、事実を事実として伝えるっていうことが大事やな〜と思うんです。例えばね、毒が入っている水があるとして、それに対して「それは毒が入ってますよ」とちゃんと言わないといけないと思います。それを言わないで毒を舐め続けながら生きていくっていう生き方もありやな〜とは思うけど、でも僕は、それは‘‘愛‘‘では無いな〜と思うんです。それが毒やと思ったら、「それ、毒、入ってるで〜」って言いたいし…、原子力発電所にしてもエコだと思って作ったんでしょ。でも、エコじゃなかったんでしょ。本来なら、エコじゃなかったら「エコじゃありませんでした御免なさい」って謝らなければいけないと思うの、でも本人らがそれをできないのであれば、違う人が伝えていかないといけないと思います。よく「その人たちの生活が…」って言うけど、その人たちだけのことしか考えていないっていうことは怖いし、俺らは御先祖さんから、ずっ〜と引き継いできた命があって、これから何十年、何百年、何千年っていう未来の子供たちのことを考えんといかんと思うわけ。今の日本を誰が作っているのかっていったら、日本人みんなでつくっているわけでしょ、日本人が変われば、当然、日本が変わるわけでしょ。政治家が何かをしてくれるとか、行政が何かをしてくれるとか、親が何かをしてくれるとか、誰かが何かをしてくれるって思う人よりも、私が何とかしようって思う人が圧倒的に増えたら、すごい大きなことになるの。号外にしても大事なのは一人でも多くの人が、日本や世界や地球でおこっていることをみんなに知ってほしいっていう思いで届けること、一人で出来なかったら仲間に声をかけて一緒にすることで、繋がっていくっていうことが出来ると思うんです。日本には4900万世帯あるから、全世帯に配れるのであれば配りたいな〜と思います。ただ、刷っても配られなければただのゴミになるので、縁のないところには配られない。本当に無力と微力は違うので、僕らは微力かも知れないけど無力では無い。微力でも何でもいいから、自分らがやれることをやれば、本当に世の中が大きく変わっていくだろうな〜と思います。昨年は600万人以上の人が参加したキャンドルナイトを今年も6月22日の夏至の日にします。夜の8時から10時まで電気を消して、ろうそくの灯りの中で号外を見ていただいて、「私に出来ることって何かな〜?」「家族のために何が出来るかな〜?」ってみんなで考えて、その日、1000万人以上の人が心を一つにして未来の子供たちのことを考えるっていうことをやっていったら、すごい意識改革になると思います。「省エネをしないといけない、しないといけない」ではなくて、実際に省エネをする人が圧倒的に増えるな〜と思います。2007年から本当に日本から何かが変わりだすっていうきっかけを作り出すことが出来るな〜って思っています。これは、誰かが言い出したからということではなく、一人の人間として、自分が愛する人のために、自分のために、動いていくっていうことになればいいな〜と思います。
◆てんつくマンさんプロフィール
本名(軌保博光)
1968年生 兵庫県出身
元吉本興業でTEAM 0(相方:山崎邦正)としてダウンタウンの番組で活躍中に、映画制作という夢を見つけ、引退。98年より路上に座り筆と墨を使いインスピレーションで言葉をかき始める路上詩人となる。02年、名前を"てんつくマン"に改名。03年、7年半追い続けた夢である映画「107+1〜天国はつくるもの〜」を製作 自主上映という形でありながら観客動員5万人を突破し今尚ロングラン上映中。06年 小豆島を舞台に次回作の映画「107+1〜天国はつくるもの〜part2 ちょっと天国つくっちゃいました編」の撮影を開始。現在は環境問題や海外支援にも感心を持ち「NGO MAKE THE HEAVEN」をつくり日本国内に留まらず海外まで飛び回る。
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●参考リンク
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NGOイラク救済基金 代表 大平直也
http://www.iraqhelp.jp/index.html
中村隆市公式ホームページ
http://www.windfarm.co.jp/kazenotayori/
てんつくマン公式ホームページ
http://tentsuku.com/home.shtml
(豪快な号外)『Team Go Go 2007』ホームページ
http://www.teamgogo.net/
『境界線の記憶』豊田直巳 Webサイト
http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/
青森県六ヶ所村役場 ホームページ
http://www.rokkasho.jp
六ヶ所村ラプソディー 鎌仲ひとみ監督
http://www.rokkasho-rhapsody.com/
大野勇太SPECIAL SITE
http://pdrec.web.fc2.com/
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2006年06月27日
五ヶ瀬川の畳堤 [ 文化 ]
雨が多いですね・・・。これから秋にかけては台風による災害の心配もしなければなりません。そこで今回の「パワナビVIEW」コーナーでは、水郷延岡の貴重な文化であり、水害との戦いの歴史を物語るものでもある「畳堤」についてレポートしてみました。
ところで、みなさんは畳堤(たたみてい)」ってご存知ですか?延岡市の川中地区付近にある五ヶ瀬川堤防の上にある、高さ60cm程度のコンクリートでできたアーチ状の物体(下画像参照)のことをそう呼ぶのですが、それが北町あたりから船倉町に架かる五ヶ瀬橋より150mほど下流まで連なっています。遠くから見ると堤防の飾りか、手すりのようにも見えますが、今となっては、いったい何のために存在しているものなのか知らない方も少なくないと思います。
実はこの「畳堤」は、過去において何度も水害に見舞われてきたこの地区が、水害を防ぐために昭和初期(推測)に設置したもので、中央にある隙間に畳を差し込み水の浸入を防いでいたのだそうです。全国でも「畳堤」と名のつくものは、延岡市の五ヶ瀬川、岐阜県の長良川、兵庫県の損保川でしか確認されておらず、中でも五ヶ瀬川の「畳堤」が"日本で最初"と推測されているそうです。私も「畳堤」の存在は話には聞いていたものの、その歴史などを詳しく調べたことはありませんでしたので、今回は特に深く掘り下げてみました。
(レポート:松田秀人)
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●レポート協力及び参考資料
☆西本師子さん (五ヶ瀬川の畳堤を守る会会長)
http://blog.goo.ne.jp/tatamitei/
延岡市川中地区に在住する西本さん。上記でも書いたように、昔から水害に悩まされる事の多い地区でもあり、特にこの地区で生活を営む人々は水害に関して敏感であったと思われます。しかし、そんな西本さんですら「畳堤」の歴史は知らなかったそうです。「畳堤」についての詳細を耳にするきっかけは16年前のこと!当時の北町の区長さんと何気なく「畳堤」に腰掛けて雑談をしている時に、地元の水害と畳堤の歴史を区長さんが語られたそうです。そしてその時、西本さんは「先人達の知恵を後世にのこさなければならない」と思い、様々な情報収集をはじめたそうです。それから10年後に「畳堤」の歴史をまとめた調査書を作成し、平成13年の記念碑(北町)建設後、「守る会」を結成したそうです。またこの年の7月に東京で開催された、全国の川および川づくりに取り組んでいる団体または個人を対象に行われている「第4回、川の日ワークショップ」では「いい川づくり部門」で「五ヶ瀬川・畳堤」が準グランプリを獲得し、翌年の平成14年には国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所の協力のもと「畳で街を守る」と題した冊子を作成されました。冊子のなかで、西本さんはこのように語っています。
「堤防は、河川の氾濫を防いでくれる川の砦のようなものです。その砦の材料に身近な「畳」を使う「畳堤」の発想は、どこかユーモラスで奇想天外、まさに発想の転換です。しかも、いざという時だけ即席堤防が出来上がる仕組みを生み出した知恵、そして工夫の見事さにも驚かされます。第一安上がりで、用済みになっても語り継がれる古い遺構の見本のような存在です」
また今年3月には「守る会」で企画立案した「畳で街を守ったおはなし」と題する紙芝居が完成したそうです。この紙芝居は「枠」が「畳堤」の模型になっており、畳を差し込む様子などをわかりやすく説明できるようになっているそうです。「畳堤は向こう三軒両隣が力を合わせて自分達の生命を守ろうとした証しなんです。そして防災のあり方を考えさせてくれる歴史遺産でもあります」と西本さん。また「地元の文化を後世に伝えるためには、そのものの歴史的価値を理解し、地域と行政がひとつになって守っていくことが大切です」との言葉どおり、冊子「畳で街を守る」のサブタイトルには「それは地域と行政の新たな取組みだった」と記されています。現在も防災関連の行事などに積極的に参加されていらっしゃいますが、今後は、畳堤を後世にしっかりと伝える事ができる後継者を育てたいとおっしゃっていました。
(▼下の画像左は西本さんと冊子 右は西本さんが撮影した畳堤)
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☆畳で街を守る (冊子)
発行・製作 : 国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所
編集・製作 : 西本師子・五ヶ瀬川の畳堤を守る会・北町区
このレポート内の「畳堤」に関する画像や文章なども、この冊子「畳で街を守る」より抜粋させていただきました。内容的にも、歴史的な資料や地図、さらに細かいレポートなどがわかりやすく紹介されているので、是非一度読んでいただきたいと思います。尚、この冊子に興味のある方は、国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所調査第1課にお問い合わせくださいとの事でした。
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■冊子に関するお問い合わせはこちら
国土交通省九州地方整備局
延岡河川国道事務所 調査第1課
〒882-0803 延岡市大貫町1丁目2889
TEL 0982-31-1155〜8
FAX 0982-22-0489
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●冊子「畳で街を守る」より
ここからは、上記でご紹介しました、冊子「畳で街を守る」の中から、「畳堤」に関する資料の一部をご紹介したいと思います。ちなみに文章も短くまとめてありますので、詳細につきましては、ぜひ、冊子をご覧ください。
■大瀬川と五ヶ瀬川にはさまれた川中地区
下の図のように、全国的にも珍しい「畳堤」を確認できる延岡市の川中地区は、大瀬川と五ヶ瀬川に挟まれた真ん中のデルタ地区です。延岡市では有名な「城山」もこの地区にあります。
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(上図は概要図:畳で街を守るより)
■畳堤とは
高さ60cmの高覧(橋に設置されている手すり)に似たコンクリート製の堤防で、上から見ると幅7cmの隙間があります。この隙間に畳をスッポリとはめ込み、川の水が堤防を越えるのを防ぎました。
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(上図は詳細図:畳で街を守るより)
地元の人々は昔から「高覧」と呼んでいたそうですが、正式名称は特殊堤防「畳堤」です。しかし「畳」といっても、様々な種類のものがあり、寸法も異なります。いろいろと調べた結果、当時一般家庭で使用されていたと思われる畳が「畳堤」にピッタリおさまりました。この事からも、地元住民自らが我が家の畳を持ち出して、洪水を防いでいたと考えられます。何かといえば行政にたよりがちな現在において、住民一人ひとりの防災意識の有り方を示唆した事例ではないでしょうか。
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(上画像は実演風景:畳で街を守るより)
そしてデザイン的にも、「和」を感じさせる、しゃれた扇形をしており、中央部に空間があるため、平常時には橋の高覧のようにも見え、風景の見通しもよくなっています。さらに、構造力学的にも優れた、鉄筋コンクリートによるラーメン構造(ドイツ語で枠をラーメンといい、柱+梁溝の枠組みの隅角部を固定した構造)をなしています。一般的にコンクリート構造物を施工する際、型枠をつくり、流動性の高いコンクリートを流し込み、固めて完成します。ところが、前記の扇形の型枠を組むとなると非常に手間がかかります。当時構造物としては珍しく、大変貴重な工法によるものです。
■どこに設置されていたか
現存している「畳堤」は延岡市街地の船倉町、紺屋町、中央通の一部、祇園町の一部、北町の五ヶ瀬川沿いの堤防です。延べ980mがいまだに残っています。昔は大瀬川沿いにも設置されており、総延長は2,000mに及び、全部に畳をはめ込んだとしたら、約1,000枚の畳が必要になります。
■いつ頃造られたのか
五ヶ瀬川の大改修工事は、大正8年に五ヶ瀬川が準用河川(市町村が指定する公共の利害に重要な関係がある河川)になってから、中小河川改修として宮崎県によって行われてきました。その後、昭和26年に国が直接工事や管理を行う河川に編入され現在に至っています。しかし、現在では「畳堤」に関する文献は見当たりません。このため、一般から資料などを募ったところ「畳堤」堤防の竣工式の写真(下画像)が寄せられました。ただ日付が記入されていないため、何年ごろのものか不明です。
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(上画像は「畳で街を守る」に掲載された竣工式の記念写真 甲斐正人さん提供)
また、昔唯一の輸送手段だった帆掛け舟の浮かぶ大瀬川の写真が「ふるさとの思い出写真集」に掲載されていますが、この中に川沿いにある「畳堤」を見る事ができます。写真の説明文は昭和初期となっています。
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(上画像は「畳で街を守る」に掲載された昭和初期の大瀬川。「ふるさとの思い出写真集」に掲載されていた写真)
また、当時発行されていた地元紙「延岡新聞」の昭和9年4月6日付の、須崎橋竣工の特集記事に、大瀬川左岸の「畳堤」が写されています。これにより、「畳堤」の設置が昭和初期であることがわかりました。全国に五ヶ瀬川を含めて3つの河川に「畳堤」が存在しています。その中で五ヶ瀬川の「畳堤」が最も古いと推察されています。
記録によれば、昭和26年当時の文化人や見識者による「明治、大正、昭和三代に亘る延岡を語る座談会」記録から、昭和18年には未曾有の大洪水がありましたが、その時、川中地区の区長をされていた向井耕作さんの談話の記録に、「見回りで行った地区で畳で水の防御対策をとった」とあります。
■なぜこのような工法が考案されたのか
(1)方財と洪水
水郷延岡と称されるように延岡市内には、五ヶ瀬川、大瀬川、祝子川、北川の四つの大きな川が流れています。五ヶ瀬川の降水の原因は台風が殆どで「台風性河川」と一般に呼ばれています。台風が接近すると日向灘の湿った空気が一気に九州山地に吹き寄せて、急激に雲が発生し、豪雨をもたらすために洪水が頻繁に発生します。五ヶ瀬川流域に降った豪雨は一気に延岡市内に流れ込み、大きな被害を度々出しています。
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(上図は五ヶ瀬川の洪水について:畳で街を守るより)
延岡市街部の河川氾濫と海際に位置する方財町(大瀬川河口部)とは密接な関係があります。延岡市内の昔の河川氾濫状況を調べると、大瀬川が方財のところで北上して、東海のと頃で五ヶ瀬川と合流。さらに友内川、北川に合流して日向灘に注いでいました。一度豪雨が降ると、4つの川の水が一気に河口に流れ込みます。しかし、、河口が小さいために、流水は膨れ上がり、堰上げ現象(流水が止まってしまい、水かさが増すことによって起こる逆流現象)が発生して、水が逆流し、市街地は洪水の危機にさらされたのです。昭和42年からはじまった「方財締切り工事/昭和44年完成」と鷺島橋の架設により「毛なし浜」を通る以外のルートが確保されたため、毛なし浜の開削が可能となり、大瀬川は現在のルートを流れるようになりました。
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(上画像は「畳で街を守る」に掲載された昭和35年7月の大瀬川河口部。毛なし浜がつながり、道路がみえる)
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(上画像は「畳で街を守る」に掲載された平成13年9月の大瀬川河口部。毛なし浜が開削され、左側に鷺島橋が架かっているのが見える)
(2)毛なし浜を切ってくれ
昭和42年以前は、洪水の時に大瀬川河口の方財町の砂州、通称「毛なし浜」を開削しました。つまり膨れ上がった大瀬川の水を、毛なし浜を切って海に放し、市街地に逆流する河川の水位を下げるための作業が行われたのです。
この作業をする前に、常に市街地と下流の「毛なし浜」のある方財町との駆け引きがありました。上流の人たちからすると一刻も早く開削してほしいのですが、方財町の住民は、そう簡単に引き受けられませんでした。一度開削すると生活用道路が遮断されて方財町は島となり孤立状態になります。また、人力で水道をつくる開削作業は命がけの作業だったのです。
こうした市街地と方財町の住民とのやりとりのなかで、市街地の人たちは、はらはらしながら膨れ上がっていく河川水位の状態を見守っていました。毛なし浜開削を方財町から承諾してもらうまでの僅かな時間が問題だったのです。そこで考案されたのが「畳堤」ではないかと推察されます。
「畳堤」は一時しのぎのために考案されたものです。たしかに「畳堤」の構造では急流河川である五ヶ瀬川に耐え得るものではなく、堰上げした水位から受ける水圧に、長時間耐えることが出来るか疑問がのこります。
■延岡の主な水害
・昭和18年9月・・・・・(豪雨)
・昭和29年9月・・・・・(台風12号)
・昭和46年8月・・・・・(台風23号)
・昭和57年8月・・・・・(台風13号)
・平成5年8月・・・・・(台風7号)
・平成9年9月・・・・・(台風19号)
・平成14年9月・・・・・(台風14号)
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●畳堤画像
(平成18年6月27日撮影:松田秀人)
私も、なんとなくしか、見ていなかった「畳堤」でしたが、このような歴史やドラマがあったことを始めて知ることができました。今回の取材では西本さんといろいろなお話をさせてもらいましたが、いつの時代になっても、「身近にあるものを使い、アイデアと工夫で苦境をのりこえる」というスピリットは忘れてはならないということをあらためて感じることができました。そして実用性だけでなく、日々人々の目に触れる事を考慮し、景観を崩さないようなデザインになっている事に驚きました。さらに、「何かといえば行政にたよりがちな現在において、住民一人ひとりの防災意識の有り方を示唆した事例ではないでしょうか」という部分に関しては、昨年の台風災害の例や、これからやってくる台風シーズンの事を考えると、恥ずかしながら言葉がでませんでした。今回の取材をきっかけに、自分や近隣住民とできる「防災」についても考えようと思います。先人達がのこした「畳堤」には実に多くのメッセージが込められているのですね!
最後に、今回のレポートでご協力いただきました、西本師子さん、そして国土交通省九州地方整備局延岡河川国道事務所調査第1課の担当者方に御礼を延べさせていただきたいと思います。貴重な資料などいただきまして誠にありがとうございました。
投稿者 blogpawanavi : 21:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月12日
九州保健福祉大学国際交流レポート [ 文化 ]
毎年この季節になると、延岡市にはアメリカ・ブラジル訪日研修団がやってきます。訪日の目的は日本への理解を深める事。滞在期間は約3週間。滞在中、各地を訪問し、研修団達は日本の文化を肌で感じ、日本人学生達と様々な国際交流活動を行います。そんな研修団が何故延岡に来るのか?といいますと、延岡を代表する九州保健福祉大学には海外教育交流協定校があり、様々な受け入れ態勢も整っていることから、学生達の国際交流の場として、毎年たくさんの海外研修生が訪れるわけです。
今年の延岡滞在期間は7月9日〜7月12日。海外からの参加校は3校。九州保健福祉大学の海外教育交流協定校の中からアメリカ合衆国オハイヨ州”フィンドリー大学”、そしてブラジル連邦共和国パラナ州”パラナカトリカ大学”と”パラナ連邦大学”が延岡を訪れています。延岡滞在期間の中の内容としては、市民歓迎パーティー、七夕まつり見学、高千穂・阿蘇観光、延岡市内観光、市長表敬訪問、九保大学生との交流会、その他、などが用意されておりますが、今回のレポートでは、市民歓迎パーティーと高千穂・阿蘇観光の模様をご紹介いたします。また、延岡市内観光や、学生主催の交流パーティーの模様などは過去のレポートにも掲載しておりますので、ご参考までに、ぜひご覧ください。
(レポート:☆パワナビ松田)
投稿者 blogpawanavi : 18:12 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月25日
菜の花畑のむこうに古代ロマンがまっている! [ 文化 ]
いきなりですが「西都市にみなさま大変申し訳ございません!」今回は”どっぷり県北”のコーナーで西都市情報を紹介させていただきま〜す。「なんで西都が県北だ〜」と、の声が書きながらきも聞こえてきていますが、つっこまれ覚悟でまいりたいと思います。
さて県内ではフラワーフェスタが様々な会場で開催されておりますが、ここ西都原古墳群内も凄いですよ!今回の画像は05年3月24日のものですが、既に30万本の菜の花が首をなが〜くして皆さんをお待ちしております。さらに、もう少しすると2,000本の桜がとても美しく咲き誇り、なんとなんとライトアップもされ、夜桜も楽しめるとの事です。詳しい情報は西都市ホームページを見ていただくとして、今回の目玉はなんといっても、30万本の菜の花の向こう側にある”西都原考古博物館”なんです☆今回は綺麗な菜の花を見たというロマンチストなあなたを、さらにタイムスリップさせて、千年を超える古代ロマンに”どっぷり”浸かっていただこうと思います。
(レポート:☆パワナビ松田)
投稿者 blogpawanavi : 18:27 | コメント (0) | トラックバック
2004年06月18日
笑いの文化を広めたい!みやざき落語会 [ 文化 ]
梅雨まっ只中・・・。イヤですね〜オマケに台風なども来たり来なかったり・・・。そんなジメジメした雰囲気を吹き飛ばすには、やっぱり笑いが一番!ということで、今回のどっぷり県北は6月9日に延岡市のヘルストピアで開催された「第一回ヘルストピア寄席」の模様をご紹介いたします。
(レポート:☆パワナビ松田)
投稿者 blogpawanavi : 20:22 | コメント (0) | トラックバック
2003年11月13日
マルチメディアな3日間 [ 文化 ]
1988年の大分開催から始まり、今年で16回目となった全国マルチメディア祭は、「地域情報化の全国的な推進を図るため、毎年、総務省と都道府県が連携して開催するもので、地域情報化に関する国内最大規模のイベント」で、今回の趣旨は、「宮崎情報ハイウェイ21やすぐれたリゾート環境等の地域特性を生かし、IT活用の事例・実例を紹介し、地域情報化の推進、地域産業の活性化、県民福祉の向上等の起爆剤となることを目指します。」ということでした。11月6日〜8日にワールドコンベンションセンターサミットで開催された「全国マルチメディア祭inみやざき2003」は公式発表でメイン会場3日間の来場者数が66,200人、各フォーラム会場を合わせると74,500人となったそうです。今回のレポートは初日(6日)の様子で、この日の来場者数は18,229人平日にもかかわらず、多くの人で賑わっていました。ワールドコンベンションセンターサミットの2階から4階が会場になり、各階はいろんなテーマやシーンに分類され、最新のマルチメディアを体験出来たり、未来の生活を垣間見たりすることが、出来るようになっています。
(レポート:☆パワナビ松田)
投稿者 blogpawanavi : 14:23 | コメント (0) | トラックバック
2003年11月12日
全国マルチメディア祭2003inみやざき延岡会場レポ! [ 文化 ]
2003年11月6日〜8日にかけて県内各地で多彩なマルチメディアに関するイベントが開催されました。今回パワナビではメイン会場となりますシェラトンシーガイヤ、ワールドコンベンションセンターサミットと、11月7日に行う「地域情報化フォーラム延岡会場」の2箇所を取材いたしました。マルチメディア祭に関する詳細または宮崎市メイン会場レポートにつきましては上記のホームページでチェックしていただきたいと思いますが、こちら「どっぷり県北」では7日に開催された延岡会場のレポートをご覧いただきたいと思います。内容は延岡総合文化センター小ホールにて開催された「パネルディスカッション/子供の表現、IT、地域」をメインにおおくりしたいと思います。普段、中々お話しを聞くことのできない豪華なパネラーの方々が参加し、テーマに沿って、ご自身の経験などを交えながら興味深いお話しをしてくれました。またこの会場の模様は延岡市内にあります「山下新天街」という商店街特設ブースにもネットを利用して流されました。さらに動画による市民PRコーナーなども設置され、大勢の人々で賑わいました。そちらの模様もあわせてご覧ください。
(レポート:☆パワナビ松田)
投稿者 blogpawanavi : 20:51 | コメント (0) | トラックバック
2003年07月22日
国際交流 in 九保大 [ 文化 ]
月12日〜7月15日、延岡市にあります九州保健福祉大学には、アメリカとブラジルから「日本への理解を深めることが目的」という、学生研修団が来日し、九保大生達と楽しいひととき過ごしました。今年、国際交流にやってきたのは、アメリカ合衆国から「フィンドレー大学」。ブラジル連邦共和国・パラナ州からは「パラナカトリカ大学/パラナ連邦大学」!!これらの学校は九州保健福祉大学の海外教育交流協定校でもあり、6月29日から3週間の滞在日程の中で、7月12日〜7月15日は九保大を拠点に延岡市内をはじめ、高千穂峡や天岩戸神社などの見学や、市長表敬訪問、凧上げ体験、歓迎ライブ、その他様々な出来事を通し宮崎の夏を満喫し、また沢山の友人を作ってそれぞれの国へと帰っていきました。今回の「どっぷり県北」では7月14日の模様をスナップで振り返りたいと思います。とても盛り上がった歓迎ライブでは各国入り乱れてのセッションもあったりしたそうです・・・ん〜やっぱり音楽に国境はなかったみたいです☆
(レポート:☆パワナビ甲斐)
投稿者 blogpawanavi : 21:09 | コメント (0) | トラックバック
