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キラ星のような仲間たちと。よい地域とは

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高千穂峡を歩いたときに木漏れ日がハートの形に見えました。写真で見ると、太陽は宇宙なんだなと、あらためてその美しさに感嘆。ハートの形に見えるかどうかは、別の話としてですね。

昨日は、高千穂の夏の一大イベント、サルタフェスタがありました。僕は商工会青年部で屋台を出していて、忙しくて写真を撮る暇なしでしたので、写真はなしです。

年々、賑わっていくサルタフェスタですが、内容は音楽フェス+花火大会、夏祭りのエトセトラ。盆明けの日曜日ということもあり、地元町民に、帰省組、観光客が集まっての大変な賑わいです。

浴衣姿の可愛い子も多く、普段はどこに潜んでいるんだろうと、毎年仲間とそう言う話になります。

冬の神楽がそうであるように、夏のサルタも町民のエネルギーの集結、爆発の場、そういう場をつくっているのが僕より年下の若者たちなので、少し年上のお兄さんとしてはとても嬉しいですし、誇らしくもあります。恥ずかしい話、感心してばかりです。

青年部の屋台にしても、部員それぞれがそれぞれの仕事を見つけ、役割を果たし、一生懸命取り組みます。不器用な僕としてはこちらも感心するばかりです。

高千穂で暮らす若者は、都市で暮らす若者よりも、一人一人の果たすべき責任というのが、おそらく、とても大きく思います。それは、相対的に見て高千穂のほうが若者が少ないからです。それと構造的に住民として、果たすべき役目が、多いからです。地域の草刈り、消防団、田畑の管理、水の管理、町づくり、エトセトラです。

その上に、自分たちで自分たちで面白いと思うこと、必要だと思うことに、取り組んでいくわけですから、結構なハードワークとなります。

みんなが顔見知りのような小さな町ですから、その分、風当たりが強いときもあります。そんな中で、揉まれているわけで、その中で強くなり、成長していきます。継続してもがき続ける仲間を見ると、頑張っちょるな〜と思いますし、良い刺激となります。挑戦する場があることは、とても幸運なことだとも思えます。

それにしても、と思うのは、ここに来てその仲間の成長が著しいと思うのです。それぞれがそれぞれの個性を発揮して、キラキラと輝いております。星のごとくです。

サルタの中心でやっている仲間たちも、中では大変な思いでやっていると思います。その他の仲間たちもそうです。若者たちばかりではなく、年上の方たちもそうです。だけれども、しっかりと前進しています。

生まれてくるもの、引き継がれるもの、それが何なのかはもっと深く考察せねば分かりませんが、サルタフェスタを終え、あらためて“よい地域だな〜”と、思います。

下記は、高千穂にゆかりのある民俗学者、結城登美男先生が示してくれた「よい地域であるための7つの条件」です。

1、よい仕事の場をつくること。
2、よい居住環境を整えること。
3、よい文化をつくり共有すること。
4、よい学びの場をつくること。
5、よい仲間がいること。
6、よい自然と風土を大切にすること。
7、よい行政があること。

ひいき目はあるかもしれませんが、僕が感じるところでは、高千穂は良いとこいっています。弱い部分は、「1、よい仕事の場をつくること」。肝心な部分なので、しっかりと取り組んでいかなければなりません。だけれども、そこも解決していくでしょう。

キラ星のような仲間たちと、よい時代が築けるように、僕も努力したいと思います。老いぼれてばかりは、おられません。

 

歴史に学ぶ 名護屋城と玄海原子力発電所

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写真は、佐賀県唐津市の名護屋城跡から眺める九州電力 玄海原子力発電所です。豊かな緑のその奥にあり、その向こうが玄界灘です。よく考えると初めて見る原子力発電所かもしれません。ドーム型の屋根、本当に小さな建物です。こんな小さな建物が、人の命を奪い、暮らしを破壊すると思うと、そら恐ろしくなりました。

この日は、九青連(九州商工会青年部連合会)の会議の翌日で、地元商工会青年部が観光ツアーを組んでくれました。日本三大朝市・呼子の朝市や、鯨組主・中尾家屋敷見学、遊覧船に乗っての七ツ釜探検クルージング、名護屋城跡巡り、昼食には地元青年部が考案した、からつ上場ちゃんぽんをいただきました。

唐津地方の豊かな風土と、生き生きとした暮らしが垣間みれて、とても充実した内容でした。特に名護屋城跡では、ガイドのお姉さんが一時間近くにわたり熱のこもった語りで案内し、名護屋城と諸大名の陣容跡、その有り様を分かりやすく解説してくれました。

天下人・豊臣秀吉は、この地から大陸を目指し名護屋城を築城しました。今では石垣と陣容跡が残る遺跡ですが、当時は、大阪城に次ぐ規模の雄大な城だったようです。全国の名だたる武将が一堂に集まったという点でも豊臣政権の威光を示す象徴的な城であったといえるでしょう。

だけれども、名護屋城は豊臣秀吉没後、すぐに廃城となりました。天下人は徳川家康となり、豊臣家とともに名護屋城も解体されています。まさに”兵どもが夢のあと”となりました。

一方、原子力発電所です。唐津地方を旅して感じたのですが、原子力発電所があっても、なくても地域には暮らしがあるということです。だけれども、ひとたび事故がおこれば、暮らしは破壊されます。暮らしとは、過去現在未来と永続的に続いてきた、続いていく、人の営みのことです。“命”と言ってもよいでしょう。

2011年3月、福島ではこの“命”が奪われました。今なお、その命は破壊され続けています。アベノミクスという言葉では誤摩化せない現実が日本にはあります。

時の天下人、日本の総理大臣たちは、何をのぞみ原子力発電所を築いてきたのでしょう。名護屋城との歴史が重なって見える玄海原子力発電所。大切な仲間の生命、暮らしを奪うことなく、静かにその役割を終えてほしいと切に願います。