2009年06月22日

ひでじビール・醸造者インタビュー 〜 片伯部智之・梶川悟史 [ インタビュー ]

☆ジャパンアジアビアカップ2009ピルスナーボトル部門金賞受賞

 今や全国を代表する地ビールとなった『ひでじビール』。2006年に導入した『ビール酵母純粋自家培養技術』を駆使し、研究に研究を重ねて開発された『太陽のラガー』は、今年2月に『宮崎県優良県産品』に認定され、さらに6月6日(土)・7日(日)に東京都で開催された地ビールの祭典『ジャパン・ビアフェスティバル 2009 in 東京』の会場にて行われた、『ジャパン・アジア・ビアカップ2009授賞式』において『ピルスナーボトル部門金賞』を受賞するという快挙を成し遂げました。
 『ひでじビール』といえば、宮崎人ならたとえ地ビールファンでなくとも一度は聞いたことがある名前だと思いますが、しかしいったいどのような人がどのような想いをこめて醸造しているか?というのはあまり知られていないところです。
 そこで今回のインタビューでは、醸造者である片伯部智之さんと梶川悟史さんに、このたび金賞を受賞した『太陽のラガー』にまつわるエピソードをはじめ、ビール職人の道に入るきっかけや、ビールづくりに対する想いなどをたっぷりと語ってもらいました。
(レポート:松田秀人) 

20090621-hideji-001.jpg 20090621-hideji-002.jpg
▲左:醸造者・片伯部智之さん(右)、梶川悟史さん(左) 右:金賞受賞『太陽のラガー』


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆ひでじビール プロフィール

20090415-hideji-006.jpg

<ひでじビールの沿革>
1996年6月  延岡市行縢町にひでじビール醸造所 設立
1996年6月  延岡市中町にレストラン『リバーピア』オープン
1997年10月  ボトリング設備を導入し、瓶での販売を開始
1998年3月  低温貯蔵サーマルタンク導入増設。低温貯蔵庫を増設。
1999年4月 宮崎市にひでじビール企画室を開設
2001年3月 タンク増設
2006年10月 ビール酵母純粋自家培養技術導入
2007年5月 iTQi 国際食品審査会 優秀味覚賞受賞
2009年2月 宮崎県優良県産品に認定
2009年6月 ジャパン・アジア・ビアカップ2009ピルスナーボトル部門金賞受賞
2009年6月 延岡市中町に『延岡麦酒蔵 Hideji 和厨房』オープン

<ひでじビール醸造所>
20090621-hideji-003.jpg
〒882-0077
宮崎県延岡市むかばき町747-56
TEL:0982-39-0090
FAX:0982-38-0080
URL:http://www.hideji-beer.jp/


☆太陽のラガー(県認定品)
20090621-hideji-004.jpg
◆2009年宮崎県優良県産品に認定
◆ジャパンアジアビアカップ2009ピルスナーボトル部門金賞受賞
宮崎の太陽をイメージしたあのラガー登場。
みやざきの青い空に美しい海。
太陽の恵みを受けた原料を使い、太陽の色を表現。
喉越しはキリッとキレのよさが爽やかなジャーマンピルスナー。
◆限定ピルスナー330ML 瓶  600円(税込み価格、送料別)

※パワナビプレゼントコーナーに商品(商品N0 07)をご提供いただいております。
URL:http://www.pawanavi.com/cgi-bin/csvmail/sinemapresent.html

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆インタビューその1 金賞受賞について

僕らが目標にしていたいちばんの激戦区で認められたのが嬉しい。

20090621-hideji-007.jpg
▲会場風景(画像提供:片伯部さん)

-----まずは『ジャパン・アジア・ビアカップ 2009 / ピルスナーボトル部門』にて『太陽のラガー』が金賞を受賞されました。おめでとうございます。

片伯部:ありがとうございます。今回金賞を受賞させてもらった『ピルスナーボトル部門』というのは、日本でいちばんメジャーであり競争も激しく、なんといっても今まで僕らが目指してきたところでもあるので、結果を出せたことがとても嬉しいです。ちなみに受賞式は6月6日(土)・7日(日)に、東京は『恵比須ガーデンプレイス ザ・ガーデンホール』にて『日本地ビール協会』主催により開催された、日本最大のクラフト・ビールイベント『ジャパン・ビアフェスティバル 2009 in 東京』の会場で行われたのですが、入場料さえ払えば、120〜200種類以上のビールを1回50mlずつ何回でも試飲できるということから、オープン前から長蛇の列ができるほどの人気で、何千人もの来場者を前にとても緊張しました。

梶川:スケジュールの関係から、僕は授賞式に行けなかったのですが、実は4月に入賞の報告はあったんですよ。その時は、とにかく三位以内には入っているという知らせのみで、それが金なのか銀なのか、それとも銅なのか?というのは授賞式当日までわからなくて……。でも入賞の連絡が入った時は、メダルの色に関係なく、とにかく自分達がやってきたことが認められたという、ただそれだけのことが嬉しかったんでね。しかしそこから先のメダルの色となると、その意味合いがちょっと変わってきます。何故なら、僕ら醸造者だけでなく、ここまで一緒に頑張ってきたひでじスタッフや会社や、今まで協力してくださった方々、そしてユーザーのみなさんと共に喜びを分かち合う部分だからです。そんなことから「できれば金」「いや絶対に金」と願いつつ、順位発表までの期間はなんともいえない緊張感でいっぱいでした。だから「金」という報告が入った時には、正直いって嬉しさよりも安堵感のほうが大きかったです。

20090621-hideji-005.jpg
▲会場風景(画像提供:片伯部さん)

-----さて『宮崎県優良県産品』にも認定されている『太陽のラガー』ですが、『ジャパン・ビアフェスティバル 2009 in 東京』の会場での評判はいかがでしたか?

片伯部:もちろん私たちの『ひでじビール』も会場にブースを構えていましたから、たくさんのお客さんが足を運んでくれました。会場のお客さんたちはといえば、大体が日本でお馴染みの『ピルスナー系』から攻めていって、あとは好みで、ヴァイスやエールなど、バラバラと散らばっていくパターンがほとんどなのですが、だいたいうちのビールははじめのほうに飲まれることが多かったですね……。でも、何人ものお客さんが、ぐるっとまわってきて「ひでじビールが一番美味しかったから戻ってきた」とわざわざ報告してくれました。本当にありがたいことです。

20090621-hideji-006.jpg
▲会場風景(画像提供:片伯部さん)

ホップへの徹底したこだわりが審査員たちに伝わった。

-----ところで審査方法を教えてもらえませんか?

梶川:審査のやり方はシンプルそのものといったブラインドテストです。番号が描かれたグラスに入ったビール飲んで、ただその味と香りのみを評価し点数をつけます。だから銘柄や生産地はもちろん、何処の水を使ってどのような製造方法を用い、どれだけ努力したかなどといった情報はいっさい関係なく、まったくの味だけで選ばれるのです。

片伯部:今年4月に全国50社、合計133銘柄の味自慢のビールがエントリーされ、25名のジャッジにより、各部門上位三銘柄が選ばれ、最終発表のみが授賞式で行われたわけです。ちなみに『ピルスナーボトル部門』の上位三銘柄は、激戦区だけにどれも完成度が高く、審査時間が終わっても決まらないという激戦だったそうです。

梶川:そんな中で選ばれたわけだから、もう奇跡に近いんですよ!審査員の方々も凄く悩まれたようですが、でもそれって悪いことじゃなく、とても高いレベルで迷われたということなのです。何故なら評価に値するビールがない場合は、金賞該当銘柄無しという結果になることも多々ありますから……。

20090621-hideji-016.jpg

-----審査員たちの『太陽のラガー』の評価ポイントはどのような部分だったのですか。

片伯部:評価ポイントはホップの苦味と香り、麦芽の甘味のバランスのよさだとおもいます。でも上位になればその辺のバランスもきっと甲乙つけがたいところだと思うので、その中でも何か印象にのこる強さがなければならないんですよ……。たぶん僕らのホップへの徹底したこだわりと、今回の審査委員の方々の好みがうまい具合にマッチしたのだと思います。だからこそ奇跡的なんです。

梶川:なによりほっとしたのは、自分達の味覚や嗅覚がまちがっていなかったということですかね(笑)。だって自分達では凄くいいと思っていても、勘違いの自己満足という可能性も無きにしもあらずですからね……。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆インタビュー その2 ビールづくりについて

応募の動機は「ビール職人ってかっこいいな」だった。

-----ビール職人の道に入ったのはいつごろですか。 

片伯部:延岡市ではおなじみの『行縢山』のふもとに『ひでじビール醸造所』が設立されたのが1996年です。僕が『ひでじビール』に入社したのは今から8年前の2001年。入社当時は企画や営業といった業務に携わっていたので、ビールの醸造に関してはさっぱりわかりませんでした。その後、社内で人事移動があり、この『行縢醸造所』で地ビールづくりをはじめたのが4年前の2005年のことです。移動を聞かされた時は正直びっくりしました「えっ俺?」みたいな……。

梶川:僕は2006年4月に入社しました。ちょうど『純粋自家培養』が始まる少し前にビール職人を募集していたので「ビール職人ってかっこいいな」といった凄く単純な動機で面接を受けました。当時は山の測量が仕事でしたから、ビールづくりの経験はまったくありませんでした。

20090621-hideji-008.jpg

地味な作業にどれだけ心をこめられるか。

-----失礼ですが、ある時期を境に急にビールの味が良くなりましたよね。

片伯部:ああそれはきっと僕が製造に関わって1年後の2006年あたりからですね。その年の10月に『ビール酵母純粋自家培養技術』を取り入れ、この『行縢醸造所』で自家培養をはじめたんです。そこから急激に味が変わったと思いますね。確かにその分だけ手間がかかるようにはなりましたけどね……。倍……。いや三倍以上かな?

梶川:でも単に純粋自家培養をしただけでは美味しくならないんですよ。まずは純粋培養を活かした商品をつくるための環境が調っていなければ話になりません。いかにして酵母以外の外敵がいない状態の中で純粋培養により元気な酵母をつくりあげるかが大切です。さらにせっかくの酵母を劣化させないために、きれいな環境で酵母を扱うというのも同様に重要視されます。

片伯部:酵母は生き物だから管理がとても大変なんですよ。雑菌が少しでも混ざっていたらそれだけで品質が変わってしまいますから……。だから『純粋自家培養技術』といっても、一にも二にも衛生管理の徹底が味に直結してしまうのです。ちょっとさぼると直ぐに味が落ちるから怖いですよ。

梶川:僕らは常にタンクをバラバラに分解して清掃を行っています。決して大げさではなく、清掃が仕事なんじゃないか?っていうぐらいやっていますよ。入社のきっかけは「ビール職人がかっこいいから」なんて、今となっては何を基準にして言っていたのかわかりませんが(笑)。でも生き物を扱うってそういうことなんです!

片伯部:地味な作業にどれだけ心をこめられるかというのは、我々職人にとってとても大切なことです!

20090621-hideji-009.jpg

自分達のやっていることは本当に正しいのか?って何度も考えました。

-----ビール酵母純粋自家培養を取り入れたきっかけは?

片伯部:1996年の酒税法改正により、当時全国に地ビールをつくる工場がたくさん出来たんですよ。もちろん多い地域、少ない地域はありましたけれども、平たくすると、各県に5つはあるような状況だったんです。そんなことから一時は『地ビールブーム』などもありましたが、発泡酒や第三のビールにおされ、地ビール工場の数も年々減っています。現在は有名な観光地などで第三セクターとして地域ぐるみで運営をしているか、シンプルに味で勝負しているところでなければ、安定したユーザーを確保できないので厳しいのではないでしょうか?そんなことから、全国的に有名な観光地にあるわけでもなく、ましてや第三セクターで運営しているわけではない私たちとしては、ブームの延長線では生き残ることが難しいと考え、結果的に味にメスを入れる運びとなったわけです。

梶川:ビール酵母の純粋自家培養の話題が持ち上がったのが、僕が入社して3ヶ月後ぐらいだったので、当時のことはとても印象にのこっています。確かにその当時はその当時なりに頑張ってはいたのですが、やはり今ほどの味でなかったのは事実ですね。生き残りをかけて新たな戦略を試みる会社としては、無菌室やら新しい設備やらで、莫大な資金を投資しなければならず、それだけに僕らには、確実に結果を出さなければならないという大きなプレッシャーもかかってきたし、そのわりには自家培養なんて言葉聞いたのは初めてだし、まったく経験がないから「こうすれば絶対」という自信もないわけで…・・・。とにかく入社早々不安は多かったですよ。

片伯部:純粋自家培養の方向に進もうと決定すると、すぐに指導者の方と何度も打ち合わせを重ねました。ところが新工場についてあれこれ意見してくださるのはいいのですが、そのたびに「あの設備が必要、この機械じゃ駄目」と見積もり金額がどんどん膨れあがり、二人で「こんなの絶対ありえん!」って苦笑いをしていたのを覚えています。

梶川:大手メーカーならともかく、地方の地ビール工場で完全な純粋自家培養を行っているところなど聞かないし、これといったサンプルやこうすれば成功するといった答えがあるわけでもないから、まったくの手探りのなんですよね……。そのくせ、お金ばっかりかかるのだから「ありえん!」と思うのは当然ですよね(笑)。

20090621-hideji-010.jpg

-----地ビールの世界に入って3年で結果が出たというのは早いような気がしますが。

梶川:客観的に数字だけ見れば、確かに3年というのは早いかもしれませんが、現場での3年間は内容がぎっしり詰っていたので、それなりに感じてはいるんですけどね……。でも実際に純粋自家培養をはじめてから、その効果が形となって出はじめたのが1年後ですから、その間というのは物凄く長く感じましたよ。「自分達のやっていることは本当に正しいのか?」って何度も考えましたし……。

片伯部:工場の形態を純粋自家培養に切り替えるにあたり、我々初心者としては、当然勉強をしなければならず、かといってここは学校ではなく企業だから通常業務もこなさなければなりません。なにせこうした地ビール工場は少人数で運営していますから年中忙しいんですよ。だから朝から夕方まで勉強し、それから朝まで仕事をしたり、またその逆だったりと、かなり睡眠を削っていました……。感覚的に3年以上の時間を感じるのはそんなことからですかね……。まあいまだにそんなことが続いてますけど(笑)。

20090621-hideji-015.jpg

新しい発見って、どこからともなくいきなりやってくるんですよ!

-----ひでじビールは2年前の2007年に『iTQi 国際食品審査会 優秀味覚賞』を受賞していますよね!

片伯部:純粋自家培養切り替えに向けて、動きはじめてから約1年が経ち、以前に比べて評判もよくなり、自分たちでも「あきらかに美味しくなったのでは?」と思いつつも、やはり一度まったくの外部から厳しい意見をもらおうと考え、出してみたのが『iTQi』なんです。

梶川:切り替え当初は中々結果に繋がらなかったんですよ……。勉強も頑張ったし、ここまで設備を整えたのに駄目かって……。そこから自分達なりの試行錯誤がはじまり、少しづつ結果がではじめたものの、やはりどこかで「自己満足ではないか?」という想いが付きまとっていたので、正直言って受賞した時は「自己満足に終わらなかった!」って嬉しかったですね。

片伯部:本当に、あることがきっかけとなって味ががらっと変わったんです……。それだけに「こんなことが起こって本当にいいの?」って変な不安がわいてきたりして……。そんな中での受賞ですから「自己満足」をクリアするだけでなく、「自分達にも発見できる」という喜びがをもてたことは、その後を考えればとても大きかったと思います。たとえば酵母を活性化させることに関しても、後から考えれば「何でこんなことに気が付かなかったんだろう」と思うことが多々ありましたが、新しい発見って教えられているうちは無理ですよね。自分達で試行錯誤をしているうちに、どこからともなくいきなりやってくるんですよ(笑)。

20090621-hideji-012.jpg

-----商品に関するアイデアはどのようにして出されていくのですか?

梶川:アイデアはですね、僕と片伯部さんが正反対だからちょうどいいんですよ。どちらかといえば僕は理論派で、片伯部さんは直感派なんです。もちろん意見が衝突することも多々ありますが、うまい具合にお互いの欠点をカバーしあったりして、自然とシステムが出来上がっているみたいです。

片伯部:まあ切り口が違うから当然ぶつかるけど、見ている方向が一緒だから、ある意味安心感もあるんですよ。僕がやれていないことも知らないうちにクリアできていたり……。助けられることも多いですから。

20090621-hideji-013.jpg

『太陽のラガー』はひでじビールのフラッグシップと呼べるもの!

-----このたび金賞を受賞した『太陽のラガー』のエピソードなどお聞かせください。

梶川:『太陽のラガー』に関しては、現時点での僕らの集大成的な1本をつくり、全国のひでじビール会員さんたちにお届けしたいと考え、レシピづくりをスタートしました。なにせ集大成ですから、もうありとあらゆることを試みましたよ。各地の様々な工場を見学させてもらい個性的なアプローチに直接ふれさせてもらったり、もちろん試飲をしながら自分達なりに分解もしたし、本やインターネットからも様々な手法や技術をひっぱりだしてきたり……。

片伯部:一番苦労したのはホップですね……。ホップは香り付け苦味付けで使うビールづくりには欠かせないものなのですが、それを何種類かブレンドさせるんですよ。その時に、このビールは定番ビールとは異なる製法を用いたのですが、どこでOKサインを出すかが問題でしたね。誰かが答えを出してくれれば楽なんですが、基準は自分達ですから……。

梶川:そしてそれを消化するために、実際に何度もつくり、味を調え、「ここだ!」と納得のいく基準を見つけだすと、真っ先に会員さんたちにお届けしたんですよ。自信作なだけに反応が怖かったのですが、嬉しいことにそれが好評で、気付いてみれば、2009年に入ってからすぐに『宮崎県優良県産品』に認定され、その後今回の金賞受賞に繋がったわけです。

片伯部:もちろん、きつね、もぐら、いのしし、むささび、といった先輩たちがレシピを考案し、それを僕らが受け継いでいる『ひでじ定番ビール』もあり、それも大切に守っていますが、『ビール酵母純粋自家培養技術』を導入してから僕らが独自に開発したビールの中では、この『太陽のラガー』はベストなものだし、決して大袈裟ではなく、ひでじビールのフラッグシップと呼べるものだと思います。名前やラベルなども全て、現在のスタッフみんなで考えました。その想いが今回結果に繋がったのは本当に嬉しいことです。今後は『太陽のラガー』がひでじの看板を背負って立つことができるよう、さらなる品質向上にむけて頑張っていきたいと思っています。

20090621-hideji-014.jpg

-----最後にお二人の今後の目標をお聞かせください。

片伯部:これからは今回の受賞に胡坐をかかず、さらに進化をつづけていきたいと思っています。少しでも気が緩むと、それはすぐに味や香りに現れてしまいます。飲んでいただいた方に「これが金賞の味かよ」なんて絶対に言われたくないですから、ある意味本当の勝負はこれからだと考え、気を引き締めて頑張りたいと思います。そして何より、小さなタンクでしかつくることのできないビールにさらなる磨きをかけていきたいです。喉越しを楽しむビールがあるように、食べるビールと言われるクラフトビールならではの醍醐味を提供することを忘れず、これからも真剣にビールと向き合っていきたいと思います。

梶川:やはり現状で満足せず、常に自分は挑戦者だという意識を持ち続けてビールをつくっていきたいです。ちなみに、このたび発泡酒の免許もとれたので、南国宮崎ならではという香りがする発泡酒などにも挑戦していきたいですね。とにかく冒険する心を忘れず、これからも片伯部さんとは仲良く喧嘩しながら頑張ります。

投稿者 blogpawanavi : 20:55 | コメント (0)

2009年06月16日

東京”美”職人 〜 シンプル モダン マクロビオティック 平田 優シェフ [ インタビュー ]

 食べて美味しく、つくって楽しいのがシンプルモダン。
 平田 優シェフ ロングインタビュー

 東急東横線と大井町線が上下に重なる自由が丘駅南口から徒歩で約三分。通り沿いにずらりとベンチが並ぶ九品仏川緑道と交差する、小さな坂道の中腹から静かな路地に入るとすぐに目に入る「ト音記号」を模したゴールドの「S」マーク。ここが平田 優シェフが手がけるマクロビオティックスイーツ専門店『パティスリー・シンプルモダンマクロビオティック』である。
 この店舗がオープンしたのは2009年の1月。ショーケースに並ぶ、無農薬・有機栽培された素材と、卵、乳製品、白砂糖不使用にこだわってつくられたマクロビオティックスイーツの数々は、一般的な自然食品とは異なり、味は言うまでもなく、どの商品も洗練されており美しい。そんなことからマクロビオティックを実践している人々をはじめ、一般的なスイーツファンからも支持されている。

----------------------------

20090612-smmb-003.jpg 20090612-smmb-004.jpg
▲平田シェフの店舗:パティスリー・シンプルモダンマクロビオティック
URL:http://simplemodernmacrobiotic.com/

----------------------------

 店舗の入り口に立ち、画廊の中の様子をうかがう様な慎重さで店舗内を覗いてみると、何組かの女性客がテーブル席で午後のひとときを楽しんでいるのが目に映った。できる限り勢いをころし、重量感のあるドアをそっと空けると、ウォールナット材の優しい色合いと重厚な木目が印象的な床が出迎えてくれた。
 小気味よく響く靴音に耳を傾けながら、真っ白な壁に目をやると、そこにはあたかもこの店にぴったりの絵画が飾ってあるかのごとく、照明の光が作品にむけて規則正しく楕円を描いている。しかし実際には、絵はおろか、壁には何の飾りつけもされていない。かといって無機質な冷たさなどまったく感じないどころか、空間からはむしろ心地よいエネルギーの温度を薄っすらと感じる。

20090612-smmb-001.jpg 20090612-smmb-002.jpg
▲左:平田 優シェフ 右:ロージア(ブルーベリー・トーフチーズケーキ)

 なにげなく店舗奥の厨房に目をやると、真剣な表情でスタッフとやりとりをする平田シェフの横顔がみえた。特に声をかけたわけではないのだが、目があうとすぐに、平田シェフは作業の手を休め厨房から出てきて「お待ちしてましたよ」と、初対面にも関わらず、三日前に顔を合わしたばかりの知人と接するような自然な笑顔で迎てくれた。平田シェフは店舗内の白い壁に沿って並べられた十二脚あるイスのいちばん奥に腰を下ろすと、さっそく子供の頃の思い出話を語ってくれた。
(取材・文:松田秀人)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆平田 優シェフ プロフィール

 東京生まれ東京育ち。マクロビオティック(Macrobiotic)料理のシェフである平田 優氏は、料理講師と共に、日本雑穀協会認定の雑穀エキスパートという顔を持っている。
 1988年、東京のフランス料理店『Le coupe shou』で料理長(27歳の時に就任)を務めながらフランス各地をまわる。2002年、日本においてマクロビオティック料理を広める活動をしているスペインのパトリシオ・ガルシア・デ・パレデス氏に基礎を学び、東京のマクロビオティックレストラン『KUSHI GARDEN』総料理長となる。
 その後、2006年6月にマクロビオティックと雑穀の普及事業を目的とする会社『スパイラルLLC』を設立し『シンプルモダン』をテーマに独自のマクロビオティック料理を発表。同時に全国各地のホテルやレストランなどで、料理顧問・アドバイザーを務めつつ、『月刊マクロビオティック』(日本CI協会発行)にフレンチのエッセンスを活かしたマクロビオティック料理のレシピを紹介。
 そして2008年12月には『月刊マクロビオティック』内で2年間におよび連載をしたレシピをまとめた書籍『Simple Moderne Macrobiotique』を発表(下記参照)。翌2009年1月には、待望のマクロビオティックスイーツ専門店、パティスリー 『シンプルモダンマクロビオティック』をオープンした。

◆平田 優シェフのブログ
URL:http://macrobiotic.jp/modules/wordpress1/

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆マクロビオティックとは

 思想家であり食文化研究家である桜沢如一(さくらざわゆきかず:1893年-1966年)氏 が『健康による長寿』をテーマに食生活法や食事療法を独自に体系化したもの。海外ではマクロビオティック理論の提唱者として、ジョージ・オーサワ(George Ohsawa)の名で広く知られている。ちなみに「マクロ」とは「大きい・長い」を意味し、「ビオ」は「生命」、「ティック」は「術・学」を意味する。

日本CI協会(創設者:桜沢如一)
URL:http://www.ci-kyokai.jp/

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆インタビュー

◆つくるのはいつも長男である僕の役目だった。

-----初めて料理をつくった頃の事を覚えていますか。

「僕は三人兄弟の長男で、下に妹と弟がいます。両親が共働きだったもので、小さい頃から三人で留守番をすることが多く、妹達が『お腹が減った』といえば、ちょっとした簡単な料理をつくるのはきまって長男である僕の役目でした……。確か小学校の4年生ぐらいからそんなことをしていましたね」

-----料理をつくるのが好きだと意識したのはいつごろですか。

「それもその頃だったと思います。だから小・中学校時代に好きだった科目といえば、やはり家庭科の授業で料理をつくることでしたね……。高校生になってからは、もっぱらレストランや喫茶店といった飲食関係の店で積極的にアルバイトをしていましたので、学校での授業と比べたらかなり実践的になり、現場にどっぷりと浸かっているうちに、いつの日からか、卒業したら流れのまま料理人になろうと考えるようになりました」

-----まずフランス料理の道に進まれましたが、それはどのような理由からですか。

「料理人になりたいといっても、様々なジャンルがありますよね。和食、中華、イタリアン、その他……。そんな中でフランス料理を選んだのは、はっきりいって『ただカッコいい』ってだけの理由からでした。まあ、なにぶん当時は18歳でしたから、ジャンルよりも、まず『料理人になりたい』という熱い気持ちがあって、その次が『どうせやるならカッコいいほうが』ぐらいの感覚です」

20090612-smmb-008.jpg

◆日本とフランスの行き来で独自の技術と思考を磨く。

-----フランスと日本を行き来していたそうですが、それはいつごろからですか。

「はじめてフランスに行ったのは、高校を卒業してすぐの勤め先である、東京のフランス料理店(Le coupe shou)での研修という形でした。その後は同じフランス料理店で働きながら、たまに休暇をもらってフランスへ渡り、料理研修や食べ歩きをしました。さらにフランスは農業の技術開発が盛んな土地なので、生産農家をあちこち見学にまわったりし、休暇が終わるとまた日本に戻り、料理をつくる……。そんなことを何年も繰り返していました」

-----修行に関してですが、たとえばフランスに年単位で長期滞在することは考えなかったのですか。

「やはり店のことも気になりますし、ビザの関係もありますから、何年も『行ったきり』というわけにはいかないので、滞在期間としては長くてもせいぜい1ヶ月が限度なんですよ。だから回数で勝負するしかありません……。ただ日本には大切なお客さん達がいるので、店を辞めて何年も渡仏するということは考えませんでした。そうこうしているうちに約10年が過ぎ、27歳の時に料理長に就任させていただきました。もちろん、フランス料理を極めるからには、若いうちからフランスに渡り現地で修行するというやりかたもあると思いますが、僕のように吸収してきたことを直ぐに日本の現場で活かし、また課題をもってフランスに渡る作業を地道に繰返すというやりかたも、決して悪くはなかったように思います……。なにより当時の日本はバブル景気の真っ只中でしたから、高級食材もふんだんに使えたし、それを求める人も多かったので、とにかくつくること自体が楽しかったのを憶えています」

-----フランスでは、料理修行や食べ歩きだけでなく生産農家にもよく足を運ばれたとおっしゃいましたが、それはどのような理由からですか。

「前々から料理の技術面だけでなく、食材そのものに真剣に目を向けなければならないと感じていました。特にヨーロッパは農業技術や経営に対する考え方が進んでいますし、中でもフランスは、農作物の自給率がほとんどの品目で100%を上回っており、有機農業(有機栽培、オーガニック農法)なども盛んで、食材に対する目の向け方も当時の日本とは異なる部分が多々ありましたからちょうど良かったですね。また実際に食材が最新の技術でどのようにして育てられているのかを、自分の目で確認できましたし、現地の家庭料理などを通じて、素材の活かし方や食文化にふれることもでき、食に対する考え方が深まったのが僕にとっては大きかったです」

20090612-smmb-009.jpg

◆マクロビオティックとの出会いは偶然じゃなく必然だった。

-----マクロビオティック料理との出会いは何時ごろですか。

「生産農家に足を運んだりするようになってから徐々に材料も自然なのものにこだわるようになり、ちょうどその頃、東京のマクロビオティックレストラン『KUSHI GARDEN』のオーナーさんと知り合って、それがきっかけでマクロビオティック料理の道に進むことになりました。確か2002年のことです」

-----マクロビオティック料理にどのような印象をもたれましたか。

「その時はオーナーに『KUSHI GARDENの料理長をお願いしたい』と言われ、僕的な勝手な認識から、恥かしながら『動物を使わないベジタリアン料理』ぐらいの軽い気持ちで引き受けてしまったんですよ。ところがすぐに、マクロビオティックの奥深さを知り、びっくりしてしまいました……。自分もこれまでにフランス料理を通じて様々な経験をしてきましたし、素材そのものや素材の活かし方なども勉強してきたつもりだったのですが、そこからかなりの専門的な勉強が必要でした」

-----マクロビオティック料理の基礎はどのようにして学ばれたのですか。

「もちろん日々独学もしましたが、当時の『KUSHI GARDEN』には、『シェフトレーナー』という形で、マクロビオティック料理を日本に普及する活動をされていた、スペイン人のパトリシオ・ガルシア・デ・パレデス氏がいらっしゃったので、彼から基礎を学びました」

20090612-smmb-010.jpg

-----渡仏やフランス料理を通じて学ばれたことは役にたちましたか。

「もともとマクロビオティックは、桜沢如一氏(さくらざわゆきかず:1893年-1966年 マクロビオティック理論の創始者)が『健康による長寿』をテーマに食生活法や食事療法を体系化したものなのですが、昭和初期の日本ではあまり受け入れられず、『このままではいけない』と考えた桜沢如一氏が、マクロビオティック理論を広めようと、はじめに行った国がフランスなのです。だから、この道に入ったばかりの頃は『まったく勝手がちがうな』と困惑していましたが、勉強が進むにつれて、フランスの様々な部分にマクロビオティック的な考え方が浸透しているのがわかり、『フランス料理とマクロビオティックって全然かけ離れていないんだ』と考えられるようになってからは、かえってフランス料理をやっていたことが自信に繋がりましたし、こういう仕事に出合ったのは『偶然じゃなく必然だったのかな』って思えるようにもなりました」

-----本格的にマクロビオティック料理に関わることでご自身に変化はありましたか。

「やはり、それまでは料理人として『いかにして美味しい料理をつくるか』が最大の課題でしたが、マクロビオティック料理を深く追求するようになり、美味しさだけでなく、自分がやっている仕事を通じて、健康だとか、環境だとか、農業だとか、その他様々なことを発信できるという実感が持てるようになりました」

-----この頃より『日本CI協会』という団体に参加され、のちに同協会からレシピ本を出版されたりもしていますが、ちなみに『日本CI協会』内ではどのような活動をされていたのですか?

「『日本CI協会』というのはマクロビオティックの普及団体で、先ほどふれましたマクロビオティック理論の創始者である桜沢如一氏が立ち上げた団体です。主な活動としては、マクロビオティック料理の教室をはじめ、専門的な食品や書籍など様々な商品を販売したりもしています。僕自身は料理教室の講師という形で交流があり、のちに『日本CI協会』が発行している『月間マクロビオティック』にレシピを紹介させてもらったりするようになりました」

20090612-smmb-011.jpg

◆つくることによって、まわりの人達も心身共に気持ちよくしてあげる。

-----マクロビオティック料理って「健康になるため」「病気を治すため」のものだから、どうしても「味は二の次」のような印象が離れません。

「確かにそうした印象を持たれていらっしゃる方が多いようですね。ただ、たとえそうであっても、『健康になるため』や『病気を治すため』という目的意識は、マクロビオティックにとって重要なことなのです。まずマクロビオティックの中では、身土不二(その土地で収穫された旬のものを食す考え方)、一物全体(丸ごと無駄なく食すこと)、陰陽のバランス(陰性と陽性に分類される様々な食物のバランス)など、様々な原則があり、それに則って調理をしたり生活をしたりするのが基本ですから、たとえばマクロビオティックに真剣に取り組んでいる人が黙々と食べている風景を、興味のない人が客観的に見れば、あまり楽しそうには見えないでしょうし、どうしても『健康イコール薄味』といった固定観念があるので、そうした印象を持たれるのは仕方のないことかもしれません」

-----現代人は素材の味を無視した過激な味付けに慣れすぎたのかもしれませんね。

「もちろんマクロビオティックを長く続けていれば、だんだんと味覚の好みも変わり、素材が持つ本来の美味しさを実感できるようになると思いますよ。しかしコンビニエンスストアやスーパーマーケット等で、気軽に手に入れることができる食物に慣れ親しんでいる現代人の食生活を考えれば、当然、素材が持つ自然の風味が物足りなく感じるでしょうね。だから昔ながらの日本人の味覚を取り戻すまでには時間もかかるし、今までそれとはまったく逆の生活を楽しんでいれば、それなりの精神力も必要だと思います。だから、いくら体や健康のためとは言っても、効果が現れる前の段階で離れていってしまう人もいるのです」

-----現在は国際的な映画俳優や様々なジャンルのアーティスト達が実践していたり、注目はされていると思うのですが、まだ少し敷居が高いような気がします。

「現代の食生活は、みなさんが想像している以上に乱れているから、特に体を資本とする仕事をしているのであればなおさらでしょうね……。毎日の生活にマクロビオティックを取り入れるというのは、とても素晴らしいことですし、せっかくはじめたのに、慣れ親しむ前に遠ざかってしまうのは残念なことなんです。これは本当に単純なことなのですが、見た目も、味も、もっと楽しめるものであれば、より多くの人達が受け入れてくれるはずだし、続けられる人も増えます。もちろん敷居も低くなるはずです」

20090612-smmb-012.jpg 

-----平田シェフ的マクロビオティック 『シンプル モダン』 とは?

「そんなことから、『健康になるため』や『病気を治すため』といった部分はしっかり残しつつ、僕が得意とするフランス料理の技術を活かし、『食べて美味しく、つくって楽しい』マクロビオティック料理のオリジナルメニューを、研究をかさね独自で練り上げたのが『シンプル モダン マクロビオティック』なのです。もちろん『楽しい』とは、自分だけが楽しむのではなく、つくることによってまわりの人達も心身共に気持ちよくしてあげるということも含まれます」

-----実際にはどのような活動をされているのですか。

「基本的にはどれもマクロビオティックを広める活動に繋がるのですが、2006年6月に独立して、マクロビオティックと雑穀の普及事業を目的とする会社『スパイラルLLC』を設立し、自由が丘にて料理教室『Simple Modern Macrobiotic』をスタートしました。さらに全国各地でも料理教室を開催しています。時にはレストランやホテル関係者といったプロの方々の指導にあたることもあります。また『日本CI協会』が発行している『月間マクロビオティック』に連載していた僕のレシピをまとめた本、『Simple Moderne Macrobiotique』(発行:日本CI協会)を出版したり、様々なイベントやトークライブなどにも参加しています」

20090612-smmb-013.jpg

◆比べやすいしわかりやすい!だからスイーツで勝負。

-----今年に入ってから店舗もオープンされましたよね。

「はい、さらに多くの人達に知ってもらう為に間口を広げようと、今年の(2009年)1月にアンテナショップという位置づけで、私の料理教室がある自由が丘にオープンしたのが、マクロビオティックスイーツ専門店『パティスリー・シンプル モダン マクロビオティック』です。この店に関しては、とにかく誰にでもわかりやすい形態にしたかったし、スイーツなら他店と比べるのも比較的簡単だから、マクロビオティックスイーツの出来がどれほどのものかも理解しやすいのではないかと思いました。もちろん『せっかく店を出すのなら料理が食べたい』という声もありましたが、スイーツで心をしっかりつかむことができれば、必然的に料理にも目が向いてくるかなと考え、スイーツの専門店にしました。ただ試食会のようなイベント的なものであれば、たまになら開催してもいいかと思います

-----スイーツ専門店ということですが、マクロビオティックと甘いお菓子ってあまり結びつかないような気がするのですが……。

「実はマクロビオティックの中では、デザート的なものの位置づけがとても低く、どちらかといえば二週間に一回とか、たまに食べるぐらいのものなのです。そんなことから全体的に素朴なものが多く、決して洗練されたものであるとは言いがたいのが現状でした。特にスイーツ等の甘味というのは、陰陽で言えば陰性で、陰というのは上昇とか拡散という意味があり、ストレスを和らげるという効果がある一方で、とりすぎてしまうと広げる(病気などを)という作用を起こしてしまうことから控えられています。とはいえ、男女を問わず甘いものが好きな人は非常に多いですから、マクロビオティックの世界への窓口的な役割を果たすアンテナショップとしては、わかりにくい料理をだすよりは、誰もが興味を持つことができ、また買求めやすいスイーツ専門店にするのがいいのではと考えたわけです。何より砂糖や卵、牛乳を使用しないでコレだけの味が出せるというのを比較してもらえれば、もっともっとマクロビオティックに興味を持ってくれる人も増えるのではないかと思うのですが」

20090612-smmb-016.jpg

-----本当に砂糖を使用していないのですか?かなりしっかりとした甘味を感じますが。

「この店では白砂糖、卵、乳製品等は使用せず、基本的には有機栽培された素材にこだわっていることから、甘味料としては、玄米からとった玄米甘酒、米飴、メープルシロップを使用します。普通お菓子をつくる場合にはグラニュー糖や上白糖を使用するのですが、やはり血糖値を急激に上げる作用があることから、体にかかる負担が大きくなるので使用できません。ただでさえ現代人の食生活は砂糖の摂取量が過剰とされていますし、肥満やカルシウム不足だけでなく、アレルギー体質や切れやすい性格の原因とまで言われていますから……。ただ砂糖に比べると、玄米甘酒や米飴のほうが、健康を害することなく、なおかつ少ない量で満足のいく甘味を得ることができるので、とても優れているといえますよ」

-----店舗をオープンされたことによる変化は?

「そういう意味では、やはり店舗を持たず料理教室だけで活動している時に比べ、わかりやすい形で外に発信しているので、家族や知人への贈り物として購入される方も多いですし、今までとは違うルートで様々な話がくるようになりましたね。あとはなんといってもマクロビオティック初心者の方が気軽に足を運んでくれるところですね……。もともとそこが狙いだったのでよかったと思っています」

20090612-smmb-014.jpg 20090612-smmb-015.jpg

20090612-smmb-017.jpg 20090612-smmb-018.jpg

◆自分で育てた作物で料理がつくりたい。

-----スイーツだけでなく、料理全体としては今後どのような方向性を考えられていらっしゃいますか。

「現時点では漠然とですが、やはり長年フランス料理をやっていましたから、もっと具体的に踏み込んでマクロビオティックとフランス料理を融合させることができたらと考えています。たとえば、フランスの星付きレストランのシェフ達も、昆布とか椎茸など日本の素材に興味をもっているし、実際に和食食材を積極的に取り入れてるシェフも増えてきているので、僕としてはそれにマクロビオティックの理論的な部分も反映させていきたいですね」

-----経営的な部分からはいかがですか。

「あまり自分のレストランを拡大して商売をしていこうとは考えていません……。それより、プロ・アマを問わず料理の現場に立たれている方々にマクロビオティックを知っていただきたいので、そちらの方面に力を注ぎたいと思っています。あとは様々なご縁などもあるので、その時々で答えを出していくつもりです」

20090612-smmb-007.jpg

-----最後に、一番やりたいことってなんですか。

「農業です。僕は最終的には農業がやりたいんですよ。どうしても自分で育てた作物で料理がつくりたいんですよね。実際に農業をするのであれば、気候的に九州なんかいいと思いますよ。僕も全国をまわって様々な場所を見ているし、時間があれば有機農業を実践している農家を尋ねたりするのが好きだから、決して感覚だけで話しているのではなく、いろいろと踏まえた上で九州は候補に入っています。とにかくマクロビオティック料理を広めるために全国各地を旅しながら、農業に関してはゆっくり考えます」

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆店舗紹介

◆パティスリー・シンプルモダンマクロビオティック
「卵、乳製品、白砂糖、不使用の有機栽培された素材にこだわるスイーツショップ」
20090612-smmb-003.jpg 20090612-smmb-004.jpg
〒158-0083
東京都世田谷区奥沢5-26-2 クレッセントビル1F
TEL 03-6459-5517 FAX 03-6459-5518
東急東横線・大井町線 自由が丘駅 南口から徒歩3分
営業時間:11:00〜19:00(18:30LO)
URL:http://simplemodernmacrobiotic.com/

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆書籍紹介

◆Simple Moderne Macrobiotique
20090612-smmb-005.jpg
Dishes and Sweets of the Season:季節ごとの楽しみ方
Dishes and Sweets of the Month:旬の食材をテーマにしたレシピ
料理をおいしくする4つのポイント
手作りソース3種
基本のだし汁
Enjoy Macrobiotique Talk:平田 優シェフ、中島デコさん、
吉度日央里さんの対談
発行・販売:日本CI協会 
URL:http://www.ci-kyokai.jp/
定価:1,680円(税込)

投稿者 blogpawanavi : 23:57 | コメント (0)

2009年06月04日

東京”美”職人 〜 カリスマ足ツボ師 Matty [ インタビュー ]

 自分の足は自分で守る!それがいつまでも美しく健康的に生きるコツ。
 カリスマ足ツボ師 Mattyさん インタビュー

 本場台湾にて足部反射区を学び、台湾式をベースに世界各国のフットケアを盛り込み、健康な足・美脚を追求し『足健痩身術』(通称 Matty式 足ツボ)を作り上げた、足のスペシャリストMatty(マティ)さん。
 足ツボ歴18年の彼女が、研究を重ね練りあげた『 Matty式』とよばれる独自のスタイルは、自分の足と真剣に向き合う人々から大きな信頼を得ている。現在は女優・俳優・ミュージシャンなど数々の有名人を顧客に持ち、予約困難なカリスマ足ツボ師として広く全国に知られている。「自分の足は自分で守る!それがいつまでも美しく健康的に生きるコツ」とエネルギッシュな笑顔で語るMattyさん。
 今回のロングインタビューでは、そんな彼女に、足ツボとの出会いをはじめ、Matty式足ツボへ至るまでの過程や想い、そして現代人が抱える足のトラブルなど、様々なエピソードを交え詳しく語ってもらった。

(取材・文:松田秀人)

20090604-matty-016.jpg 20090604-matty-006.jpg
カリスマ足つぼ師 Mattyさん
URL:http://matty830.exblog.jp/

20090604-matty-002.jpg 20090604-matty-003.jpg
著書(左):『Matty式 足ツボ10分解毒マッサージ』(ワニブックス)
著書(右):『Matty式足ツボ症状別7日間プログラム』(ワニブックス)


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆Mattyプロフィール

20090604-matty-001.jpg

 女優・俳優・ミュージシャンなど数々の有名人を顧客に持ち、予約困難なカリスマ足ツボ師 Matty (マティ)。本場台湾で足部反射区を学び、台湾式をベースに、各国のあらゆるフットケアを盛り込み、健康な足・美脚を追求した「足健痩身術」(通称 Matty式 足ツボ)作り上げた足のスペシャリスト。
 施術を初めて18年、現在、東京・目黒で「Mattyレッスンルーム」を主宰し、施術のほか、定期的に「自分のための足ツボ講座」を開催し好評を得ている。

◆著書
『Matty式足ツボ10分解毒マッサージ』(ワニブックス)
『Matty式足ツボ症状別7日間プログラム』(ワニブックス)

◆Matty 公式ブログ
URL:http://matty830.exblog.jp/

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

☆インタビュー

◆一人でコツコツと磨き上げていくのが好きだった。

20090604-matty-014.jpg

-------子供の頃のエピソードを聞かせてください。

「レッスンや講演、時にはラジオの生番組に出演したりもする今の私をご存知の方からすれば、ちょっとイメージが湧かないかもしれませんが、小さな頃は本当におとなしく、どちらかといえば体も強いほうではなかったんです。ただ、何かを始めると夢中になってしまう性格は今も昔も変わっていないようですね。母からも『あんたは子供のころから……』って常に言われていましたし、自分でも自覚していました。母の話によれば、まだ小学校に上がる前のことですが、新聞紙と石ころを渡すと、納得がいく包み方ができるまで一日中繰り返し続けていたそうです。だから流行のおもちゃなどはいらなかったみたいですよ」

-------ということはスポーツ等は苦手なほうでした?

「そんなことはありません。おとなしかったですけど、学生時代は人並みにスポーツなんかもしていましたよ。でも、どちらかといえば、団体でワイワイやるより孤独なスポーツが好きでしたね……。たとえば陸上競技の短距離とか高飛びだとか……。とにかく一人でコツコツと、心と技を磨き上げていくような行為が好きみたいです。だから、同じこと延々と繰返すような練習などは苦になりませんでした」

-------以前はOLだったとうかがっていますが。

「学校を卒業してから直ぐに足ツボの世界に入ったわけではなく、はじめは銀行に就職したんです。でも入社して間もなく、私の人生に大きく関わるような出来事が起こりました……。なんの前触れもなく、急にピタッと生理が止まってしまったんです。原因は不明です。確かに銀行の仕事はハードでしたし、人間関係にも悩まされていました……。それに自分でもかなり体を酷使していることもわかっていましたが、性格が性格なだけに、あたえられた仕事はきちんとこなさなければ気がすまなかったので、違和感を感じながらも、そのまま頑張り続けました」

-------若くして大きな病気を経験されていますよね。

「はい、そのうちどうにかなると思っていたのですが、ところが半年たっても生理が来ないのです……。これは単にストレスのせいだけではないと不安になり、さっそく病院で診察をしてもらったところ『卵巣腫瘍』であると診断され、直ぐに手術をすることになりました。手術は成功しました。しかし術後も生理がこないのです……。だから、いいと思われることなら何でも試してみたりもしました。それでもやはり駄目でした」

◆偶然入った足ツボサロンが人生を変えた。

20090604-matty-017.jpg

-------足ツボの効果をご存知でお店を選ばれたのですか。

「いいえ、まったくその逆で、何も知りませんでした。いろいろと試してみても、これといった効果が見られるものはなく、日々頭を悩めている時に、『駄目もとでやってみるか』ぐらいの気持ちで偶然入ったのが足ツボサロンなんです。今と違い当時は足ツボやフットケア、リフレクソロジーといったものが一般的ではなく、そうしたケアといえば、整体とか整骨院とかカイロプラクティックと呼ばれているところに通うのがほとんどでしたから、少なくとも私の中には、足ツボに大きな期待をもてるような状況はありませんでした」

-------はじめての足ツボ体験はいかがでした。

「もちろん私も初体験ですから、はじめはみなさんと同様に『なんて痛いんだろう』って感じました。でも実感として『この痛みにはきっと何か意味があるんじゃないか』という思いが強く残ったのを今でもよく覚えています。そしてなんと不思議なことにその日の夜、いきなり生理がきたのです。私としては、もうこれは大変なことでしたよ……。嬉しい!とか、よかった!なんてレベルではなく、まさに運命的な出会いと言っても過言ではないほどに心を動かされましたね!同時に『こんなにいいものなのだから早くみんなに広めなきゃ』という使命感のようなものまで感じましたから」

◆みんなの代表で行ってきます!

-------未知の世界に入るということへのためらいは?

「その時はもう迷いなどなかったです!まさに足ツボ一直線!こうと思ったら脇目も振らず突き進んでしまう性格だから、何もかもが早かったです。さっそくいろいろと調べて、足ツボの本場台湾へ修行に行くことを勝手に決めてしまいました。だってその時の私はといえば、自分の体のことなんかそっちのけで『この素晴らしい足ツボを広く日本に紹介するため、私がみんなの代表として行ってきます』ぐらいに思っていましたから……。確か私が23歳の頃だったと記憶しています」

20090604-matty-013.jpg

-------台湾へはどのくらい行かれていたのですか。

「台湾での修業は、日本と台湾を行ったり来たり、約2年ほど続けました。もちろん修行をしながら自分の体も治せたので、大きな目的も達成できました。ただ、特にこれといった準備も無しに飛び出したので、当初は言葉の不安がありました。でも実際に行ってみると日本語を話せる方がとても多かったので、その点ではたすかりましたね。幸か不幸か、むこうの言葉が全然進歩しませんでしたけれど」

◆みんなの足が思っていたよりボロボロだった。

-------修行直後はどのような活動をされました?

「とにかく修行中から『早く足ツボを広めたい』とワクワクしていたので、日本に戻ると直ぐに、友達とか近所の人とか、手当たり次第に様々な人達の足を見てまわりました。そこでビックリしたのは、みんなの足が思っていたよりもずっとボロボロだったということです。たとえば足の裏がガサガサ・カチカチの人、凄くむくんで太くなっている人、外反母趾の人、ウオノメやタコだらけの人、その他いろいろです……。たとえば日本人の足に多い角質などは台湾人の足にはほとんど見当らなかったので、ちょっとショックでした。角質がびっしりついていたりすると、いくらしっかりツボを押しても、肝心のツボまで届かなかったりします。だから足ツボをやる前に『まずこれらのトラブルをどうにかしてあげなくちゃ』って思いました。ただ、そちらの方面に関しては勉強不足だったので、わからないことが多く、またそこから勉強をしなければならなくなりました」

-------単なる足ツボからMatty式足ツボへと変化していくわけですね。

「まあ本来は足ツボを広めるために修行したのだから、そんな事(足のトラブル)は気にせず、ただひたすら足ツボだけに集中していればよかったのですが、やはりそこは生まれながらの性格もあり、疲れ果ててしまったたくさんの足を黙って見ているわけにはいかなかったのです。また知れば知るほど、誰一人として同じ状態の足など存在しないのに、一辺倒のケアで済ませていいものか?とも考えはじめ、それでイタリア、フランス、ドイツなどのフットケアを実際に足を運んで習得したり、本で学んだり、自分なりに実践と研究を重ねて練り上げたのが、この『Matty式足ツボ』なんです」

20090604-matty-012.jpg

◆健康と美が同時進行する『Matty式』はここが違う!

-------Matty式足ツボとは?

「台湾で学んだ『足部反射区』をベースに、世界各国のフットケアや生活スタイルなども研究し、そこから即効力と改善率の高い『足健痩身術』(そっけんそうしんじゅつ)を考案しつつ、酷使され続けている現代の日本人の足に合ったフットケアをトータルで考えたものが『Matty式』といえます。でもこの『Matty式』はまだまだ進化の途中です。現に今でも、まだ世に出ていない技法などがあり、実際にどのような効果があるかというデータを集めている段階のものもあります。ただ、通っていただいているお客様には、現在私が知っていて、かつ確実なものを、あますことなくきちんと紹介しています」

-------通常の足ツボサロンと大きく違う点は?

「通常の足ツボサロンと大きく異なるのは、お店に来てもらって気持ちよくなってもらうのが目的ではなく、自分の足のことを深く知り、健康維持や足を美しく保つための管理を自分の力で出来るよう、しっかりと教えるという点です。毎日少しづつ自分で管理する事により、体の活性化を妨げる老廃物が随時”尿”と一緒に排出されますから、解毒という面から考えても、足ツボはとても効果的です。なんとなくスッキリしたではなく、確実に解毒まで導かれれている感覚を、きちんと認識していただければ、もっともっと足ツボが楽しくなるはずなんです。だから一般的なサロンのように『できる限りいつまでもお越しくださいね』というスタンスではやっておりません。そのため、自分のことをしっかりと理解し、ケア方法をマスターした人には”卒業”をしてもらっています。この点も大きく異なるのではないでしょうか」

-------はじめから現在のような教えるスタイルだったのですか。

「私もはじめのうちは教えるスタイルではありませんでした……。実は自分でこの仕事を始めて1年半ぐらいたった頃、いつもの『はまり過ぎる性格』が災いし、過労で倒れてしまい入院したことがあるんですよ……。その時『まず自分が健康でなければ人を健康になんかできない』と痛感させられましたね……。ケアの方法を各自に教えようと考えはじめたのはその頃です」

-------具体的な理由を教えていただけますか。

「私は手を抜いたりすることができないから、来ていただいたお客様には、どんな時でも『よくなれよくなれ』って心をこめてエネルギーを注入するような気持ちでケアをします。そうすると、肉体だけでなく精神的疲労もかなり蓄積されますので、当然、1日にお会いできる方の人数も決まってしまいます。そんな中、徐々にお店の評判も上がり、たくさんの方に足を運んでいただけるようになりました。これはとても嬉しいことなのですが、たとえばせっかく通いはじめたのに、何週間も予約が埋まり間隔が開いてしまったり、何度も連絡をいただいているにも関わらず、たびたびお断りをしなければならなかったりと、はっきりいってそういう状況の先には、私が本来目指している姿が見えませんでした……。それからいろいろと考え”だったらその人達に自分の足のことをしっかりと理解してもらい、各人にあったケア方法を教えていった方が、より多くの人のためになるのでは”との結論に達し、現在の”教えるスタイル”になったわけです」

20090604-matty-008.jpg

-------二冊本を出されていますが、それも同様の考えからですか?

「もちろんその延長線上にあります。さらに遠方にお住まいで、直接お会いできない方や、緊急時の参考として本は便利だし、Matty式が自分に合うものかそうでないかを判断していただく材料にもなります。本の中には、簡単に出来る『お金のかからない健康法』も紹介されていますので、興味のある方は是非読んでみてください。また、一度にたくさんの方に『matty式』を紹介するために、定期的に講習会なども行っていますから、本を読んでもわからない点などがあれば、講習会の方に足を運んでいただければ、さらに詳しくアドバスができると思います」

-------これは余談になりますが、Mattyさんの手ってきれいですよね!

「そうかもしれませんね!自分で言うのもなんですが、手あれもしていないし、タコとかもないし、あまり足ツボをやっている人間の手には見えないかもしれませんね!でも本来は、みなさんの足も、私の手のようになるべきだし、そうなってもらうための技法を教えています。だから爪の先がボロボロだったりとか、くすんでしまったりというのも無くなりますし、先ほど少しだけふれた角質に関してもちゃんと研究しているので、徐々になくなってしまいます。健康と美が同時進行するのがMatty式のいいところでもあります」

20090604-matty-009.jpg


◆子供達・若者達の足(脚)があぶない。

-------現代の日本人の足の状態はいかがなものでしょう?

「確かにひどいですね……。もう疲れきっているといった感じでしょうか?先ほども話ましたが、角質に関しても、ツボまでとどかないないような角質は日本人に多いんですよ……。私が台湾で修行していた時にはほとんど見かけなかったし、いたとしてもそこまでひどくはなかったと記憶しています。まあ、生活環境の違いといえば、いちばんに上げられるのが、路面の硬さですね。特に都会はどこもかしこも硬い上に、ファッション性を重視した靴を履き、重たい荷物を抱えて歩きまわっている人が多いじゃないですか……。そんなことをしていると、どんどん変なふうに酷使しちゃって、角質や外反母趾やウオノメに悩まされるようになり、やがてはヒザや腰、そして体全体のバランスが悪くなっていきます……。私も銀行に勤めていた頃は、長時間パンプスを履いていたので、小指が曲がったり、爪が変色したりという経験があるから、実体験としてわかります。それもMatty式でちゃんと回復しますよ!」

-------たとえばここ数年で足ツボを求める人達に変化はありますか。

「ちょっと気になるのは、足ツボを求めている人達の年齢層です。どこの国でもこうしたものは、疲れのたまりやすい年配の方のためのものというイメージがあるのですが、日本は20代30代といった若い層の方々がとても多いのです。今の若者達と比べてみても、おじいちゃん、おばあちゃん達のほうがずっとよく歩いているし、生活のみだれも少ないのに、見てわかるとおり、速度こそ違えど、年をとるごとに肉体は確実に衰えていくものです。もちろん努力によっていつまでも元気でいることは可能ですが……。それなのに20代から体にガタがきていたら、40歳になったころはどうなってしまうのだろう?ってちょっと心配です」

-------確かに歩かなくなりましたよね。

「世の中が便利になりすぎるのもどうかなって思いますよね。とにかく足腰は重要です。若い人に腰痛持ちが多いのも、生活様式がどんどん欧米化し、足腰が弱くなっているからです。特に最近の若者達の足(脚)は細くて長くなり、ファッション雑誌などの影響もあってか、一般的にはカッコいいように思われていますが、見るからに疲れやすそうですよね。やはり男女ともに必要な部分にはしっかりと筋肉がついていて、ひき締まっているのが理想です。若者達も、今から真剣に自分の足と向き合っていかないと、これからが大変だと思いますよ」

-------小さな子供達に関してはどうですか。

「たとえば子供達って自分では靴を選ぶことができないじゃないですか?だとしたら親の側に足に関する知識がなければ、大変な間違いを犯してしまうことになり兼ねません。たまに見かけるのですが、単に可愛いからという理由で、子供の足に合わないものを履かしてしまうのは、予想以上に大きな負担をかけてしまうことになります。また、足のサイズも靴底の大きさだけでなく高さもありますので、スニーカーを履く時は面倒でも、ちゃんと足の甲の高さに合わせて、靴紐やマジックテープを調整しなければいけません。小さな子供達でも、ちゃんと教えてあげればみんなまじめに実行してくれます。そんなことから、私は小学校や幼稚園などでもフットケアに関する講習をします。地面と足の裏を結びつける”靴の選び方”は大人も子供も関係なくとても重要なことですよ」

-------できればお父さん達の為のフットケアなどもあればいいのですが。

「余談になりますが、今後は『足の洗い方から靴の減り方まで』や、今おっしゃった『お父さん達の足に関する正しい知識』なども話していきたいですし、さらに『お母さんと子供達のフットケア』や『家族のためのフットケア』といった話も各方面でしていきたいと考えています」


◆生まれたままの姿に戻してあげる。

20090604-matty-010.jpg

-------足って、頭から一番遠いせいか?後回しにされがちですね……。

「本当にそうなんですよ……。不思議な事に、足ってかなりひどい状態になっていても、意外とほったらかしにされているんですよね……。ほかの部分が曲がったり、変色したりすると大騒ぎする人も『足だからまあいいか』みたいな……。だからといって、何もしないでいると、どんどんひどくなってしまい、やがては見た目だけでなく、健康を害するようにもなってしまいます。やはり、自分自身の足を把握し、自分にあったケアの方法を覚え、日々実践し、健康な足を維持するための予防を、早めにしていかなければならないと思います」

-------最後にMattyさんの足ツボへの想いをお聞かせください。

「人の数だけ様々な足がありますが、基本的には『生まれたままの姿に戻してあげる』ということですかね!そして大切なのは自分の足と真剣に向き合うことです。自分の足を爪の先からずっとよくながめてみて、悲鳴をあげていないか確認をすることから全てが始まります。自分の足を知ることにより、体の疲れや歪みなどを早期発見できるので、体調を崩してしまう前に予防ができるというのも大きなポイントです。 なにより最高のリラクゼーションは、偉大なる地球のエネルギーを、第二の心臓と呼ばれる足の裏いっぱいに受けて、気持ちよく歩けることではないかと思います。いつまでもしっかりと健康な二本の足で歩けるよう、自分の足は人任せにせず、自分で守る!それがいつまでも美しく、そして健康的に生きるコツではないでしょうか?足ツボというよりは『足(脚)への想い』というべきかもしれませんね」

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

<著書・グッズ>

◆Matty式 足ツボ10分解毒マッサージ
20090604-matty-002.jpg
〜予約困難のカリスマ足ツボ師が初めて公開する目的別セルフケア術
価格:¥ 1,470 (税込)
出版:ワニブックス
カテゴリ:単行本
ページ:127頁
JAN:9784847016653
URL:http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4847016653/


◆Matty式足ツボ症状別7日間プログラム
20090604-matty-003.jpg
〜体の弱点を1週間で改善する目的別ケア術
価格:¥ 1,470 (税込)
出版:ワニブックス
カテゴリ:単行本
ページ:111頁
JAN:9784847017544
URL:http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4847017544


◆泉谷しげる x Matty TUBALL
20090604-matty-004.jpg 
▲ツボール
 以前番組のレギュラーで共演して以来交流の深い、泉谷しげるさんと、足ツボ師 Mattyさんのコラボレーションによる足ツボ健康グッズ!それが『TUBALL/ツボール』。電車や飛行機での移動時、またオフィスやリビング等、場所を選ばず何処でもコロコロと足ツボを刺激。インターネット中にコロコロ、新聞や雑誌を読みながらコロコロ。絶妙な硬さとサイズが妙に気持ちいい……。

 この『TUBALL/ツボール』は、泉谷しげるさんがプロデューサーを務める、インターネットTV『コラコラ放送局』のモットーである「日本を元気にしよう!」という目的で作られたもの。足ツボのスペシャリスト Mattyさんが考案し、そこに泉谷しげるさんがお得意のイラストを差込出来上がった数量限定のレアアイテムである!

20090604-matty-005.jpg
▲泉谷しげる『コラコラ放送局』
URL:http://www.korakora.tv/

※コラコラ放送局!にMatty映像がUPされています。
(コラコラ動画番外編内/小島可奈子の足ツボマッサージ体験第1弾)
URL:http://www.korakora.tv/

投稿者 blogpawanavi : 21:09 | コメント (0) | トラックバック

2009年06月01日

インタビュー記事告知 〜 「東京”美”職人」 [ インタビュー ]

☆パワナビ松田

 5月25日(月曜日)。この日の午後は都内でインタビューが三本入っていた。世界的ファッションデザイナー瀬田一郎氏、シンプルモダンマクロビオティック平田 優シェフ、カリスマ足つぼ師 Matty(マティ)さんといった顔ぶれである。三人ともに美しく生きる女性達にとっては力強い味方であり、ジャンルは異なるが、素材(人)の持つ自然な美しさ(美味しさ)を徹底的に追求し、昔ながらの職人気質でコツコツと独自のスタイルを築き上げ、その道のパイオニアとして大いに活躍している人物であるという共通点がある。そんなことから、私自身、三人の話を聞くのがとても楽しみである反面、自分の能力を考えると、いくらスケジュールの関係とはいえ、三本連続というのは少々欲張りすぎかな?との不安をかかえつつ、緊張の面持ちでインタビュー現場へ向かった。

20090527-014.jpg
▲左から:瀬田一郎氏、平田 優氏、Mattyさん

◆瀬田一郎 (setaichiro ブランド↓)
URL:http://www.sidea.co.jp/

◆平田 優 (マクロビオティックスイーツの専門店↓)
URL:http://simplemodernmacrobiotic.com/
(平田シェフのブログ↓)
URL:http://macrobiotic.jp/modules/wordpress1/

◆Matty (Matty公式ブログ↓)
URL:http://matty830.exblog.jp/

※インタビューの詳細は後ほど別枠でご紹介させていただきます


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

<青山一丁目のカフェにて>

 瀬田一郎氏のアトリエは東京メトロ「青山一丁目駅」の近くにある。私は自宅から徒歩で東横線大倉山駅に行き、渋谷行きの各駅停車に乗り、終点の渋谷駅で地下鉄銀座線にのりかえ、3つ目の青山一丁目駅で降りた。自動改札を抜け駅構内の南側階段を上り、AOYAMA TWINの地下1階からエレベーターで地上に出ると、青山一丁目交差点のある青山通りではなく、反対側の都道319号線に出た。ここから瀬田氏のアトリエまでは歩いて数分の距離である。

CA3C0463.jpg

 携帯電話の画面のデジタル時計を見ると11時53分だった。待ち合わせの時刻までにはたっぷりと時間があった。実はインタビュー開始前に青山で昼食をとりながら、ゆっくりと資料に目を通し、インタビューのシュミレーションでもしようかと考え、少し早めに家を出たのである。
 とはいえ、時刻が時刻だけに、どこの店もランチ客で込み合いはじめている。手っ取り早く店を決めて注文をしなければ、ゆっくり構えてもいられなくなる……。

CA3C0470.jpg

 周囲をみわたすと、背後には今出てきたばかりのAOYAMA TWINが、目の前にはパークアクシス青山一丁目タワーが天高くそびえ、右奥には都道319号線に架かる歩道橋、そして左手前には、オフィスビルをSOHO型住居へとコンバージョンしたLattice aoyamaの個性的な外観が目にとまった。1階の店舗部分にあたるブックショップの前では店員が緑色の落ち葉を広い集めており、隣のカフェの店先には陽気な外国人団体客が並んでいた。

CA3C0471.jpg
URL:http://www.cafe246.com/

 できることなら行列には並びたくなかったし、天気もよく暖かかったから、コンビニでパンでも買って、近くの公園のベンチで済ませてしまおうと思ったが、なんとなくその外国人達の明るさに吸い寄せられ、そのまま列の後ろにならぶことにした。するとすぐに数人のOL達が後ろに並び、まるで通りを行きかう人々に演説をするような勢いで、この店がいかに流行っているか、自分達はどうすればもっとお洒落なランチを楽しむことができるかを叫びはじめた。OL達の宣伝活動のおかげかどうかは分からないが、列はどんどんその長さを増していった。
 しばらくすると黒いエプロンをかけた若い女性の店員がやってきて、元気な若者やOL達に囲まれた中央のテーブルを席を案内してくれた。ほかに落ち着けそうな席はないかと、しれっと店舗内をながめていたら、手前のコーナーに、ポツリと空いている席をみつけた。私は中央に向かってどんどん歩いていきそうになる店員さんを呼び止めて、コーナーを指差し「失礼ですがあそこの席は予約席ですか?」と尋ねてみた。すると「あの席は空いておりますが、実はスピーカーの前なのであまりおすすめできません」と笑顔で教えてくれた。「そうですか、ありがとう」といい、促されるまま中央の席に座り、ビープパストラミのバスケットサンドウィッチとアイスコーヒーを注文した。いざ座ってみると、とても賑やかな席で、「こんなことならメロディがある分スピーカーの前のほうがよかったかな?」などと思いつつ、広い店舗内を何気なく見回してみるとほぼ満席になっていた。

 ビープパストラミのバスケットサンドウィッチの付け合せのポテトフライが、氷がとけて薄くなったブラックのアイスコーヒーとA4用紙に印刷された資料との間をうまく繋いでくれたから、たくさんの若者達やOLに囲まれていても、さほど気分は悪くなかった。ただ、いつもなら若干物足りなく感じるであろうこのセットを、やっとのおもいで食べきったのだから、これからはじまる三本のインタビューを前に、幾分体は緊張しているのだろう。

 薄くなったアイスコーヒーを飲み干したところで、携帯電話の時計に目をやると、そろそろいい時間になっていた。イスから立ち上がるのにいつもより少しだけ覚悟が必要だった……。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

東京美職人その1 〜
<ファッションデザイナー 瀬田一郎氏>

 青山一丁目のビル群の裏手の住宅街にある瀬田氏のアトリエに続く路地を歩く数分の間、数年前の取材の事を思い出していた。実は瀬田氏とお会いするのは今回が初めてではない。2005年2月にミラノで行われた『ミラノコレクション』の会場に足を運んだ時に、瀬田さんやスタッフの方々には大変お世話になっている。その時はほんの数日間で、瀬田氏が手がけている2つのブランドのショーが立て続けに行われた。演出、セット、モデル、全てが総入れ替えだったから、前後の準備を含めかなりの忙しさだったようである。睡眠などほとんどとれていないのではなかろうかという状況であったにも関わらず、ショーの準備が終わった深夜などでも笑顔で話を聞かせてくださった瀬田氏の表情を、私はとてもよく覚えている。

 公園の緑の手前に白い一戸建てが見えた。瀬田氏のアトリエであることを確認し、建物の玄関のチャイムを鳴らすと、奥様の”えまさん”が笑顔で出迎えてくれた。私は真っ白なテーブルが置かれた光のたっぷり入った部屋に通され、透明なイスに腰掛けるとカメラや録音機材をバッグから取り出しインタビューの準備をはじめた。すると、どこからともなく温かいコーヒーが運ばれてきた。光の加減が気持ちよかったので、コーヒーの色がとても美しく感じられた。
 しばらくすると、レモンイエローのTシャツに薄いグレーのパーカーを羽織った瀬田一郎氏が「お待たせしました」と光がいっぱいの部屋に入ってきた。私もずいぶんご無沙汰していたので、まずは立ち上がって挨拶をし、インタビュー前のウォーミングアップがてら世間話などをしていると、そこへ奥様のえまさんがやってきて、真っ白なテーブルの上に何枚もの写真をならべはじめた。
 アルバムに整理されていないバラバラの写真を一枚一枚手にとってながめてみると、そこにはやんちゃな学生時代のひとコマ、オールバックにサングラス、お洒落なブランドスーツ、何処かの温泉旅館の一室、娘さんとの散歩風景などといった、若かりし瀬田氏の姿が映し出されていた。
 見進めるうちに、何枚かおきに、とてもスナップ写真とは思えないような素敵な写真が出てくるので「趣の違う写真が何枚もあるのですが、これはどなたが撮られたのですか?」と尋ねてみると、ちょっとはずかしそうにえまさんが「あっそれ私です」とこたえてくれた。瀬田氏も「こんな写真どこからひっぱりだしてきたの?」と言いつつ「でも本当になつかしいよね」と食い入るようにながめていた。
「今日は瀬田一郎の過去から現在までを深く掘り下げて聞いてもらうのだから、目の前にこういう写真があったほうが飾らずに話ができるでしょう?」とえまさんが言った。
 私としては今回のインタビューで、あまり知られていない(どこをさがしても掲載されていない)、瀬田氏の少年時代のエピソードをはじめ、その人物像や仕事への想い入れなどを詳しく聞きたかったからこれらの写真は実にありがたい。

20090527-006.jpg
▲瀬田一郎氏

「子どもの頃はよく町なかを走りまわってもいたけれど、住んでいたのが東京の下町で、どこの家庭もなにかしらの商売をしていたから、いつもいろんな道具をいじっていたのを憶えていますね!特に隣の電気屋さんで、ラジオやテレビをバラバラに分解して組み立てたりしたことははっきりと憶えています」
 写真の効果もあってか、少年時代の遊びの話や、どんなことに興味をもっていたとか、いつごろからファッション業界に興味をもちはじめ、どのような経験をし、そして今何をイメージしているか?などといったことを、ざっくばらんに話してくれた。

「世間一般に僕の職業はデザイナーと呼ばれているけれど、自分としては良い服をつくるために試行錯誤を繰り返す昔ながらの職人でありたいと思っているし、現に子どもの頃から”ものづくり”に囲まれた環境で育ったから、自分にとってはそれが自然なことなのだと思います。逆に目に見えないものや手にとって触れることのできないものがお金に変わっていくようなシステムには興味がわかないというか、共感がもてないんですよ……」と瀬田氏。

 しかし子どもの頃から「ものづくり」に囲まれているからといって、誰もが瀬田氏のような大人になるわけではない。やはりもって生まれた資質も大いに影響している。ここにこんなエピソードがある。小学生の頃、東京の下町の子ども達と駄菓子屋に行き、その店オリジナルの「クジ付きお菓子」などを買うときも、仲間達は「いかに自分が幸運な子どもであるか」を競っていたが、瀬田氏だけはクジを当てることには興味を示さず、そのクジがどのようなパターンで作られているのかをじっと研究し、やがて百発百中で当てることができるようになったそうである。ある時、不思議に思った駄菓子屋の店主が、「どうして君は毎回当たりクジを引き当てられるのかい?」とたずねたところ、小学生の瀬田氏は、「おじさんがつくるクジには、いつも一定の法則があるから全部わかる」と、店主の癖を細かく指摘したという。
「クジの形状とパターンが頭に入っていれば、あとは作っている時のおやじさんをイメージして、頭の中で実際に定規を引いたりハサミをつかってみたりすれば、どうやって作られているか想像できるじゃないですか」と瀬田氏は懐かしそうに話してくれた。
「まあ僕の場合、いかにして物事を楽しむか?には没頭せず、どうしたらもっと楽しませることができるか?を考えるほうが楽しかったから、常につくる側の視点から物事を見ていましたね」と付け加えた。

20090527-009.jpg
▲アトリエ風景(奥様のえまさんと)

 公式プロフィールでは「東京モード学園を卒業し渡仏。ジャンポール・ポール・ゴルチエ社にて経験を積み、Y's、ヨウジヤマモトを経て、1998年に独立し株式会社シィディアを設立。翌99年にレディースブランド『setaichiro』をスタート。その後、2003年ミラノコレクションデビュー。さらにドイツの繊維メーカー、エンカ社が主催するコンテスト『エンカマニア』プロジェクトにて最優秀デザイナーに選出され、世界的に評価を受ける。一時期、イタリアのジボ・コー社のオリジナルブランド『GIBO』のクリエイティブディレクターを兼任。2005〜06年秋冬コレクションまでミラノコレクションに参加。2006年春・夏シーズンより、バス ストップ株式会社と国内における独占販売契約を結び、2008〜09年秋冬シーズンより、株式会社ルシェルブルーとのコラボレーションライン『LE CIEL BLEU setaichiro』をスタート。2009年春夏シーズンより、スペシャルピースで構成する新ライン『setaichiroプラチナ』をスタート」とさらっと書かれているが、フランスのジャンポール・ポール・ゴルチエ社に行ったときのエピソードや、エンカマニアで最優秀デザイナーに選出された時のハプニングなど、など、簡単なプロフィールからは読み取れない、瀬田氏の大胆な一面や、その他いろいろと面白い話をたっぷりと聞かせてくれた。その辺はのちほどインタビュー本編でご紹介する。

◆瀬田一郎 (setaichiro ブランド↓)
URL:http://www.sidea.co.jp/


 
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

東京美職人その2 〜
<シンプルモダンマクロビオティック 平田 優シェフ>

 次に私が向かったのは、自由が丘にある平田 優シェフのマクロビオティックスイーツ専門店、パティスリー 『シンプルモダンマクロビオティック』である。店舗内ではテイクアウトはもちろん、カフェスペースでは作りたてのマクロビオティックスィーツのアシェット・デ・セールスイーツを食べることもできる。

 マクロビオティック料理のシェフである平田 優氏は、料理講師と共に、日本雑穀協会認定の雑穀エキスパートという顔を持っている。1988年、東京のフランス料理店『Le coupe shou』で料理長を務めながらフランス各地をまわり、2002年マクロビオティックレストラン『KUSHI GARDEN』総料理長パトリシオ・ガルシア・デ・パレデス氏よりマクロビオティックの基礎を学び、その後「シンプルモダン」をテーマに独自のマクロビオティック料理を発表する。全国各地のホテルやレストランなどで、料理顧問・アドバイザーを務めつつ、『月刊マクロビオティック』にフレンチのエッセンスを活かしたマクロビオティック料理のレシピの数々を紹介。そして2008年12月には『月刊マクロビオティック』で2年間連載したレシピをまとめた書籍『シンプルモダンマクロビオティック』を発表。翌2009年1月には、待望のマクロビオティックスイーツ専門店、パティスリー 『シンプルモダンマクロビオティック』をオープンした。

20090527-007.jpg
▲パティスリー 「シンプルモダンマクロビオティック」
URL:http://simplemodernmacrobiotic.com/

 青山の瀬田氏のアトリエを後にした私は、来たルートをなぞるように銀座線で渋谷に向かい、東横線に乗り換え自由が丘駅で下車した。階段を降ると、東横線のホームと上下で交差している大井町線のホームに出た。右手方向が大井町線の改札になっている。その改札口を抜け、GAPが入っているビルを目指した。店舗はGAPの真裏にあたる。
 
20090527-008.jpg

 店舗の入り口に立ち宝石店の中の様子をうかがう様な慎重さで店舗内を覗いてみると、何組かの女性客がテーブル席で午後のひとときを楽しんでいるのが目に映った。勢いをころして、重たそうに見えるが実は動きの滑らかなドアをそっと空けると、ウォールナット材の優しい色合いと重厚な木目が印象的な床が出迎えてくれた。小気味よく小さく響く靴音に耳を傾けながら、真っ白な壁に目をやると、そこにはあたかもこの店にぴったりの絵画が飾ってあるかのごとく、照明の光が規則正しく差し込んでいる。しかし実際には、絵はおろか、壁には何の飾りつけもされていなかった。もちろん「シンプルモダン」がテーマということもあり、空間づくりにも徹底しているところが見られる。
 しかし単にシンプルなだけではないのも確かだ。店内に存在する人や商品や床や壁やあらゆるものがしっかりと、ある種独特の”気”を発しており、それらが響きあい店内の空気が充分に暖められているから、シンプルとはいえ、冷たい感じは一切受けない。むしろ余計な飾りつけが調和を破壊するおそれがある。

20090527-003.jpg
▲平田 優シェフ

 奥の厨房に平田シェフの顔がみえる。私に気づいた平田シェフはすぐに作業の手を休め、厨房から出てくると柔らかく包み込むように、それでいて必要以上に気を使いすぎたりすることなく、初対面の私を、三日前に顔を合わしたばかりの知人と接するような自然体で迎てくれた。

 話によれば、平田シェフは兄弟が多く、何故だか子どもの頃からみんなのオヤツを作るのは自分の役目になっていたそうだが、自分でもそれを不満に感じたりすることはなく、むしろみんなの喜ぶ顔を見るのが嬉しかったし、みんなの為に研究を重ねることが楽しかったという……。
 社会人になり、東京のフランス料理店に勤務するようになると、「もっとフランス料理のことをよく知って、さらにいいものを多くの人々に提供したい」と考え、何ヶ月かに1回ごとにちょっとした休暇をとり、直接フランスへ足を運んでは、食べ歩きや農村訪問などを続け、少しづつフランス料理を体にすり込ませていった。そして休暇が終わり日本に帰ってくると、新しいアイデアを実践しつつ、次の渡仏の日まで日本のお客様達としっかり向き合う。そんな生活が何年も続いた。
 2002年、マクロビオティックの研究、発展、普及に貢献する、久司道夫氏が認定するマクロビオティックレストラン『KUSHI GARDEN』にて、総料理長パトリシオ・ガルシア・デ・パレデス氏と出会い、マクロビオティックの世界に入る。もともと農業が盛んなフランスには足を運んでいたし、現場にも顔を出していたから、マクロビオティックに共感する部分も多々あり、その世界感に対し違和感を持つこともなかった。やがて持ち前の根気と努力で独自のスタイル『シンプルモダンマクロビオティック』を築きあげ、文字通り現在も日々進化を続けている。

20090527-011.jpg 20090527-012.jpg

「どの国の料理もそうですが、マクロビオティックの世界も、研究を重ねるほどにその奥深さを実感させられます。ここ自由が丘をはじめ、私自身全国に足を運び教室や講演などを行い、知識や技術などを紹介していますが、この店はそうした研究や教室を目的とはしておらず、とにかく様々な考えを持つ人達が、マクロビオテックの世界を覗いてみたくなるような、ちょっとしたきっかけづくりに役立てばと考えオープンしました。だからシンプルで誰にでも分かりやすい、美味しいスイーツばかりを紹介しています」と平田シェフ。

 マクロビオティックと聞くと、中には「味が薄い」とか「体にはいいけど美味しくなさそう」という先入観をもたれている人も少なくないと思うし、また実際にそういう経験がある方もいるだろう。まあイメージ的には、世に存在する美味しい料理をどんどん引き算してしまうイメージなのかもしれないが、平田シェフがつくる
マクロビオティックスイーツは、素材と素材の持つ個性が損なわれることなく、引き立てあい、足し算どころか、もはや掛け算になっている。
 なんできちんと掛け算になるのか、そして平田シェフ独自の『シンプルモダンマクロビオティック』といったいどういうものなのか、インタビュー本編では、様々なエピソードも含め、深く掘り下げている。もちろん自慢のスイーツもたっぷりいただいた。

◆平田 優 (マクロビオティックスイーツの専門店↓)
URL:http://simplemodernmacrobiotic.com/
(平田シェフのブログ↓)
URL:http://macrobiotic.jp/modules/wordpress1/


Dishes and Sweets of the Season:季節ごとの楽しみ方
Dishes and Sweets of the Month:旬の食材をテーマにしたレシピ
料理をおいしくする4つのポイント
手作りソース3種
基本のだし汁
Enjoy Macrobiotique Talk:平田シェフ、中島デコさん、
吉度日央里さんの対談

発行:日本CI協会 
URL:http://www.ci-kyokai.jp/
定価:1680円(税込)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

東京美職人その3 〜
<カリスマ足つぼ師 Mattyさん>

 東横線の自由が丘駅上りホームについた時にはすっかり陽が落ちてしまっていた。すぐに急行が滑り込んできたのでそのまま乗りこんだ。MattyさんのレッスンルームはJR目黒駅のそばにある。渋谷から山手線を利用する手もあるが、私は二駅目の中目黒で下車した。山手通りに面した改札を出てすぐにタクシーをひろった。タクシーは山手通りを目黒警察署の方角に向けて走りだした。サラリーマン達の帰宅ラッシュの時刻と重なってしまい、車道も歩道もかなり混雑していた。目黒通りと交差する大鳥神社交差点を左折し、しばらくすると、人ごみのJR目黒駅が見えてきた。信号待ちが長引きそうだったので、ずっと手前の適当な場所で降ろしてもらった。

 目黒のレッスンルームのドアを開けるとスポーツウェア姿のMattyさんが、ちっぽけな警戒心など一瞬で吹き飛ばしてしまうエネルギッシュな笑顔で迎えてくれた。この心地よい笑顔はMattyさんそのものでありトレードマークでもある。
 お邪魔する前に、まず靴を脱いだのが気持ちよかった。気分がすっとした。日頃、取材で自然の中を歩きまわってはいるものの、やはりそれはそれである……。都会をあちこち移動していると、また山歩きとは違った種類の疲労がたまる……。そういえば、田舎は移動距離は長いがあまり疲れない。ずっと車に乗っているからほとんど歩かないし、全くの他人と接することも少ないから気疲れもしない。農家や現場仕事やスポーツをしていればべつかもしれないが、きっと足腰は都会人のほうが強いだろう。
「ごくろうさまです。疲れたでしょ」といって、Mattyさんが暖かいハーブティーを出してくれた。座り心地のよい白いソファーとハーブティーの香り、そしてMattyさんの笑顔と、早くもなく遅くもない柔らかな声の響きが張り詰めていた緊張感を一気に解きほぐしてくれた。

20090527-010.jpg
▲Mattyさん  
 
 台湾で修行し、ツボ歴15年以上のキャリアをもつ足ツボ師Matty(マティ)さん。過去にご自身が体調を崩し悩んでいた時に足ツボと出会い、それがきっかけとなり回復したことから、すぐに足ツボについて様々な研究をはじめ、ターゲットを台湾に絞ると、持ち前の行動力ですぐに台湾へ飛び、修行がはじまった。

「子どもの頃から、何かに夢中になると、納得のいくまでとことんやってしまうのが長所であり、また短所でもありました。これはあとから母に聞いた話なんですけれど、たとえば小さな頃は、石と新聞を渡せば、それだで一日中遊んでいたそうです。とにかく完璧な形で石を包む方法を見つけるまで、何度も何度もやり直していたそうです(笑)。ただそういう性格って、大人になると必要以上に自分を追い込んでしまったりするから疲れますよね……。だから足ツボをやり始めた時も、もっとたくさんの人をよくしてあげられないかって頑張りすぎて、逆に体を壊してしまったこともありました……。この仕事って、もちろん肉体の強さも必要ですが、精神力も重要なんです。それは単にコツコツと技術を習得するための忍耐力という意味ではなく、心の底から相手をよくしてあげたいっていう意味の精神力です。だから五感を総動員して臨むので、エネルギーもたくさん使ってしまい、自分が想像している以上に疲れてしまうんです。最近はうまく自分をコントロールすることができるようになったので、バランスがよくなりましたけどね(笑)」

 そうした妥協を許さぬ職人気質によって磨き上げられたのが、台湾をベースとした各国のフットケアに、自らの経験と独自の視点で、即効力と改善率の高さを追求し、研究を重ねた『足健痩身術』(そっけんそうしんじゅつ)である。
 現在このMatty式足ツボ『足健痩身術』(そっけんそうしんじゅつ)は、講演会やセミナーなど、「自分で出来る足ツボ・フットケア」としてMattyさんによる直接指導で広められている。ちなみに「Matty式足ツボ」は、単に足を投げ出し気持ちよくしてもらうだけではない。「足裏に道を甦らせ、今日からの健康維持を自分で出来るようアドバイスする技法」それがMatty式である。だから一般のお客さんだけでなく、たくさんの同業者達がMattyさんの元に通うし、なにより体が資本となるアーティストや芸能人達も、健康と美しさの両方を維持するために定期的に足を運んでいる。

20090527-004.jpg

 Mattyさんは近年、『Matty式足ツボ10分解毒マッサージ』(2006年/ワニブックス出版)、『Matty式足ツボ症状別7日間プログラム』(2007.年/ワニブックス出版)の中で、ご自身のノウハウを惜しみなく紹介している。もちろん本も物凄くよく売れてしまっている。「よく売れてしまっている」とは妙な表現だが、やはり私としては、そうしたノウハウは通常秘密するべき部分ではないかと思い、Mattyさんにそのまま質問をぶつけてみた……。

「えっ、そんなものですかね……。でも私はそんなふうには考えていません。やはり自分でもいいと思うからみんなにすすめているのだし、少しでも多くの人に広めたいと、私も日々講習や講演を行っていますが、なにせ体がひとつしかないものですから追いつかなくて……。そんな事から、興味のある方には、まず本を読んでいただくと大よそのことはわかりますし、Matty式足ツボのスタイルが自分に合うものかそうでないかなども、じっくり検討していただけると思っています。それにMatty式足ツボは、私がいる限り、まだまだ進化を続けている途中ですから、心配後無用です(笑)」との言葉がかえってきた。特にモノづくりをされているわけではないが、そうした考え方は、常に新しいものをつくりだしていく職人といえる。

 この他にも、インタビュー本編では、特にMattyさんが強調している「解毒」に関することや、現代人の足(脚)などについても詳しくお聞きしている。

◆Matty (Matty公式ブログ↓)
URL:http://matty830.exblog.jp/


〜予約困難のカリスマ足ツボ師が初めて公開する目的別セルフケア術
価格:¥ 1,470 (税込)
出版:ワニブックス
カテゴリ:単行本
ページ:127頁
JAN:9784847016653
URL:http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4847016653/


価格:¥ 1,470 (税込)
出版:ワニブックス
カテゴリ:単行本
ページ:111頁
JAN:9784847017544
URL:http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4847017544

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

<インタビューを終えて>

 Mattyさんのインタビューが終了すると同時に、極度の空腹感が襲ってきた。きっと三本のインタビューが無事終了したせいだろう。気がつけば夕食時と呼ばれる時刻はとっくの昔に過ぎ去っている……。
 一人、二人、三人とインタビューを重ねるごとに、肉体は疲労したけれども、それとは逆にテンションは上がっていった。三人の話は本当に美味しいものを食べている時のような、いい音楽を聞いたり、いい小説を読んだりしているときのような、そんな充実感を与えてくれたし、日頃、なかなか蓄積することのできない種類のエネルギーを、まとめてたっぷりと吸収させてくれた。とてもありがたいことである。
 
 今回インタビューをさせていただいた三人は、扱っているものが刃物や精密部品、工芸品ではないため、一見すると「職人」と呼ばれるような世界とは逆のイメージを思いうかべでしまうが、やはり、話を聞いていると、時代や環境、都会や地方にかかわらず、いつの世も、自分自身の力で「新しい何か」をつくり出し、それを継続していくには、「職人気質」というものが必要不可欠だということがよくわかる。
 大量消費社会が加速化する中、同様に手作業軽視の風潮も加速化しており、それはものづくりの現場だけでなく思考からシステムにも及んでいる。だからある方面では「職人気質」のようなもをもたれることが非常に迷惑であるという場面に出くわすこともある。
 しかし、もし自分で新しい何かを切り開き、自分だけのスタイルをつくり上げ、それを継続したいのであれば、そうした「職人気質」のようなものがなければ絶対に不可能であるし(対極にある頑なにまもり続けるという行為も同じ)、そうしたものをつくり出す(守りつづける)上で重要な、個性だとか独自の価値観だとかを守る最後の砦こそが「職人気質」に代表される精神なんだと思う。
 でもきっと「職人気質」と呼ばれるようなものは、多かれ少なかれ誰もが生まれつきもっているものだと思う。ところが大人になるにつれ、何回も重ね撮りしたヨレヨレのヴィデオテープに3倍速でおざなりに録画した深夜番組のように、いつの間にか執着するべきものではなくなっていくのだろう……。
 確かに現代の大量消費社会においては、そんな重苦しい気質などきれいさっぱり忘れてしまったほうが生きやすいのかもしれない……。でも本当に心が乾いてしまった時に心のより所となるのは、様々なジャンルで活躍する職人と呼ばれる人達が、苦労して搾り出した何かであることは間違いない。
 

投稿者 blogpawanavi : 02:57 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月21日

ファームカノン 〜 栗山素幸さん [ インタビュー ]

◆響きあう農場・farmcanon (ファームカノン)

 五ヶ瀬町三ヶ所地区で農業(養豚農家)を営む、東京は「浅草」出身の栗山素幸さん(38歳)。南国宮崎とはいえ「日本最南端」に位置する『五ヶ瀬ハイランドスキー場』があることで知られる『五ヶ瀬町』の冬の寒さは厳しい。

 刺すような寒さが身にしみる2月の早朝。栗山さんは食欲旺盛な豚たちに餌を与え、午前中は堆肥作りや床の管理を入念に行い、様々な雑仕事をこなし、夕刻になるころ再び豚たちに餌を与える。どんなに寒い夜であっても、出産日には一晩中「つきっきり」で手助けをし、出荷日には前日から準備を整え、翌日は五ヶ瀬町から日向市にある「と畜場」を往復する。あと少しの辛抱で「春」が訪れるのだが、暖かくなれば畑仕事や田植え、草刈りの仕事が増える。農家の一日は忙しい。

 「養豚家と言われるのは抵抗があるんですよ!」と栗山さんは屈託なく笑う。『farmcanon (ファームカノン)』は、特殊な農場だ。一般的な養豚農家は通常、一千頭から一万頭を養い、月ごとの出荷頭数は数百頭という。それ以下は小規模といえるが、なんとファームカノンが養っているのは、わずか百頭ばかり。ちなみに月ごとの出荷頭数は多いときでも五、六頭だという……。その特殊性は、栗山さんの理想とする“響きあう農場”に起因する。その中で「最高に美味い豚肉」が生み出されていく。

 浅草生まれの栗山さんが、なぜ便利な都会暮らしを捨て五ヶ瀬町で豚を育てているのか?そして『 farmcanon (ファームカノン)』が目指す“響きあう農場”とは?朝から夕方まで農場での仕事を追い、様々な話を聞いているうちに、栗山さんの挑戦がこの混迷の時代にあって「私たちに新たな道を示してくれるものではないか?」と感じられた。

(レポート:藤木テツロー)

090218-7.jpg 090218-4.jpg
▲左:栗山素幸さん 右:恵利さんとの作業風景


住所:宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所11023
電話:0982-73-5488


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

◆インタビュー

----- farmcanon(ファームカノン)という名前の由来は?

栗山さん
「farmcanon(ファームカノン)は、ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)作曲の『カノン』からとりました。この曲は、最初は奏者が一人で奏でるのですが、次々に奏者が増えて音がだんだんと響きあっていきます。その曲調のように『ファームカノン』も様々なものと響きあうことを理想としています。人と響きあう、農場と響きあう、宇宙のリズムと響きあう。そういう願いをこめて名づけました。それと、僕が浅草生まれなので雷門にある風神・雷神像にちなみました。その二体の像の口の形が『あ』と『ん』なので、僕の農場も『ふぁ』で始まり『ん』で終わる形にしました。始まりは終わり、終わりは始まり、という永遠循環を表しています。『阿吽の呼吸』で響きあうという意味も含まれています。また、farmcanon(ファームカノン)の「f」を小文字で表しているのは小さな農場がたくさん集まって響きあうことによって成り立っていく様があってもいいんじゃないかと思ったからです。真ん中のCは沈静の月を表しています」

090218-2.jpg 090218-3.jpg

----- 農業を始めたきっかけは?

栗山さん
「生きるってなんだろう?生きる根源って何だろう?って、考えた時に、それに近づける職業として農業を考えていたんです。けれども、周りには誰もやってる人がいなかった(東京では)ので、特にどうすることもできず、当時は母の小料理屋を手伝ったり、ビルからぶらさがって窓拭のアルバイトをしながら、日々、悶々としていました。あるとき”黒豚しゃぶしゃぶ”とその黒豚を利用した堆肥で作った有機野菜を試食する会に参加しました。その時にその黒豚と豆腐、それと大根のスライスを食べて、雷に打たれたように魂が震えたんです。もともと母が、飲食店をやっていましたし、手伝いなどもしていたので、野菜やお肉に関しては一般の方よりは、詳しかったと思うのですが、その会で食べた野菜や黒豚は別格に美味しかったのです。何でこんなシンプルな料理で人に感動を与えられるのだろうって思いました。黒豚はしゃぶしゃぶするだけ。豆腐はそのまま。大根はスライスしただけのものでした。それでも、物凄く感動しました。その時、強烈に自分でも作ってみたいと思ったんです。それから直ぐに、養豚をさせてもらえる場所を関東で探したのですが、いい土地がなかったんですよ……。そしたらたまたま義父が、”畜舎も家も五ヶ瀬町にあるよ”というので、生活や環境の変化などといった細かい事などとにかく気にせず”やってみよう”と思いました。それが2001年の4月です。当時、僕は30歳でした」

090218-9.jpg 090218-10.jpg

090218-12.jpg 090218-11.jpg
▲阿蘇地方の原種の大豆。祖父の山からでる湧き水で味噌をつくる。


----- 東京を離れ、五ヶ瀬町で農業をやることに不安はなかったか?

栗山さん
「農業は全くやったことがないし、豚も見たことがなかったので不安だったけど、どうしてもやりたかった。もうイチかバチかですよ(笑)だって、一般的な養豚農家は数万頭から数千頭の単位で育成するんですよ!それなのに僕は、育成方法はおろか、農家の経営全般についても全く分かりませんでしたし、例えば、餌のつくりかたや交配させて、出産させて、出荷するまでの細かい技術もわかりませんでした……。でも、知らなかったからこそ、発酵する床の上で飼うという、堆肥づくりと密着した自分ならではの新しい豚の育成方法がつくれたのかもしれません。」

090218-13.jpg 090218-14.jpg
090218-15.jpg 090218-16.jpg

----- 農業を始めてから八年を振りかえる

栗山さん
「この八年間、辛すぎてあんまり覚えてないぐらいです。あはははは!最初は、四苦八苦しました。この農場自体が、二十数年間ほったからしにしてあった場所なので、まず開拓することから始めないといけませんでした。それをしつつ、豚の知識を得ながら育てていくっていうのが肉体的にも経済的にもきつかったし、誰も知っている人がいなかったから孤独でした。それと自分の理想として、全く薬を使わずに生命力のある豚を育てたかったし、生命力のある作物を作りたかった……そして、それらの生命力を生み出す源である土づくりをしたかったのです。薬やら消毒やら農薬やら抗生物質をのませたり、ワクチンを打ったりするっていう方向にはどうしてもいきたくなかったんですよね。だから、それを確立するまではしんどい時期がかなりありました。大きい台風が来た時に、養っている豚の半分から三分の一が死んだこともあったんですよ。畜舎の中に水が入って、一メートルもある床がズブズブの沼状態になりました……そうしたらいっぺんに豚が病気になってしまって……。ただただ落胆するばかりの日々でした。もう何回も”やめよう”とも思いましたし、お酒を飲んでふてくされていた時期もありましたよ(笑)」

090218-17.jpg 090218-18.jpg
090218-19.jpg 090218-20.jpg


----- 豚が半数近く死滅するという壊滅的といえる状態を体験をしても、薬を使いたくないという理由は?

栗山さん
「やはりそれは”薬がなきゃ生きていけないような豚”を、はたして人が食べて本当に健康になるのだろうか?その豚の糞尿で作った堆肥が本当に土を活性化させて生命力あふれるものできるのか?僕には疑問なんですよね……。つまり、生命力を高めることにはならないんじゃないかな?って思うんです。もしかしたら、科学的な数値ではみえないことなのかもしれないけど、その目にみえないものが大切だと思うんです。薬や農薬は目に見えない生命を殺していることになりますよね。例えば堆肥を消毒してしまったら、物凄い数の微生物を殺すことになる。本当は彼らが有機物を分解し、堆肥化してくれているわけです。土の中で微生物が動いて、作物を生み出しているんですよね。命を殺して生命力が高まるとは思えないんです。大切なのは”命”だと思うんです。もちろん、僕にも未熟な点はいっぱいありますよ。調子悪くなった豚をどうするのか?獣医を頼むだけの経済的な余裕はあるのか?とか、色々あるじゃないですか……。でも、できる範囲内で豚の自然治癒力や抵抗力を高めていきたい。命を基とする農業が大切だと思っています」

090218-21.jpg


----- 餌に対する想い

栗山さん
「豚は贅沢な生きもので、草だけでは育てられません。パン、大豆かす、麦、とうもろこし、ふすま(麦の皮)、魚粉、茶葉をベースに、竹の子と昆布の粉末、自家製のさつま芋、かぼちゃ、草、竹の子、稲藁、茄子農家の商品にならなかった茄子などを自家配合して与えています。飲み水は、山の湧き水をセラミックを通して活性化させたものを与えています。餌に関しては、まだ納得のいかない部分がありますが、今やれることはここまでです。現状はネイティブアメリカンが大切にしてきた地下水を汲み上げて莫大に与えて作るとうもろこしに頼らざるえない部分があるのですが、もっと違う部分があってもいいと思います。出来る範囲内で放棄された田畑を耕して作物を作る。社会から出る残渣類をうまく活用する。技術だと思うんです。餌化するための技術。小さな農場がいかに自然と響きあって成立するかが一番の課題です。かといって自分で全部作物を作ったとしても微々たるものです。人を雇って作物を作るには、経済的に厳しいものがある。大規模農家じゃなくても、小さな農場で響きあってそれをやれるのが理想ですよね。極論に走るのは難しいけれど、理想の餌に近づける道はあるんじゃないかと思います」

090218-22.jpg 090218-29.jpg


----- 栗山さんのつくる堆肥はとても良質だという評判だが

栗山さん
「様々なトラブルが重なり、どういうふうにしたらいいんだろう?どういうふうに豚と一緒に生きていったらいいだろう?って、そんな事ばかり考える時期が続いたのですが、それと平行して行ってきた”堆肥作り”の技術が高まっていきました。ある日、町内で有名な”お茶農家の宮崎さん”が訪ねてきてくれて堆肥を茶園で使ってくださることになったのです。そこで好評をいただき、さらに自分でも使ってみて”これなら”と手ごたえを感じました。そんなことから、あるとき”県の品評会にだしてみよう”というになったんです。するとそこでありがたい事に、県知事賞と九州農政局長賞を戴き、さらに近隣の農家や個人の方へと広がりました。もともと僕は、健康な豚を育てるためにどうしても健康で品質のよい茶葉を食べさせたかったので、宮崎さんとの出会いは大きかったですね!今では、豚の堆肥で茶葉を育て、茶葉で育った豚が堆肥を作るという循環ができて、本当に宮崎さんには感謝しています」

090218-23.jpg 090218-24.jpg
090218-25.jpg 090218-26.jpg


----- その堆肥はどのようにしてつくられるのか?

栗山さん
「五ヶ瀬町からでる木の皮、落ち葉、もみ殻、のこくず、あらゆる有機物を床に一メートルほど積み上げます。その上で、豚が餌を食べて、糞尿をして、走り回る。それを僕が機械で上下に混ぜる。豚の力が半分、人の力が半分で堆肥を一緒に作り上げています。コンクリートの上で育てないのは、大地の力、目に見えないエネルギーを信じているからです」

090218-31.jpg 090218-33.jpg
090218-35.jpg 090218-34.jpg

090218-36.jpg
▲大評判の堆肥

----- 現在、納得のいく仕事ができているか?

栗山さん
「知れば知るほど、ますます分からなくなりました……。技術に関しても、これは違うんじゃないかと思う部分もあるし、流通にしても、経営にしても、未熟な部分がますます見えてきましたね……。できればそういう壁をのり越えて、また一歩先に進みたいですね。そうじゃないと、僕みたいに小さな農業者は本当に生命力のあるものを世に伝えられません。続けていくのも難しいです。僕の理想は、生産から販売まで一つの輪で結ぶことですね。自分のところで製品化して、買いやすい形にしてから届けるようにする。そうでなければ、今ある仕組みの中で大量に生産する農業をやらなければいけない。もちろん、やりようによっては宮崎さんちのお茶のように、量もあるし、品質もいいというものも作れるとは思いますが、家畜の場合は、たくさん養うとなると、餌も膨大な量が必要だし、糞尿も膨大な量です。果たして、それを農地に還元してバランスがとれるのかということは、考えないといけないと思います」

090218-27.jpg 090218-28.jpg


----- そのバランスとは?

栗山さん
「ヨーロッパの最高峰の有機農法と指示されているバイオダイナミック農法を確立したシュタイナーの言葉に、『その農地に必要な家畜の数は、その農地で収穫できる作物で育てられる量が適切だ』と、あります。しかし、それをそのまま今の農業にあてはめると非常に難しい……。それは経済活動が成り立たなくなるからです。今は、そこを目標に置きつつも、どれくらいの家畜の数で農地とバランスがとれるのかを模索しているところです。堆肥は必要だし、家畜も必要。だけれども、膨大な数は必用ではないと思うんですよ」

090218-37.jpg 090218-38.jpg
090218-39.jpg 090218-40.jpg
▲この日の、昼ご飯。五ヶ瀬のおにぎり、畑で採れた生野菜、猪肉の炒め物。


----- 豚はどういう生きものか?

栗山さん
「豚はすごく人間に近い動物だと思います。ずっと、豚のことについて考えてきたんですけれど、僕にとって豚は同志なんですよね。土づくりをする仕事仲間。豚がいなかったら堆肥作りはできません。最初の頃はいいお肉ができればいいと思っていたんだけれども、それは、失礼だと思うようになったんです。確かに流通するなかで美味くなきゃいけないんだけど、でも”美味いまずいを越えたところ”で、僕は育てています」

090218-44.jpg 090218-45.jpg


----- では同志である豚の命を奪うことへのジレンマはないか?

栗山さん
「ありますね。最初に養ったのが白豚だったんですが、子豚だけ八頭買ってきました。その中にひときわ小さな子豚がいて、チビと名づけたんですよ。チビと呼べば来るんです。耳も倒すし、とても可愛いんです。でも、あたり前の話だけど、チビだけど最終的にはでかくなってお肉になる大きさに育って、食べることになったんです。実は東京から五ヶ瀬町にやってきて集落に入るときに、僕の前にこの場所で養豚業を営んでいた人が公害をおこしていたという理由から、村の人が僕の養豚に大反対したんです。『豚は臭いし、どうかと思う』って集落の人に言われてしまいました。でも、とりあえず熱心に頼み込み、了解を受けて豚が育ったら集落で食べる約束をしたんです。日も決まってチビと一緒に延岡の”と畜場”に行きました。最後のお別れだから頭をなでてやったら、犬のようにごろんと寝転んで嬉しそうにしていました。可哀想だけど死ぬまで育てるわけにもいかないし……」

090218-47.jpg


栗山さん
「僕の養い方をみて、どうしても枝肉を見てみたいという養豚家のおじさんと一緒に行きました。と畜場の方に了解をえて、一時間後に枝肉をみることになりました。ひとまず時間つぶしをするために延岡の町で食事をして、一時間後に”と畜場”の小部屋に行くと、チビのと畜を担当された方がでてきて『どうぞ』と言いました。チビの返り血を浴びた彼の右手にはナイフがぶら下がっていました……。僕はとても複雑な気持ちになりました。彼の向こう側にはチビが枝肉になってぶら下がっているわけです。床には血の蒸気が凄いんです。チビの頭も転がっています。でも、まだチビの魂がそこにあるような気がして涙がでてきました……。向こうにしてみればいい迷惑だったと思います。隣では、一緒に来たおじさんが、『いい肉質だ、内臓もきれいだ』って言うんです。その時『ああこれが豚を育てるということなんだ』って感じましたね……。実は、チビの頭は持って帰って、自宅でさばくことになっていたのだけれど、包丁はあてたものの、僕には出来ませんでした。その晩は、自分の人生の中で一番泣いた夜となりました……。自分にこの仕事は向かない、いっそのこと辞めてしまおうかな?とも思いました」


090218-50.jpg 090218-46.jpg
090218-52.jpg 090218-51.jpg
▲出荷されていく豚。


栗山さん
「それで、食べることになったとき、すごく嫌悪感がありました。人間って何て残酷なんだろうって……。ぼくは気持ち悪くなりながらそれを食べました……。しかし、これが実に美味いんです。もちろん気持ちは複雑です。凄く悲しかったです。でも凄く美味いんです。この矛盾がすごいんです!しっかりと噛みしめ、ゆっくりと飲み込んだとき、その複雑な気持ちが感謝に変わりました。それで、責任をもって大切に食べてあげることが供養になると自分の中で腑に落ちたんです。だから、粗末にしたり、残念な感じで流通させるのは悲しいんですよね……。仕事を辞めなかったのは、この後、どこかで自分が豚肉を口にしたときに、もう一人の自分が『お前、逃げたくせによぉ〜』って、言うと思ったからです。それだったら最期に頭を撫でてあげて『ありがとうね』って言って、自分で責任をもったほうが納得いくと思いました。今でも葛藤することがあるし、矛盾だらけなんですが、一つ一つ答えを出す。そういう作業をしているのかもしれません。そういうことを常に心に刻んでないと、チビに悪いな〜って思いますから……」

090218-41.jpg 090218-42.jpg
090218-43.jpg 


----- 中々できない体験だとおもうが……。

栗山さん
「悲しいことだけれど、みんなそういう体験をしたほうがいいと思います。昔の日本の暮らしには自然とそれがあったと思うんですよね。本当に豚一頭殺して食べるって大変ですもん。スーパーでパックに入って並んでいる豚肉を見ても、そうした背景などわかりえないと思うんです。そうしたらね、トラックで突っ込んでいって簡単に人を刺したりするようなことはないと思いますし、ぎすぎすした日本にもならないんじゃないかと思うんです。命のことを知らないから、暴力的になれるんだと思います。僕、トマトの花が黄色なのを、結構いい歳になるまで知しりませんでしたよ。やっぱり、自然との絆が切れているんですよ。そういうところを小さな農場なら結ぶことができるかもしれません」

090218-48.jpg 090218-49.jpg
▲父親豚の翼。とても大きい。

----- 今後の目標は?

栗山さん
「ファームカノンという農場の完成度を高めることですね。それと、小さな農場でもやっていける道を切り開きたい。一つの農場が響けばやっぱりカノンするのだと思います。僕みたいに農業やったことがない人でもやってみたいと思うかもしれない。誰も受け入れなくて一人で頑張るっていうのではなくて、ネットワークをつくりコミュニケーションをとりながら連携をとって高めていく。小さな農場でも考えを持って行動することによって、社会になにか影響を及ぼす、響かせることが出来ると思います。それも、ファームカノンの挑戦かもしれませんね」

090218-53.jpg 090218-54.jpg
▲栗山さんの畑には、一足先に春が訪れてるようだった。


090218-30.jpg


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

◆ファームカノンを取材して感じたこと

090218-1.jpg

 栗山さんは、やりたいことを正直にやっている、とても正直な人だと思った。これは、簡単なようで簡単ではない。普通は既存の枠からはみ出ることを恐れ、理想や志を貫くことが出来ずに諦める。良し悪しは別にして、多くの人がその選択をしていると思う。それは、既存の枠からはみ出るリスクを恐れてのことだ。安心を手放すリスク。社会から差別されるリスク。自分の能力と向き合うリスク。さまざまなリスクが挑戦する意思を挫く。そういう中で、ファームカノン・栗山さんは、挑戦している。既存の養豚。既存の流通。既存の社会。既存のものに対して自分で考え、行動し、理想を追い求めている。

090218-5.jpg

 多くの農家は有機的な農業を理想としつつも、理想と現実は別にしている。多くの消費者も、安心で安全なものをと口では言いつつ、現実は一円でも安いものを買いもとめることに躍起だ。結果、理想とかけ離れたものになるばかりか、日本の農業自体が成り立たたなくなりつつあるのも事実だ。飢えを忘れた日本は、金を恐れる社会になった。栗山さんは、理想的な農業を追い求めつつも、現実の社会とむきあい葛藤している。それは経済活動を成立させなければ続けることさえできないからに他ならない。けれども、既存の流通とは違う選択肢もあるのではないかとも考えている。

090218-6.jpg

 日本の食糧の情勢をみると、もう飽食の時代は終わっている。農民の高齢化により食糧自給力は著しく低下し、他国も農作物の輸出規制、及び、高い関税政策を始めている。今後、日本が「飢えに苦しまない」とは言えない。栗山さんの信念とする『命を基とする農業』、そうした思考は、農業にかぎらず、厳しい時代を前に、今こそしっかりと考えなくてはいけないことだと思う。それは、食糧のことだけではなく、私たちの暮らしそのものに、「本当にこのままで大丈夫ですか?」と、問いかけているようでもある。もしかしたらそれが、一つ目の『カノン』なのかもしれない。響きあうことで、私たちの暮らしが表面的な豊かさではなく、心の深い部分に響き渡る真の豊かさになればいいと感じた。

(藤木テツロー)

投稿者 blogpawanavi : 18:22 | コメント (2) | トラックバック

2007年07月13日

宮崎県庁カリスマガイド 松木孝仁さん [ インタビュー ]

 東国原知事の就任以来、全国版のメディア各社では毎日のように『宮崎』という言葉が見られるようになっています。関東・関西圏に在住している知人達に話を聞いたところ、かなりの頻度で『宮崎』がピックアップされているとか・・・。なんでも、旅行会社などのパックツアーにも以前にも増して『宮崎県』が組み込まれている率も高くなっているようで、観光地として大人気だった頃・・・とまでは行かないまでも、その頃を彷彿させるような賑わいが見られるスポットもあるのではないでしょうか?なかでも知事の提案で今年4月から始まった"宮崎県庁観光ツアー"では毎日のように多くの見学者が県内外から訪れ、1932(昭和7)年に完成し全国の都道府県庁で4番目に古い建物とされる「宮崎県庁」を見学されているとの事。そこで今回の宮崎人紹介のコーナーでは、今全国から注目を浴びている"宮崎県庁観光ツアー"のガイドの一人としてご活躍をされている"宮崎県観光リゾート課"の松木孝仁さんをご紹介したいと思います!松木さんは”元吉本興業所属の芸人さん”だったというユニークな経歴をお持ちの方で、只今、県庁ツアーの中では『カリスマガイド』としてご活躍されており、様々なメディアにも登場されていることから、見学者の皆さんからも「知事の次に県庁で会いたい人」という声も聞こえるほどの人気なんだそうです。そんな松木さんにガイドをお願いして、我々もツアーに参加しましたので、その模様もあわせてお楽しみ下さい☆
(レポート: 文 木原ケイ/撮影:甲斐英利)

松木さん 松木さん
▲元吉本興業所属のカリスマガイド・松木孝仁さん

*********************************************

◆プロフィール紹介

まずはカリスマガイド松木さんのプロフィール紹介から☆

名前:松木"カリスマガイド"孝仁さん
身長:171cm
血液型:A型
好きな食べ物:チキン南蛮!!
嫌いな食べ物:イナゴ?ハチノコ?? とかの虫系
趣味:お酒を飲む事
行ってみたい所:ズバリ椎葉村!!
おススメデートスポット:日南海岸とか綾町とか。
東国原知事の印象:気さくな方です。お話がうまいし、かしこい方ですね。
一言:県民総力戦です!みんなで宮崎をもっともっと盛り上げていきましょう!!


◆宮崎県庁ホームページ
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/

◆宮崎県庁ツアー特設サイト
http://www.kanko-miyazaki.jp/special/07_kencho-tour/index.html


*********************************************

◆宮崎県庁観光ツアー紹介

 それではまず松木孝仁さんのインタビューの前に、現在、宮崎への観光ツアーの目玉になっているといっても過言ではない県庁ツアーの模様をお伝えします!ツアーのオープニングはコチラの正面入り口で知事のパネルが皆さんをお出迎え♪毎回ツアー客の皆さんからは、このパネルを見ながら『今日は本物の知事に会える?』という質問を受けるとか。。

樹齢97年のパームツリー 知事パネル
▲左:樹齢97年のパームツリー 右:知事パネル

 前庭で職員の方による歓迎の言葉や宮崎の簡単な概要説明があった後、いよいよ庁内へ・・・。まずは玄関を入ってすぐ、五ヶ瀬町産の大理石で出来た階段をご覧頂きます。なんとこの大理石階段、4億2千万年前の石なんだそうで無数の化石を見る事が出来ます。

正面玄関の大理石 知事応接室前!
▲左:正面玄関の大理石 右:知事応接室前

 そして、「実はこの正面の階段が知事に合える一番のポイントなんですよ♪」という裏情報もこっそり教えてくれました。その階段を上ると、左手にある講堂前でパネルを使った説明があり、この宮崎県の歩みや建物の歴史を教えてくださいます。そしていよいよ緊張の瞬間・・・知事室前を通ります。が、この日知事は韓国へ行かれていて不在。知事に会えるか会えないか?はその日の運次第ということになります。ちなみに知事がいらっしゃる時には、タイミングが合えば知事室に入ることも出来たりするそうです!!その後、3階に上がる階段の踊り場にあるステンドグラスの説明があり、前庭に戻ります。

ステンドグラス 県庁前庭
▲左:ステンドグラス 右:県庁前庭

 きっとご存知ない方もいらっしゃるのではと思うのですが、県庁の前庭は県内各地の観光名所をイメージして作られているそうで、樹齢97年のパームツリーや、えびの高原の溶岩石や西都原古墳群のはにわが飾られた庭、高千穂のおがたまの木等を見ることができます。そしてなんとこの日は約50年に一度しか花が咲かないといわれるリュウゼツランの花も見ることが出来ました!

えびの高原の溶岩石 リュウゼツラン
▲左:えびの高原の溶岩石 右:花の咲いていないリュウゼツラン

リュウゼツランの花 リュウゼツランの花
▲これが50年に一度咲くと言われているリュウゼツランの花!

 そしてツアーの最後には、知事のパネルとともに記念撮影を行なわれるようです。このツアーは県外からの観光客だけでなく県内から来られた方でも、予約をされていればガイドさんがツアーを行なってくれるそうです☆興味のある方は、県内在住でもぜひ利用してみてくださいね!また、夏季限定イベントとして県庁本館のライトアップ(9/1まで、毎週金・土)や県庁カフェもオープンされているようです。そんなことから職員さんからは「県庁がデートスポットになっています(笑)こんな開かれた県庁は全国探してもきっとここだけでしょうね☆」とのコメントといただいたのですが、こんなことは今までの宮崎の歴史にはなかったのではないでしょうか?


*********************************************

◆松木孝仁さんインタビュー

そしてこのツアーが終わった後、松木さんに少しお話を伺ってみました。

7月10日に4万人を突破!の大人気ツアー☆

-----まずはこの県庁観光ツアーについて少しお聞かせ下さい。

松木さん:「このツアーは今年の4月23日、京都からのツアー第一便の方々から始まりまして、7月5日現在、観光バスにして約100台・3,800人、それ以外まで含めますと約3万7千人の方が見学に訪れています(7/10に4万人を突破されたそうです)。現在の東国原知事が就任された当初から考案されていたこのツアーは、現在ガイドの数が40名ほどおりまして全員が県の職員です。正直、始まった当初はここまで注目されるとは思っていなくて週に一組くらい来ればいい方だろうと思ってたんです。それがマスコミからの注目度の高さから、3ヶ月もしないうちに4万人近くの方が利用された。今では観光リゾート課の職員だけでは回らず、労働政策課や経営金融課の職員の方々にも助けて頂いています。もう言わば、県庁みずから県民総力戦を体現している形ですね(笑)。でも、本当に全員がイキイキとガイド役を行なっています。もちろんこのツアーが企画されるまで、自分も含めてガイドなんか一度もやったことのない方ばかりだったので、研修も行ないましたしもちろん我々の仕事内容は、それまでどおりの通常のデスクワークもありますので正直きついんですが、それでもお客さんがたにいろんな説明を行なった時に「ほぉ〜」とか歓声が上がる事で、それが喜びに繋がっていますね。」

-----松木さんは以前、芸人をされていた頃があったとか・・・

松木さん: 「どこで聞きました?(笑)実は名古屋の大学を卒業後、名古屋吉本に所属したことがあります。でもやっぱり芸人の道は険しいものがあり、宮崎に帰ることになりました。でも、当時県内には本当に就職先が無かったんです。それで一生懸命勉強して職員採用試験に合格し、職員として働く事が出来ました。県庁の仕事ってデスクワークが多いような気がしません?でも意外とそうでもなくて、いろんな所に走ったり、本当にいろんな経験をこれまで積ませてもらってますね。入社当時は、真面目な人しかいないんだろうなって思ってたんですが、意外とそんなことありませんでした(笑)本当に素晴らしい方がたくさんいると思います。」

-----ガイドの中では「カリスマ」の異名(笑)をお持ちだそうですが、初めから観光リゾート課に?

松木さん: 「いえ、初めは広報の仕事をしていました。いろんな情報をマスコミに流す仕事ですね。初めはものすごく緊張しましたよ。だって”ここでオレが間違えた情報を流したら、県内どころか全国でこの情報が流れるわけだろ・・・やばいじゃん!!”って思うでしょ?普通(笑)。あ、もちろんそんなことはしていませんが。常に緊張感はありました。そんな中で、仕事に対する達成感みたいなものを感じるようになりましたね。その後県教委に行き、そこから保健所に移り、そして昨年は経済産業省に出向という形で働かせていただきました。そしてこの春から観光リゾート課に所属してます。そして今回のこのツアーの仕事が始まりました。まぁ、少し芸人をかじっていた事もあって、喋りには少し自信が・・・。そんなこともあって、ネタになればいいかなと思ってカリスマを自称していたりもします(笑)」

-----なんだか本当に今のお仕事が楽しくてしょうがないみたいですね!

松木さん: 「ですねぇ〜(笑)。正直、今は公務員だからっていう枠にとらわれずにいろんな事をやってみたいと思ってます。それこそ以前、話題にもなった"お笑いライブ"とか。宮崎って、なんかお笑いでも音楽とかでもそうだと思うんですけどプロじゃないからやめちゃうような人が多いような気がするんです。でも本当はそうじゃなくて、素人さんでも続けてステージに立つことでその県の文化が生まれていくと思うんですよね。もしかしたら、練習する環境とかが無いからなのかもしれませんけど、でも折角だったら学生の頃から育てて行きたいなぁとも思います。M−1甲子園みたいなものもあることですし。実はこれまで、宮崎は好きだけど地域活性化とかなんか嫌いだったんです。でも昨年の経済産業省に出向してた際に行なっていた"公務員勉強会"に刺激を物凄く受けました。そこでは入省前の方もたくさん参加されてて、講師の方を呼んで毎回違ういろんなテーマのディスカッションを行なう。そこでは本当に沢山の意見が出て、みんな真剣にそのテーマについて議論するんです。これを宮崎でも行なえたらなぁって思っています。県庁だけでなく、各市町村の職員さんも一緒になって行って、地道に時間をかけて実績を作っていって、ん〜例えば10周年で知事を講師に迎えて行なえたりでもしたら最高でしょうね!」


matsuki4.jpg

 というお話を伺ったところで、次のツアーガイドの為松木さんはお仕事に戻られていきました。インタビューを行なっていて、自分がこれまで思い描いていた役所の職員さんのイメージとは全く違う印象を松木さんから感じました。自分は数年前、所要で県庁に伺った事があったんですが、その時はなんだか硬い職員さんたちだなぁという記憶があります。でも、今回はその時と全く正反対で、目に見えた職員さん全員が本当ににこやかな笑顔でお仕事をされていて、なんだかこっちまで楽しくなりました。最近、テレビなどでは『宮崎=東国原知事の笑顔』というイメージのものが多く、それが宮崎の知名度UPに繋がっている事は明白だとは思いますが、その知事の下で働いている沢山の職員さんたちにも知事の影響からなのか、沢山の笑顔がこぼれていました。県庁の職員さんだけでなく県民全員がステキな笑顔で毎日を過ごせるようになったら、本当に楽しくてしょうがない宮崎県になるような気がしました。お忙しい中、取材を快く引き受けてくださった松木さん・観光リゾート課の皆さん、当日はありがとうございました。皆さんに負けないように、僕らも頑張っていきたいと思います!!

投稿者 blogpawanavi : 11:25 | コメント (1) | トラックバック

2007年06月19日

建築デザイナー〜岩切剣一郎さん [ インタビュー ]

「五感に訴えるライフスタイルの提案」
 今回は、宮崎県佐土原町出身で現在神奈川県横浜市にある建築設計事務所「ネイチャーデコール」の取締役、また建築デザイナーとしてご活躍中の「岩切剣一郎」さんに、宮崎県だからこそ実現できる個性的かつ機能的な一般住宅に対するロマンを、故郷宮崎の地でたっぷりと語っていただきました。そんな、岩切さんの趣味はサーフィンという事もあり、この日は、宮崎の海から上がってきた直後にインタビューをさせてもらったのですが、待ち合わせ及び、インタビュー会場として利用させてもらったのは、岩切さんが今年宮崎で始めて設計を手がけたという高鍋町のリゾート住宅です。インタビュー時はまだまだ工事の途中ではありましたが、完成まであとわずかというこもあり、おおよその外観や内装が確認することができたため、岩切さんの説明をとてもわかりやすく聞くことができました。「五感に訴えるライフスタイルの提案」をテーマに、お洒落なだけでなく、機能的かつ癒される空間が広がる雰囲気作りを大切にしたこの住宅は、内外装ともに、こだわりの質感や一見無駄に思われがちな余白部分や空間の使い方、さらに駐車場から玄関、リビングに行き着くまでに建物のコンセプトを感じ取ることができるようなストーリー性、そして生活の中で気持ちいいと感じられる音や光、影に至るまで、人間の五感を気持ちよく刺激する要素がふんだんに盛り込まれた設計となっています。岩切さんの建築設計事務所「ネイチャーデコール」の所在地は神奈川県横浜市なのですが、今までにも、関東圏にとらわれず、日本はもとより海外でのお仕事も請け負っているそうで、そうしたことから岩切さんとしては、やはり故郷である宮崎の地での仕事を心待ちにされていたそうです。今回縁あって高鍋町に在住の方から一般住宅の依頼があり、岩切さんが設計を担当されたそうですが、いい一般住宅を建てる上では、何より土地と建物の価格のバランスが重要で、そうした要素をクリアしている宮崎では、のびのびとこだわりの住宅を提案できるということから、できれば今後も、宮崎をより良く、そしてさりげなく演出できる建物を増やし、宮崎の持っているポテンシャルを引き出していける提案ができればと考えているそうです。それではさっそく、その高鍋町にありますリゾート住宅の画像を交えながら、インタビューをご覧いただきたいと思います。
(レポート:松田秀人)

岩切剣一郎さん 岩切さんが手がけた高鍋町の住宅
▲岩切剣一郎さんと、岩切さんが手がけた高鍋町の住宅

◆ネイチャーデコール公式ホームページ↓
URL:http://www.nature-decor.com/

◆岩切剣一郎さんブログ↓
URL:http://iwakiri.jugem.jp/

****************************************

◆岩切剣一郎さん経歴

岩切剣一郎さん

宮崎県佐土原町出身。
佐土原小学校
佐土原中学校
佐土原高校(電子機械科1期性)
東京製図専門学校
建築会社に就職(住宅の現場管理)
2級建築士取得
設計事務所に転職(不動産量産建売の設計)
1級建築士取得
現在は「NATURE DECOR」取締役として活動中

※一級建築士事務所 神奈川県知事登録12056号

<業務内容> 全国対象
個人住宅、プチホテル、別荘、コテージ、各種ショップ、
自然素材によるオーダーメード家具、インテリアコーディネート、
暮らしにハーブを取り入れたアロマテラピー住宅の提案。


****************************************

◆岩切剣一郎さんインタビュー

インタビュー会場:岩切さんが現在手がけている高鍋町の一般住宅

外観 外観

-----子どもの頃からもの作りが好きだった。


松田:大変申し訳ないのですが、こちらのスケジュールの都合により、勝手ながら久しぶりの地元でのサーフィンを途中で切り上げてもらうことになってしまいました・・・。

岩切:いえいえ、とんでもない。でも宮崎の海は最高ですね!(と言いつつウエットスーツを乾かしている)

松田:そういえば岩切さんのブログを拝見すると、サーフィンだけでなく、音楽やバイク、スポーツなど話題が豊富ですですよね。

岩切:結構多趣味なもので・・・でも、サーフィン、ツーリング、ゴルフ、フィッシング、その他スポーツ全般や、アウトドア関連を含め、いろんな趣味を本格的やるには宮崎県は最高の土地だと思います。

外観 外観

松田:確かに、都会で流行っている家庭菜園やガーデニングなんかでも規模が違うというよりは全部そのものズバリですし、近くに本物がたくさんあるので、そうしたことに興味のある人にとってはとてもいい環境だといえるかもしれません。

岩切:何より宮崎は食べ物が美味しいじゃないですか!生活を楽しむ上での「衣・食・住」の中で、最も重要な「食」が高得点な上に「住」にもっとも関わりの深い、自然環境に恵まれているのだから、アイデア一つで、かなり楽しい、そして人間らしい生活が都会のようにお金をかけなくても楽しめると思います。

松田:そうですね、宮崎県は大都会の中心部のように、何もしなくても、様々な情報や楽しみがやってくるようなシステムは発達していませんが、逆に、何かを自分で見つけようとしている人にとっては宝の山かもせれませんね・・・。

岩切:本当に都会では何かやろうとするたびに、すぐに多くの費用がかかってしまいます。良くも悪くも、物は溢れるようにありますが、宮崎のようにアイデアだけではどうすることもできないという現状もあります。

岩切剣一郎さん

松田:さて、いきなり話が深いところに入って行きそうなので、ちょっとその前に岩切さんの経歴などをお聞きしながら、後ほど少しづつ、建築デザイナーの視点で宮崎を語っていただきたいと思います。

岩切:わかりました。じゃまずは何から行きましょうか?

松田:それでは、月並みな質問ではありますが、今のお仕事に至るまでを振り返ってもらえますか?

岩切:じゃあ、まずは小・中学校から・・・佐土原小学校、佐土原中学校を卒業して、もともと"ものづくり"が好きだったことから、佐土原高校の電子機械科に入学しました。ちょうどその年入学した僕たちが佐土原高校の1期性にあたります。高校を卒業後は、地方都市に住む若者なら、誰も一度は考えた事があるように、僕も人生の中で一度は東京や海外で生活したいという気持ちがあって、東京の専門学校に通うことにしました。

松田:専門学校は「東京製図専門学校」とプロフィールに記載されていましたが、高校の電子機械科とは方向性が違いますよね・・・。

岩切:確かにそうではありますが、僕としてのはずせないテーマが”ものづくり”だったので、とくに電子機器だけにこだわっていたわけではありません。その時は、もっと身近にある分かりやすいもので、はっきりと形になるような"ものづくり"がしてみたいと思い、建築やインテリアなどが勉強できる学校をえらびました。

松田:岩切さんが専門学校に進まれた頃って、ちょうど、CAD(Computer Aided Design / 設計支援ツール)が当たり前のように言われ始めた時期ですよね・・・。

外観 外観

岩切:僕が通っていた専門学校にもCAD科がありましたよ!

松田:岩切さんが建築に興味を持ったきっかけはCADですか?

岩切:いや、そうではなくて、最初はそこまで建築にはまっていたわけではないのですが、東京の専門学校に通い始めるということで、一人暮らしをはじめたんです。誰に気がねすることもない部屋だから、自然とインテリアに興味が沸いてきた一方で、自分が卒業した高校が、もともと工業系だったことから、大手自動車メーカー等に勤めた友人などと近況報告する機会も増え、そんな中で彼らの話を聞くと、たくさんあるパーツの一部分しか手がけることができないのが当たり前だということがわかりました。だから、いろいろと考えた結果、やっぱりトータルで"ものづくり"に携わることができるのは建築デザインじゃないか?って考えたのがきっかけです。それに建築っていうのは人間にとって大切な三大要素の一つである「衣・食・住」の「住」の部分をになう仕事だけに、将来的にみても十分進化出来うる要素や、それに対して打ち込む価値があると思いました。なにより、その頃に興味が沸いてきたインテリアというのが直接関わる仕事だったというのもあります。


-----建築現場での経験があるからこそ今の僕がある。


松田:「東京製図専門学校」を卒業をされてからは、もちろん建築関連のお仕事につかれたんですよね?

岩切:はい、4年間工務店に勤務し、現場監督を経験しました。

松田:えっ現場監督って・・・同じ建築関連の仕事とはいえ、設計とはまったく逆の仕事じゃないですか?

岩切:そうですね・・・同じ建築"ものづくり"とはいっても、デザインではなく、現場作業だったので180度違っていましたね(笑)。それでも、現場のことをかなり勉強できたのは大きかったですよ・・・。4年間のうちに2級建築士の資格を得ることができましたし、なによりここでの現場体験が、後の僕の設計業務にも大きく影響を及ぼしましたから。

松田:では、何故現場に入る事を納得されたのですが?また、結果的には現場仕事は4年でしたが、もしかしたらそのまま現場を継続しなければならなかったかもしれません・・・。目標がある岩切さんとしては遠回りには感じませんでしたか?

岩切剣一郎さん

岩切:最終的にトータルで提案ができる仕事を考えていた事から、将来的には設計(デザイン)業務に携わりたいとは思っていましたが、その前に、まずは現場を体で感じ、設計者が提案するものが実際にどのような手順で仕上がっていくのかを見ておくことも必要だと思いました。だから遠回りという感覚はありませんでした。

松田:先ほど「4年間工務店に勤務」とおっしゃっていましたが、その後はどうされたのですか?

岩切:量産の建売を主に行っている設計事務所に転職し、とにかく設計の数をこなすという作業を繰り返していました。この事務所では、インテリアやエクステリアに特別なこだわりを持って設計するような場面には中々めぐりあえませんでしたが、なんといっても、注文の数が多かったことから、売る側、建てる側、共に様々な問題を抱えたお客さんも多く、特に法律などについて学ぶ事ができました。これに関しては、設計者としての下地づくりだと思い頑張りました。おかげで一級建築士の免許を取得する事ができましたし、ここでの経験もよかったと思っています。

松田:工務店での現場仕事、量産建売の設計・・・どちらも肉体だったり、精神だったり、一般的にはキツイと思われる仕事ですよね・・・。

岩切:まあそうなんですが、基本的に"ものづくり"が好きだったので、振り返ってみると、あまりそんなふうには思いませんね・・・確かに本当にキツイ日は何度もあったと思いますが、だからヤメルという事にはなりませんでした。

松田:一級建築士の免許を取得してから、すぐに独立されたのですか?

岩切:いや、独立するためには、まだまだデザイン面において足りないものが多いと感じていたので、デザイン的な勉強をするため、今度はそういった方面に力を入れている事務所に片っ端から連絡し、面接をうけました。面接に応じてくれる確立は10社中1社ぐらいのものだったのですが、どの事務所も、いかにも所長と部下といった関係が明確に表に現れていて、なんとなく暗い雰囲気の中で淡々と仕事をしているような職場が多く、"ものづくり"に必要な活気が感じられませんでした。確かに遊びではないことはわかっているのですが、やっぱり、いいものを作ろうというときには活気が必要ではないでしょうか?だから、たとえいい返事が得られても、自分の思う職場のイメージに合わないものはパスをしていきました。そうこうしているうちに、今の事務所と出会い、話をしているうちに、だんだんイメージしているものが似ていることがわかり、運よく勤めさせてもらう事になりました。それがちょうど26歳の頃ですね!

松田:遠回りという話をさせてもらったのですが、今にしてみれば、どれも必要なことであり、裏をかえせば意外とテンポよくステップアップしているとも思えてきました。

外観 外観

岩切:ただ、自分のまわりを見ていると、このようなルートでたどりついた人はあまり見かけませんね・・・。やはり、設計は設計、現場は現場・・・というのが普通なんです。あくまでも設計者になるために、まずは現場からというのは僕の考え方であり、どちらが近いということではないと思います。本当に今にしてみれば、しかるべき時期に、必要な事がうまい具合に現場で学べたわけですが、一歩間違えばどうなっていたことか・・・。

松田:岩切さんは「現場体験が、後の設計業務にも大きく影響を及ぼした」とおっしゃっていましたが、実際にどのような部分で現場仕事が役にたっていますか?

岩切:お客様のイメージするものが、実際にどのような工程・日数でおこなわれ、どのような部分に注意を払わなければトラブルが増えてしまうのか?材料や進め方など意味のない費用がかかっていないか?さらに、デザイン性には優れていても、それ自体が実際に使い勝手がいいものであるか?それを実現するために工事全体に大きな支障をきたすことがないか?などを、お客様、設計者、現場の立場から総合的に判断することができます。だから、現場の方達にも、はっきりと意思を伝えることができるし、たとえばNGの時は、なぜ出来ないのか!するべきでないか!を説明することができます。やはり、お金を払う側も、仕事を受け取る側も、いいものを作るために気持ちよく仕事を進めていかねばならないので、そういう時に僕は、いい環境といい関係を作るための、ちょうどいいフィルターの役割を果たすことが出来ると思っています。

松田:確かに図面の上と実際の作業現場では大きくことなりますよね・・・。私自身も過去に建物の内線工事の設計・施工にかかわる仕事と、建築現場での実作業をしていた事があるので、それはよくわかります。現場の環境は建物を建てる地域の特質や、季節、さらに様々な業者間のやりとりによっても大きく変わってくるので、設計変更を余儀なくされる場面も実に多かったです。こちらが思っているよりもずっと、双方の意思の疎通や連絡事項の確認が行き届いていないのだということを実感させられました。

岩切:でも、現場を経験していれば、このままではこういうトラブルに発展しかねないぞ・・・といった事も早期に予測できるじゃないですか?だから、そうならないためにも、先回りして業者さんや職人さん達に関連資料を送ったり、必要とあらば打ち合わせの場をセッティングしたりすることで、トラブルを解消していきます。中には本当につまらないトラブルで、理想の完成像からまったく遠のいてしまう事だってありうるのですから。

岩切剣一郎さん

松田:たとえば建築の世界では、図面といわれるものは大きく3ツに分類されますよね!まずは建物の外観や雰囲気、さらに費用を見積もりするのに必要な「設計図」があり、次に、実際に建物を建てるさいに必要な寸法や施工詳細が書き込まれた、平面図や立面図、または展開図などの総称とした「施工図」、最後に建物が完成した後に、結果を書き記す「竣工図」があります。そんな中で、私の少ない経験からいっても、現場の環境を全く気にしない設計者が描いた図面は、"現場作業の事を何も考慮していない"と現場担当者から再三クレームがあり、何度も施工図を書き直さなければならず、当初の見積もり金額では合わなくなる事もしばしばあったと思います。結果、設計図・施工図と竣工図がかなり違っているような場合もありますよね・・・。私も現場作業をしている時に、設計担当者とクライアントさん、または現場監督や職人さんがもめている場面をよく目にしましたから。

岩切:きっとその時の雰囲気で感じられたと思うのですが、クライアントさんにしてみれば、たまたま進行状況を見に現場に足を運んだら、当初の計画と全然違う工事が目の前で進んでいたら目が点になってしまいますよね・・・。その場で職人さんに”それ違うだろ!”とひと言いってやりたいところだと思いますよ・・・。でも、職人さんからしてみれば図面の指示通りに作っているわけなので、クライアントさんは設計者に”いったいどうなってるの?”という事になるんです。実はこのような事はよくある話で、何が原因かといえば、クライアントと設計者だけでなく、設計者と職人さんとのコミュニケーション不足があげられます。特に現場が大きくなればなるほど、同じ建築業界にいても設計者と職人さんとは意外にコミュニケーションがとれていなかったりするものなのです。それは、きっと相手の仕事内容や気持ちを理解していないからではないでしょうか?

松田:特にこだわりの部分の多いクライアントさんはトラブルも多いでようね・・・。実はこだわりの多い人って、いいものを作りたい気持ちも人一倍あるので、神経質になるのは当然だと思いますし、また、それを手がける側のやりがいも大きいとおもうのですが?

岩切:そうですね。うちの事務所に仕事を依頼してくるクライアントさんの多くが、そうしたこだわりを持っている方々なので、特にコミュニケーションに気をつかわないと、仕事の途中で伝えたい事が伝わらないイライラが爆発してしまい、そのままにしておくと後で大変なことになりますから・・・。

外観 室内

-----宮崎だから気持ちいい住宅が作れる。


松田:関東近郊を中心に建築デザインのお仕事をされている岩切さんですが、ほとんど自然らしい自然が見当たらない都会で活動する上で、自然に恵まれた宮崎県の環境の中で思春期をおくられた岩切さんが、宮崎人でよかったな〜って思われる部分を教えてください。

岩切:ん〜、そうですね〜・・・まあこれは宮崎人だからってことでゃなく人にもよるのでしょうが、僕に限っていえば、宮崎の海のようにノビノビと仕事をやらしてもらっているところじゃないかな〜と思っています。そして、そういった日々の感情などが設計に活きているとしたら、ダイナミックさとか、または自然をイメージさせる光や音を様々な生活空間に溶け込ませたり、大胆に余白を使いきって、宮崎のビーチや空のように気持ちいいシンプルな空間を演出しつつも、宮崎人の持つ暖かみや安らぎの部分はしっかり押さえる事ができる。みたいなところでしょうか?もちろん都会に出てきたために、逆に窮屈になってしまった方もいると思うので、あくまでも個人的な考えではありますが・・・。

松田:サーフィンが趣味だとお聞きしておりますが、宮崎といえばやっぱりサーフィンですよね!そんな宮崎人ならではの趣味が仕事に活きたりしないのですか?

岩切:いや、これが結構役にたっているんですよ!サーフィンをやりに海外にも行くのですが、行けばかならず、その土地の建築物などを見て歩きますし、日本と全く違う町並みの中では、異なる文化をもった人々が独自のスタイルで生活していますし、デザインに関するヒントがたくさん詰まっていますから!

室内 室内

松田:岩切さんは、大胆に余白を使い、気持ちいいシンプルな空間を演出するとおっしゃっていましたが、デザインの中で余白部分をどう扱うかってかなり重要なことですよね・・・。

岩切:まあ、心情的にはできる限りなんでも詰め込みたいものなのでしょうが、最終的に気持ちよさを感じるのって、余白とその他のバランスだったりしますからね・・・。そういう点では、都会は自由になる土地面積も少なく、どうしても制約が増えるので、詰め込まざるを得ないといえます。だから余白や間の取り方が重要だといったところでどうにもならないのが現状です。その点、宮崎は自由になる部分がかなり多いのでノビノビとしたデザインを提案することが出来やすいのがいいですね!とにかく宮崎の海が最高なのも、実はデッカイくて白い砂浜が延々とあったりするからじゃないですか!この開放感が気持ちいいわけで、そんなダイナミックさがデザインに活きてくれば、宮崎らしい個性が生まれると思います。

松田:そして今まさに気持ちのいい故郷、宮崎の地に、岩切さんのデザインによるリゾート住宅が出来ようとしているのですが、初の地元での仕事にプレッシャーなどは感じませんでしたか?

岩切:いや〜プレッシャーというか、ものすごく力が入ってしまいましたね!何故かといえば、このリゾート住宅がきっかけとなり、今後、自分の地元である宮崎からの依頼が増えればいいと考えているからです。将来的に、宮崎の住宅をたくさん手がけることで、気持ちいい空間が広がる町づくりに貢献できれば嬉しいです。とにかく、僕は建築デザイナーなので、いい建物をつくることでしか地元に還元できませんから・・・。もちろん、家族や親戚が見に来るというのもプレッシャーといえばプレッシャーですが(笑)

松田:今回”課題”といったものはありましたか?

岩切剣一郎さん

岩切:なにより土地の広さをどのように使うかですね!先ほども言いましたが、都市部ではとにかく土地がないので、それをどうやってカバーするか?等がよく課題となるのですが、逆に宮崎は住宅が密集している中心部から車を10分から15分も走らせれば、広々とした土地に出会うことができるのがいいですよね!土地をのびのびと使えるからこそ、どのようにまとまりを出すのかというのが課題でしたね!あとは、家に入ってリビングに落ち着くまでのストーリー・・・かな?・・・・・言ってる意味わかります?音楽でもちゃんとイントロがあって、Aメロ、またはBメロがあって、サビに入るわけじゃないですか?確かにいきなりサビから入る曲もありますが、それはちゃんとそういう演出がされていて、そのサビが引き立つようになっているはずです。だから住宅も、その家の持つ雰囲気が、訪れた人にしっかり伝わるように、イントロからしっかり作らなければならないんです。

松田:そういえば、心に残る住宅って、独特の雰囲気がありますよね・・・。

岩切:そういうのって車から降りてから玄関までの距離や、玄関の形状や質感、さらに扉を開けてからみんなが集まるリビングにたどり着くまでのちょっとした演出でワクワク感をアップさせる事ができ、家に帰ってくる事や、友人を呼んだりすることが楽しみになったりするのですが、装備ばかりが重要視され、雰囲気に関わる部分が意外と軽視されていたりもするのです。

松田:でも、そういった演出って、先ほどもお話にありましたが、何も置かない、置けないような空間・・・いわば余白をたっぷり使わないと出来ない事ですよね・・・。

岩切:だから都市部に比べ土地に余裕のある宮崎のほうが、素敵な住宅を建てられる可能性が高いのです。みなさんも知っての通り、都会は土地自体が高いので、値段のわりに建物自体にかけられる費用は少ないのです。さらに気持ちいい空間を作ろうとすれば、それなりのスペースが必要ですし、周辺の環境や陽あたりなども関係してきます。

松田:音楽にたとえるなら、この土地はこういう雰囲気だからクラシック風にしよう!とか、ポップ調にしよう!リズムはこうでメロディはこうで・・・というかなり自由な進行ができるのが宮崎のいいところなのかもしれませんね!逆に、土地面積や周辺の環境により、作る前から、曲の長さだけでなく、リズムや雰囲気まである程度決まっている中で、アイデアを出していかなければならないのが都市部なら、必然的に住宅もパターン化せざるを得なくなりますよね・・・。私もテレビや雑誌で、様々な住宅を見ましたが、かなり無理矢理詰め込んでいるのがみて取れます。デザインの肝は収納スペースをいかにしてお洒落に確保するかという部分がよく取り上げられていますし・・・。

室内 室内

岩切:そして、建物を建てる上で、環境というのはとても重要なのです。巨大なオフィスビルやマンションが乱立する都会だと窓を開けても青空が見えない住宅がたくさんあるんですよ・・・中には、排気ガスなどで窓が開けられない住宅もありますし・・・。でも、宮崎なら、青空や周辺の緑、自然の音までもをふんだんにとりいれつつ、明るい日差しが差し込んで、気持ちいい風が吹き抜ける住宅がたくさん作れるのです。まあ、僕をふくめ、宮崎に住んでいる人、住んでいた事がある人にとってはごく当たり前のことなのでしょうが。だからこそもっともっと気持ちいい、個性的な一般住宅が増えて、それが宮崎の風景の一部となればいいと思うのです。個性的というのは気持ちいいと感じる部分が人それぞれということです。

松田:今までのお話から、岩切さんが建物の持つ雰囲気や質感などを大切にされているのがわかるのですが、ひと通りこちらのお宅を拝見していると、そうした見た目や雰囲気といった部分だけでなく、機能面でもよく考えられているように思われます。たとえば、ガラス面も多く、ものすごくたくさん光が入ってくるのですが、どの窓も、直接強風が当たらないよう、少し離れたところに壁があったり・・・これも台風が多い宮崎だからでしょうか?さらに、キッチンや浴室のとりまわし、特に、今インタビューで使わせていただいている、リビングの横にある、琉球畳が敷き詰められたお座敷スペースもちょうどいい、膝高で思わず座ってしまいます。

岩切:はい、やはりお洒落で雰囲気があっても、使いにくいものであってはならないと思っています。だから、その土地の特質なども重要ですし、そのスペースで何がしたいか?というのも大切です。たとえば、このリビングなども”人が集まりたくなる”というのをテーマにしているので、奥にひざの高さぐらいのお座敷スペースを作り、何気なく腰掛けたり、少し疲れたらお座敷で寝転んだり・・・。その人その人が、気兼ねなく一番リラクックスできる体制をとり会話に参加できるようになっているのです。そしてキッチンが一番高くなっているので、料理を作るこの家のオーナーは常に全体を見渡す事ができつつ、常に会話にも参加できるんです。

室内 家具

松田:このスペースは天井も高くて、とても広々としていますよね!特に玄関から長い廊下を通って、突き当たりを曲がり、ふとリビングを見ると、階段の向こう側が透けているように見えて、もう、そこから開放感が感じられます。また階段の下にある、ちょっとしたスペースも気持ちいいですね。その奥には天井の高いリビングとキッチンとお座敷があるのですが、ただ間仕切りらしきものが全く見当たらないですね・・・。見た感じ直ぐに、たくさんの人を呼んだ時に活躍しそうだというのはイメージできるのですが、壁がないのに不思議と各スペースごとに独立感があるのは何故でしょうか?

岩切:そうですね・・・いくら空間を広く使いたいといっても、どこから何処までがキッチンで・・・。というのが全くないと、人は落ち着かないのです。もちろんキッチンとリビングやお座敷の間に、パーテーションのようなもので区切る事も考えられるのですが、せっかく天井も高くとっているのだし、このスペースに関しては、階段のデザインを見ていただければ分かるように、極力閉鎖感をもたれないようなデザインを心がけました。その結果、床の高さと、それぞれのスペースの質感に変化をもたせることで差別化を図ったのです。ただ、コンセプトがバリアーフリーになってくると若干見せ方も変わってくるのですが・・・。

松田:お座敷の高さも、そのまま歩いてきてヒョイと座れるからいいですよね・・・。そしてこのお座敷のすぐ横にあるプールらしきものに、水がチョロチョロと流れ落ちる音が心地よく聞こえるのもいいし、窓の外にみえる水面もキラキラ光って癒されますよね。

屋外 床

岩切:まあ、なんといっても僕のデザインコンセプトは「五感に訴えるライフスタイルの提案」ですから、その辺も全て計算しています(笑)。こういった水場があると、夏は視覚的にも涼しく感じますし、子どもさんならプールとして活用することができます。冬場などは、ちょうどお座敷に座ったままで、表情豊かな水面を見ることができますし、その窓にお花を飾れば、水面に浮かんだ花のようにも見ることができます。静かな昼下がりに、お座敷に寝転んでチョロチョロと流れる水の音を聞いているだけでも癒されますよ!やっぱり、自宅にいて癒されるのが一番なのです。

松田:確かに、雰囲気を重視すると使い勝手が悪くなってしまったり・・・そのバランスって難しいですよね・・・。でもこの住宅は、パッと見、お洒落優先のようにも見えるのですが、キッチンまわりやお風呂に洗面所、さらに洗濯スペースと、主婦の体の動かし方までしっかりと考えられていて、無駄がない上に、癒し効果まで盛り込まれているのが凄いです。

岩切:とにかく、日々使い込むものなので、使いやすさや癒されるといった部分はかなり重要なのです。そして、先ほどもいいましたが、都会ならアレはダメ、コレは出来ないという様々な制約が多く、あっちを重視すればこっちが弱くなったりというように、バランスをとるのがなかなか難しくなるのですが、なっといってもノビノビ提案ができる宮崎だからこそバランスのいい、それでいてお洒落な住宅が、都会に比べて、みなさんが思っているよりもずっと安価でつくれるのです。そして何より、宮崎は環境のよさが魅力です。

室内 室内

松田:今日は、横浜でご活躍中の建築デザイナー・岩切剣一郎さんに、地元宮崎での初仕事の現場にお越しいただき、宮崎と住宅について様々なお話を聞かせていただきました。それでは最後になりますが、今後の目標などをお聞かせください。

岩切:最近は自分と同年代のクライアントさんも増えてきましたし、そうした中には、個性的なこだわりの住宅を作りたいという声も多いのです。だから、僕も今よりもっともっと感性を磨いていかないと、よりよい提案ができなくなってしまいます。きっとそういうのって、もくもくと建築だけやっていてもダメだと思うんです。だからいろんな事にチャレンジし、たくさんのものを見て、それを自分のものにしていかなければならないと思います。最終的にその感性が、建築デザインを通して宮崎に還元できたら僕はうれしいです。

松田:お忙しい中、本当にありがとうございました。

岩切:こちらこそ!

投稿者 blogpawanavi : 23:09 | コメント (2) | トラックバック

2007年04月02日

第11回宮崎県美術海外留学賞受賞〜村田晴子さん [ インタビュー ]

 四月に入りました!桜の花が満開ですね〜と思いきや、ふと顔を上げると、紺碧の空に桜吹雪が舞っています♪静かな冬もいよいよ終わり、本格的に春の到来です!みなさんもそれぞれの新しい環境の中で、希望に胸を躍らされていることではないでしょうか?さて新しい環境といえば、今回ご紹介する宮崎人は、この春からフランスはパリにあります「アカデミー・グラン・ショミエール」に留学することが決まっている宮崎の若き芸術家「村田晴子」さんです!村田さんは先日、『第11回宮崎県美術海外留学賞受賞』(宮崎日日新聞社主催)というとても素晴らしい賞を受賞されました。この賞は宮崎県の芸術振興に貢献できる人材育成を目指したもので、1996年から毎年、その年の受賞者が学ぶにふさわしい国・学校に受賞者を一年間派遣するというものです。そして今回受賞された村田さんは、これからパリへと旅立つわけですが、その前に今の心境も含めて、ご自身の作品のことなどを語って戴きました。ちなみに、村田さんは僕が手がけているフォトメッセージマガジン『日向時間』表紙を"四号続けて"描いてくれており、個人的にも大変お世話になっています。そんな事から今回の村田さんの受賞は、僕にとっても大変嬉しいものとなりました。
(レポート:藤木テツロー)

村田晴子さん 村田晴子さん
▲村田晴子さん(左) 第11回宮崎県美術海外留学賞受賞式の模様(右)

作品 作品
▲村田晴子さんの作品

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

●村田晴子さんプロフィール

1981年 宮崎市生まれる
1999年 宮崎県立宮崎南高等学校卒業
2003年 宮崎大学教育文化学部生活文化課程芸術文化コース卒業
2005年 宮崎大学大学院教育学研究科美術教育専修終了
2006年 日向学院日章学園高等学校非常勤講師

このはな絵画教室 講師
フォトメッセージマガジン『日向時間』 表紙
2007年4月よりフランス・パリ アカデミー・グラン・ショミエール入学

村田晴子さん

<画歴>
2001年
第53回宮日総合美術展 特選 [宮崎県立美術館]
第55回二紀展 入選(〜06)[東京都美術館]
2002年
第28回宮崎県美術展 特選 [宮崎県立美術館]
第54回宮日総合美術展 特選 [宮崎県立美術館]
2003年
第29回宮崎県美術展 準特選 [宮崎県立美術館]
第5回雪梁舎フィレンツェ賞展 佳作 [雪梁舎美術館]
第55回宮日総合美術展 入選(〜04)[宮崎県立美術館]
2005年
第32回宮崎県美術展 入選 [宮崎県立美術館]
第25回西日本美術展 入選 [石橋美術館]
第7回雪梁舎フィレンツェ賞展 入選 [雪梁舎美術館]
倉敷現代アートビエンナーレ西日本 招待出品 [倉敷市美術館]
2006年
第15回英展 招待出品 [田川市美術館]
第8回春季二紀新人選抜展 出品 [東京銀座画廊・東京美術展]
第58回宮日総合美術展 奨励賞 [宮崎県立美術館]
2007年
第11回宮崎県美術海外留学賞 [宮崎日日新聞社]

村田晴子さん 村田晴子さん

[宮崎県美術海外留学賞]
趣旨:宮崎日日新聞社紙齢2万号記念と県民待望の宮崎県立美術館の完成を記念してこの賞を創設する。県内の芸術文化の振興に貢献できる人材育成を目指したもので、美術家や美術家を志している人など幅広い人々を対象とする。事業の内容 海外に1年間、1人を派遣する。このための渡航費や留学先での学費、滞在費、壮行会費などのほか、帰国後の報告展開催に関する費用を負担する。
(第11回宮崎県美術海外留学賞 村田晴子さん壮行会リーフレットより参照)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

●フランス留学直前インタビュー
    

テツ 『第11回宮崎県美術海外留学賞』受賞おめでとうございます。

村田さん ありがとうございます。

テツ この賞はご存知でしたか?

村田さん はい、知っていました。最近の受賞者が先輩だったり、後輩だったり、同級生だったり、すごく身近な人が受賞していたので、賞の存在も内容自体も知っていました。

村田さん

テツ 選ばれたときは、どういう気持ちでしたか?

村田さん すごい、びっくりしました。「そ、そうか〜!」と思いました(笑。 宮崎でずっと絵を描いてたし、チャンスはあると思っていたんだけど、全国の公募展での受賞歴が少なかったので、まだ遠い話だと思っていました。

テツ フランス行きは、すぐに決心されたのですか?

村田さん 選ばれたら行こうと思っていたから、最初に話しをさせてもらったときに「行きます!」って言いました。今までずっと大学で絵を描かせてもらってて、先生もいるし、一緒に描いている先輩とか後輩とかもいて、すごくいい環境でしか絵を描いたことがなかったけど、ずっと大学にいるわけにもいかもないし、これから一人で絵を描いていかなければいけないなと思っていたときに話がきたから、ちょうどいいなって思いました。

テツ 初めての一人暮らしがフランスで始まるということですが、不安はありませんか?

村田さん ちょっと前までは楽しみの方がすごい大きかったんですけど、出発まで一週間きったのを自覚しはじめてからは不安な毎日です…。一人で生活できるかな、大丈夫かな〜っていうのはあります…。

村田晴子さん

テツ 留学先のアカデミー・グラン・ショミエールはどういう学校なのでしょうか?

村田さん 学校はアトリエみたいな感じで、モデルさんがいるから好きなときに行ってデッサンをするっていう感じだそうです。フランスについては、「日本は親切すぎるからフランスでは自分で言いたいことをはっきりと主張していかないと何も進まないよ」と、昨年受賞された平野良光さんから、アドバイスを戴きました。

村田晴子さん
▲村田さんの隣が、昨年の受賞者、平野さん

テツ 村田さんは自分の意見をはっきり言うほうですか?また自分自身の性格をどう思います?

村田さん いや、言えないほうだし、そういう環境に置かれたことがないから…。性格は、ものすごく人に頼って生きているような気がします。

テツ フランスではどういうことが楽しみですか?

村田さん フランス中を行けるとこまでいってみたいし、ヨーロッパの違う国にも行ってみたいです。あと、(違う環境で)一人で絵を描くっていうのも楽しみです。

------------------------

テツ 今まで絵を描き続けてきて、その中で絵を続けることで悩んだりしたことはありませんか?

村田さん 就職した方がいいのかなとか…。大学を卒業する時も迷ったし、大学院を卒業する時も迷ったし、卒業してからも今の時期は毎年迷っています。ちゃんと就職して絵をやった方がいいのか、今のような非常勤という形で時間がある中で絵をやった方がいいのかとか…。一定期間、就職活動の間は絵を描くのを止めなければならないのかなとか、そういうのも悩みます。

テツ 村田さんの周りでも、様々な環境の中で絵を描き続けている人がいると思いますが、止めてしまう人も多いのでしょうか・・・?

村田さん はい、止めた人もいるけど、就職しながら描いている人もいて…、そういう人の絵には迫力があるなと思います。働きながら、それでも描くっていうところで、ちょっと負けてるような気もします。

村田さん

テツ 言葉で表わすのは難しいと思うのですが、あえて村田さんの絵を言葉で表現するとどういう絵だといえますか?

村田さん 具象絵画(抽象絵画の逆、具体的な対象物を描いた絵画のこと)なんだけど、う〜ん…、現実の世界を写実的にそのまま描いているんじゃないと思う…。

テツ どういう気持ちで描いているのですか?

村田さん 自分のイメージをどうやって自分が納得する形で表わすかっていうのをずっと考えてて、そういう絵を描きたいというのがあって・・・。しっかりとしたこういう絵を描きたいっていうイメージがあるわけではないけど・・・。観た時に ‘‘自分が考えてる気持ち‘‘になるような絵を描きたいというのがあります。今まで描いてきたのは人の気配や存在感とかなんですけど、自分のやりたいのは例えばテツロー君を‘‘きれいに描く‘‘という方法ではないと思ってて…、上手くいえないけどそんな感じです。

テツ 絵は幼い頃から描いているのですか?

村田さん 絵は好きなだけでした。習ったりはあんまりしていません。幼稚園のときから、好きだった気がします。幼稚園でも家にいるときでも、よく描いていました。デッサンを勉強しないと大学を受験できないから高校二年生の夏に美術部に入りました。後は授業でする程度かな〜。

テツ いつ頃から本格的な活動をしたい思ったのですか?

村田さん 中学生のときに思いました。でも、小学校の頃からフランダースの犬にでてくる美術学校に憧れていました。本で読んで美術学校ってかっこいいな〜と思ってずっといきたいと思ってました(笑。

作品

テツ 村田さんが考える絵の楽しさって何ですか?

村田さん 最初が真っ白いからどういう絵を描くのも、どこにどう線を引くのも全部自分で自由に出来る。描いている時間が楽しいですよね。もちろん楽しいときだけじゃなくて、きついときもあるんだけど…。描けないとか、つかれたとか。でも、大学で研究室に入って卒業するときに止めたくないなと思ったのは、楽しいからで、他のものではないと思いました。

テツ 出来上がった自身の作品をみて、どういうふうに思いますか?

村田さん 「わ〜変なの!」と思うこともあるし、「良く描いたな」って思うこともあります。

テツ 大体百号の絵を仕上げるのには、どれくらいの日数がかかるのですか?

村田さん 平均したら一ヶ月ちょっとだと思うけど、いつも二枚ぐらい同時進行で描くことが多いです。公募展に出品するっていうのを自分で決めているんですけど、公募展って大体二点セットで出すんです。

テツ 色んな賞を獲っていますね。宮美展とか、二年連続で特選を受賞していますね。

村田さん 最初に出して、一番良い賞を獲っちゃったので、びっくりしました。

テツ 宮崎の自然や暮らしは、村田さんの絵に影響していると思いますか?

村田さん う〜ん、そうだな〜…。そうだろうな〜とは思います。自分の絵はすごく素朴な絵だなと思います。東京とか、思いっきり美術の学校で勉強した人の絵をみると強いな〜とか思うこともあるし、私の性格なのかもしれないんだけど、あんまり激しい色使いで主張する方ではないなと思います。

村田さん

テツ ところで、海は好きですか?

村田さん 海?海好きです!

テツ 村田さんの絵にある単純な線とかは、水平線なのかなと思いました。

村田さん すっきりしているのはそうかもしれません。描いているときに水平線を意識することはあります。

テツ 絵はずっと描いていきたいですか?

村田さん ずっと描いていきたいです。止めたくはないなと思っているけど、でも、止めても別に悪くはないなとも思っています。

テツ 今までは『存在』や『気配』をテーマに描いてきましたが、これからはどういうテーマで描きたいですか?

村田さん あんまり変わらないとは思うんだけど、何をこれから先のテーマにするかはわかりません。今は特に変えるつもりもありません。

------------------------

テツ 最後の話題になりますが、村田さんには「おめでとう」だけでなく、ちゃんとお礼を言わなければなりませんでした・・・。『日向時間』の表紙を描いてくれてありがとうございました。

村田さん いいえ〜こっちこそ〜。

村田さん

テツ 『日向時間』の表紙のような「絵と写真のコラージュ」という作品づくりを今までもしていたのですか?

村田さん コラージュは授業でやったぐらいで、作品づくりとしてはやったことはなかったです。

テツ やってみて、どうでしたか?

村田さん う〜ん。これは、やっぱり普通の自分の作品じゃないから、『日向時間』の内容にあわせてとか、テツロー君のイメージもあるし、そういうとこは難しかったです。

村田さん

テツ 一番最初が大変でした?

村田さん 一番最初もすごい悩んだけど、イメージができてから仕上げまでは早かったです。後の方が大変だった(笑。毎回これでいいのかというのが不安で苦しかったけど、冬号とかではやっと楽しむ余裕が出来ました。良い経験になりました!

テツ ありがとうございます。『日向時間』も着実に広がっていってるので、もっと広められるように僕も頑張りますが、やはり、なんといっても楽しみなのは、フランス留学を終えて帰国した一年後の村田さんです♪いったいどんな風に変わっているのかな〜・・・。

村田さん そうですね〜、どうなっているかわからないけど・・・でも、あんまり変わらないと思います(笑。

テツ 今日は出発前のお忙しい中、インタビューにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。フランスでの生活を楽しんできてください! 

村田さん

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

●テツローまとめ

 インタビューさせて戴いた中で特に印象的だったのは、「絵は好きですか?」という問いに対して、「好きです!」と何の迷いもなく答えてくれた事です。そして、村田さんが「絵を描く喜び」を実感しているということがとても羨ましいと思いました。自分の事を振り返ってみても、迷わずに答えられるものって何だろう・・・?と考えてしまいます。村田さんにとって、パリの「アカデミー・グラン・ショミエール」へ留学することは大きな楽しみだということでありますが、、一方では初めての一人暮らしが言葉の通じない異国の地であることや、その後も続くであろう絵を続けていくために必要な環境のことなど、目の前にある現実に対しての村田さんが抱えている不安も見うけられました。しかし、今回の賞は、画家・村田晴子が描き続けた実績を評価されての事であり、そして留学に関しても、村田さん自身が今までとは違う環境を欲し、もっと深く絵画の世界に飛び込みたいと感じていたからこそ実現したのだと思います。私には絵に対する知識だとか、職業としての画家の生活などについては詳しくありませんが、自分が好きなことに対してしっかりと向き合っている人をみると応援したくなります。だからこそ、村田さんには、好きなことを感じるままにやって欲しいな〜と思います。きっと、そういう人がたくさんいれば、もっと世の中が明るくなるのではと思います。そんなことから村田さんにはフランスでの一年間を、思いっきり楽しんできてもらいたいですね!さて、僕も怠けてないで頑張らなければ!それでは村田さん、一年後にお会いするのを楽しみにしています!元気に、「いってらっしゃ〜い!」

投稿者 blogpawanavi : 20:05 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月15日

みやざきフラワーフェスタ2007〜野口壮一さん [ インタビュー ]

 野山には紅白の梅♪あしもとには瑠璃色のオオイヌノフグリ♪岸辺を歩けば黄色い菜の花♪澄みきった青空の下で色鮮やかな花々が美しく咲き乱れております!ほ〜んと、宮崎の春は賑やかですね〜♪そんな宮崎の春を代表するビッグイベントといえば、『みやざきフラワーフェスタ』!!!毎年、こどものくにをメーン会場に色とりどりに咲き誇る宮崎の花を愛でに、県内外からたくさんの行楽客がやってきます!そして、今回の『みやざきフラワーフェスタ2007』で、なんと!フラワーフェスタが40回目を迎えることになりました!今年のフラワーフェスタ凄いですよ〜、国内最多の県内122会場に咲き乱れる花!花!花!これぞ「花とみどりのくに宮崎!」メーン会場のこどものくにでは、チューリップ、ベゴニア、パンジー、ルピナスなど、80種、80万本の花!花!花!の大乱舞!まさに、『フラワー・ビッグウェーブや〜!!!!』(彦麻呂風)てな感じに加えて、今年は例年にない様々な趣向をこらせた面白イベントが目白押し!こりゃ〜、宮崎に花の妖精が舞いおりること間違いなし!?ということで、今回ご紹介致します宮崎人は、『みやざきフラワーフェスタ2007〜こどものくにメーン会場』の企画運営を担当されています、宮崎市を拠点に活動している広告企画会社(有)プラネットノアの野口壮一(37歳)さんです!『みやざきフラワーフェスタ2007』にかける野口さんの熱い想いは、イベントをそして宮崎を盛り上げたい一心から、なんと"花"をテーマした『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』という宮崎発信のご当地オリジナルキャラクター生みだしました!今後は本格的なキャラクターショーで、子ども達に夢を与えていきたい!とめちゃめちゃ力が入っています☆そんな野口さんに、『みやざきフラワーフェスタ2007』をはじめ、思いいれいっぱいの『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』、今後の宮崎に描く夢やを語っていただきました〜!
(レポート:藤木テツロー)

野口さん 070315-noguchi-002.jpg
▲野口壮一さん(左) 野口さんが手がけたキャラクター「ミィヤ」(右)

フラワーフェスタ・メーン会場 こどもの国 野口さん
▲フラワーフェスタ・メーン会場 こどもの国(3月14日現在)と野口さん

※インタビュー会場:はにわ広告事務所、青島リゾート こどものくに

◆みやざきフラワーフェスタ2007会場紹介ホームページ↓
URL:http://www.pokapoka-miyazaki.jp/flower/index.html
◆青島リゾート こどものくにホームページ↓
URL:http://www.miyakoh.co.jp/kodomo/index.html
◆ダンシングフェアリー・ミィヤのホームページ↓
URL:http://www.df-miya.com/

********************************************

●花とアートのコラボレーション

みやざきフラワーフェスタ2007 花とアートのコラボレーション
▲こどものくに(左) 花とアートのコラボレーション(右)

テツ 『みやざきフラワーフェスタ2007』についての意気込みを聞かせて下さい!

野口 今回フラワーフェスタのテーマを何にしようかと、こどものくにのスタッフのみなさんと話し合ってきました。今回のフラワーフェスタが40回目を迎えるという良い機会なので、県内外より来られたお客様に、花だけをみる例年通りのフェスタを体感してもらう以外の、「毎日楽しい何か」を体感して戴きたいと思い進めてまいりました。「毎日楽しい何か」を何個作れるかということが今回のテーマで、とにかくスタッフのみなさんには「今回のフラワーフェスタ、毎日楽しいんです!」と、元気よく言って戴きたいと思ったんです。そういうところから観光宮崎の元気というか、楽しさを発信していければと思います。

テツ 「毎日楽しい何か」ということですが、どういう形のものが出来上がったので
しょうか?

野口 ハイ、いくつか楽しめる要素を作れたんですけど、その一つが、花とアートのコラボレーションです。宮崎出身の芸術家の先生方(鬼塚良昭、田中穀、上別府志郎、渡辺一宏)の作品を花壇の中に展示させて頂くことになりました。花壇はフェスタの核になる部分だから、ここに遊びをいれたくてアートを置いたらどうだろうかと思ったんです。

花とアートのコラボレーション
▲フラワーフェスタ「花とアートのコラボレーション」告知ポスター
 画像提供:(有)プラネットノア/はにわ広告事務所

テツ なぜ花の中にアートを取り入れようと思ったのですか?

野口 彫刻などの造形物は、自然のものを削ったり磨いたりしているんですよ。花もまた自然が作り出した造形物じゃないですか。花にも『命』を感じる。石を削った造形物にも『命』を感じる。木をくり貫いた彫刻にも私は『命』を感じるんですよ。そういう命と命のぶつかり合いというか、そういうものが化学反応を起こして不思議な空間が生まれるのではないかなと思ったんですよ。

テツ 『命』というのをもう少し具体的に表現してもらえますか?

野口 作品を作った作家の魂であり、想いです!そして、作品そのものが発する『気』です。美術館や博物館に行かれたときに、みなさん作品を見て立ち止まるじゃないですか。『気』を感じる、『命』を感じるから立ち止まると、私は思っているんですよ。そういう部分って人間は生物である以上、絶対持っていると思うし、波動を感じていると思うんです。

テツ 実際に会場にはどういう作品が展示されるのですか?

野口 一本の楠(くすのき)をそのままくり貫いた、高さ3メートルにもなる彫刻であったり、御影石を磨いて作られた可愛らしい犬の造形物であったりと、様々なものがあります。芸術家の方って発想が違うんですよ。「え〜!何でこの木をこうしようって思うの?」「何でこの石をこうするの?」って、見ていて凄く面白いんですよ!鬼塚先生が海岸に落ちている流木をポンとそこに指しただけでアートなんですよ〜。

テツ 恥ずかしながら彫刻などの芸術作品をあまり意識したことがないのですが、野口さんは芸術家の先生方との親交が前々からあったのですか?

花とアート 花とアート

野口 いえいえ全く知りませんでした。『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』のデザインを一緒に考えてくれている『はにわ広告事務所』の萩原社長にご相談したところ、「高岡町に住む鬼塚良昭先生が一番面白い先生だよ」と教えてくれたんです。それで、鬼塚先生のところに相談に行きました。最初は「無理だ」と断られたんです。「(作品を)運ぶだけでも大変だし、管理はどうするんだ。雨風に晒されるじゃないか」と言われました。そんな中でも諦めずにお話をさせて戴く中で、最後に鬼塚先生の奥様が「宮崎を代表するイベントに作品が置けるっていうことは、それだけみんなの目につくわけじゃない。あんたも表に出ないよ」みたいなことを仰ってくれたんです。その一言で鬼塚先生が決断してくださいまして、作品を展示させていただけることになったんです。宮崎の彫刻家の作品を一般の方はなかなか目にする機会がないじゃないですか。鬼塚先生も72歳を越えていらっしゃるので、そういうのもあって奥様が仰ってくれたんだと思います。鬼塚先生から芸術家仲間に広がって、田中穀先生、神別府志郎先生、渡辺一宏先生に参加して頂くことになりました。鬼塚先生は高岡町在住なんですけど、田中先生、神別府先生、渡辺先生は、関東在住の宮崎県出身者なんです。そして、実は田中先生は青島出身なんですよ。幼い頃みた、青島の生き物だとか自然だとかに感銘を受けて作品を作っていらっしゃるそうで、全ての作品が青島に繋がっているそうなんです。その作品が青島に帰るっていうことに鬼塚先生は閃いたというかピンと来られたみたいで、OKを出した理由はそこにもあったんです。『田中先生青島に帰る』じゃないけど、想いが繋がっていったんですね…。実際に鬼塚先生に、こどものくにに足を運んでいただき、作品に込められた想いを知っている鬼塚先生がこの作品を展示する場所まで決めて下さいました。花壇を作っている宮崎交通の小村さんと話し合って、お互いの想いが交錯する場所に決めたんです。お互いがそれぞれの仕事にプライドを持っていらっしゃいますから、最初はケンカになるんじゃないかと心配していました。案の定、最初からぶつかったんですけど(笑)、そのお陰で素晴らしい作品が出来上がったと思っています。

花とアート 花とアート

テツ 全部で何作品、展示してあるのですか?

野口 全部で16作品です。今回は花とアートとのコラボを楽しんで戴きたいですね。それから、それぞれの作品に先生方からメッセージが戴いているので、それも見て戴きたいですね。お客様にも作品を観て感じた想いを先生方へのメッセージとして書いて戴ければと思っています。我々が責任を持って先生たちにお渡ししたいなと、それが、宮崎出身の先生方へパワーをあげることになるんじゃないかなと思うんです。

テツ 芸術家の先生方の個展でもあるわけですね。

野口 そうです!そうです!先生方の作品を一般の方々が目にふれることがあまりありませんから、より多くの方に観ていただいて、色々なことを意識して戴けたらと思います。

********************************************

●宮崎の大切な遊園地 『こどものくに』

野口 「こどものくに」は、60年を越える歴史を持ってる遊園地なんです。滑り台とか、ラクダとか、ボートとか…。宮崎県民にとっては、思い出がいっぱい詰まった遊園地なんです。こどもの国を何回もゆっくり歩いてみると、遊園地の中に自然が息づいていることがわかるんです。緑と大地と海と川と水と風とを感じる空間があって、これって素晴らしい遊園地だな〜と再確認しました。乗り物とかは古いかもしれませんけど、自然が豊かな、宮崎らしいこの遊園地を大切にしないといけないな〜と思ったんです。

こどものくに こどものくに

テツ 野口さんも、子供の頃に「こどものくに」で遊んだ思い出がありますか?

野口 はい、あるんですよ。三歳のときに迷子になって大迷惑をかけたらしいんです
よ。兄がラクダに乗って、母が写真を撮っている間にいなくなって、大捜索願いがでて大迷惑をおかけしたそうです。自分は何を思ったのか山の方の崖を一人で登っていたそうなんです。母が「あんたがこどものくにの企画をするっていうのは、あん時の罪滅ぼしじゃわ」って言ってますね(笑)。

070315-noguchi-012.jpg
▲会場に訪れた観光客と

◆青島リゾート こどものくにホームページ↓
URL:http://www.miyakoh.co.jp/kodomo/index.html
◆こどものくに イベント
http://www.miyakoh.co.jp/kodomo/2007-festa/index.html
◆こどものくに 交通アクセス
http://www.miyakoh.co.jp/kodomo/access.html

********************************************

●ダンシング☆フェアリー ミィヤ!

ダンシング☆フェアリー ミィヤ
▲ダンシング☆フェアリー ミィヤ

◆ダンシングフェアリー・ミィヤのホームページ↓
URL:http://www.df-miya.com/

-------------------------------------
 
テツ 今回のフラワーフェスタでは、『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』という宮崎発信のご当地オリジナルのキャラクターショーを行なうそうですが、そもそも『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』とはどういったものなのでしょうか?

ミィヤ サキーラ
▲メインキャラの妖精ミィヤ(左) サブキャラの妖精サキーラ(右)
 (ミィヤ&サキーラ = ミィヤサキー = ミヤザキ)

野口 『ミィヤ』は花の妖精です。『ダンシング』は『Dance&Sing』『歌って踊る』、『フェアリー』は『妖精』っていう意味なんですよ。お花畑に行ったとき、自然にハミングしたり、口笛ふいたり、楽しい気持になるじゃないですか。"ミィヤ"もお花畑が大好きだし、「みんなで歌って踊って楽しもうよ!」「花を愛する優しい心を大切にしてね!」っていう想いもあって『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』は生まれたんです。

野口壮一さん
▲ミィヤを語る野口さん(左) 藤木テツロー(右)

テツ 『ミィヤ』が掲げるテーマや、物語を教えて下さい。

野口 『優しい心』がテーマです。胸のところに宝石のようにキラキラした、純粋な優しい心を表現した『ジュエルハート』があります。『元気』、『勇気』、『笑顔』、『愛』という四枚の花びらが集まって『ジュエルハート』を作っているんです。実はですね…、妖精界が大ピンチなんです!妖精界を明るく照らす美しい光の花『レインボーフラワー』を咲かせていた『みやざ木』が、どういうわけか元気がなくなってしまい、一言、「よだきい…」と呟いたんです。『レインボーフラワー』は枯れてしまい妖精界は真っ暗闇になってしまいました。妖精たちは妖精界一番の物知り、花占い師のおばば『ムジーナ』に助けを求めました。ムジーナは、「『みやざ木』を元気にするには、宮崎に行って『ジュエルハート』を集めることじゃ、そして『みやざ木』を甦らせるのじゃ〜!」と言いました。というわけで、『ミィヤ』と『サキーラ』は宮崎にやってきて、『ジュエルハート』を集めているのです。この二人に妖精界の存亡が託されているのです!

河野真紀さん
▲左がミィヤのデザインを担当した河野真紀さん(はにわ広告事務所)

テツ 「よだきい…」。って、呟くのが宮崎らしくていいですね(笑)〜!フラワーフェスタに行けば、毎日ミィヤと会えるんですか?

----------主題歌は影山ヒロノブさんに決定!

野口 平日に関しては、ミィヤと一緒に歌って踊って、花壇の中を歩いてジュエル
ハートを探したり写真撮影会などをします。土、日、祝日はミィヤのキャラクターショーやゲーム大会をします。主題歌をアニメ『ドラゴンボールZ』のオープニング曲『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を歌っていた、影山ヒロノブさんに歌ってもらうことになっています。本当に良い歌ですから、ぜひ会場に来て聴いて戴きたいですね。『元気』、『勇気』、『笑顔』、『愛』 『宮崎を元気にしたい!』

テツ 知られていないものを一から作っていくというのは、楽しいことかもしれない
けど、とても大変なことだと思うんです。そもそも、『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』をつくろうと思ったきっかけはなんでしょうか?

野口さん

野口 自分たちの世代って、キャラクター世代なんですよ。仮面ライダーが生まれ、
ウルトラマンが生まれ、ゴレンジャーが生まれ、女の子物も生まれ、キャラクターを追いかけてきた世代だと思うんです。それに、キャラクターものって分かりやすくて、子供たちだけではなく親である自分たちの世代もすごく気になるんですよ。"ミィヤ"をきっかけに親子で花を育ててもらったり、ちょっとした会話が生まれたり、楽しんでもらえればいいなと思うんです。実際うちもミィヤを作ることに息子と娘が協力をしてくれています。"ミィヤ"のデザインも七歳の娘から何回もダメだしくらってますしね(笑)。とにかく、一般の方々には形がないと伝わらないじゃないですか…。『日向時間』でもそうじゃないですか?「藤木君は何がしたいの?」「あなたはどんな写真を撮ってるの?」って言われても、言葉では伝わらないと思うんです。でも、『日向時間』を見せる。写真を見せる。これが一番早く理解してもらえる方法だと思うんです。自分も全くそれと同じ。自分たちが伝えたいことは形にしないと理解してもらえないと思うんです。それに対しての後悔はしたくないので、一生懸命やっているということです。

テツ 既存のキャラクターもたくさんあると思うのですが、それでも宮崎オリジナル
のキャラクターにこだわった理由を教えて下さい。

野口 他所のものでは「宮崎がこうなったらいいな!」「宮崎をこうしたいな!」っていう願いを乗せられないからです。『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』は、フラワーフェスタでデビューしますが、その後もみんなの優しい心『ジュエルハート』を集めるために、宮崎県内各地でキャラクターショーをやっていきます。宮崎のアーティストの集まりでこういうものが生まれることが出来たっていうことで、「宮崎をなめんなよ!」じゃないですけど…、宮崎を元気にしていければいいなと思います。キャラクターショー以外でも、宮崎だけではなく世界を意識してWebで発信をしていきます。ホームページをつくることによって、さらに、ミィヤが伝えたい優しい想いや宮崎の良さが、きっと伝わって広がっていくと思うんです。

はにわ広告事務所
▲総合デザインを担当する「はにわ広告事務所」
 ではスタッフと連日、夜中まで打ち合わせを繰り返した

テツ 『宮崎を元気にしたい!』そのために野口さんが形にしたものがミィヤってい
うことなのでしょうか?

野口 そうです!一人では、やっぱり出来る範囲が限られてくるんですけど、いろん
な人が加わることによって予想外のパワーが生まれてくる…。出会いで物はつくられていくんだなと思います。ミィヤのデザインもスタッフのみんなで話し合って徹夜して突き詰めてきたし、今のところ後悔は全くないです。自分たちは広告企画会社なので、どういう広告企画をプロデュースして、演出していくかということが仕事なんです。せっかく宮崎でこういった仕事をさせて戴いているので、広告という可能性…、楽しいことを追求していくことで消費が生まれる、元気が生まれる。こういった部分を信じたいんですよね。あくまで広告という分野を突きつけていく中で生まれてきたのがミィヤであるし、広告によって町づくりができるんじゃないかということを死ぬまで突き詰めていきたいというのが、自分の中に持っているテーマなんです。

テツ 宮崎フラワーフェスタは宮崎を代表するイベントですもんね!

花

野口 そうですね、やれることは最大限やろうかなと!『元気』、『勇気』、『笑顔』、『愛』ですよ!不安を持ってたら何もやれないですよ!優しい心っていうのは、凄く勇気がいることなんじゃないかなと思います。楽しい心だったり、元気な心だったり、お花を大切にする心、命を大切にする心、色んな優しい心が集まって『ジュエルハート』ってことですよ!お客さんにもやっぱり元気を与えてね、「花とアート良かったよ〜!」とか、「わけのわからんキャラクターもよかったよ〜!」「楽しかったよ!なんか歌って明るかったよ〜!」って、それぐらい言ってもらえればいいのかな〜って思います。

********************************************

●テツローまとめ!

 人それぞれ、その人が経験してきたこと、出会った人によって、見えているものが違うのだと思う。『宮崎』を一つ取り上げても、人それぞれの視点があり、それぞれの想いがある。そういう意味において野口壮一さんにも、今まで宮崎のさまざまなイベントに関わり、テレビコマーシャルを手掛け、広告企画という仕事を通して宮崎を感じ続けてきた視点がある。

 今回で40回目を迎える『みやざきフラワーフェスタ2007』を機会に、『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』を生み出したということ。野口さんが感じ続けた宮崎へのさまざまな想いが、さなぎから蝶へと羽根を広げるように形になっていく。そして、きっとこれは、宮崎の状況が…、時代がそうさせたのだと思う。『ダンシング☆フェアリー ミィヤ!』のテーマとする『優しい心』は、誰もが感じている人の繋がりが薄れていくという社会の危機的な状況に対してのメッセージだと思うし、『ジュエルハート』を形成する『元気』、『勇気』、『笑顔』、『愛』は、今の時代に最も大切な人としての有り様であり、それでいて宮崎が持っている良さなのだと思う。その良さを再認識し、広げていくことで、野口さんは宮崎を元気にしようと勇気を持って挑戦しているのである。

花

 『みやざきフラワーフェスタ2007』は、宮崎の春を代表する一大イベントである。『こどものくに』は、宮崎の大切な遊園地である。野口さんの言葉を聴いて、考えてもいなかった宮崎の大切なことに気づかされた。宮崎の春を満喫しに、"こどものくに"へ遊びに行ってみたくなった!期間中はとても忙しいと思うけれども、野口さんには全力で走りぬいてもらいたい。頑張れ野口さん!

投稿者 blogpawanavi : 22:12 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月09日

d-torso〜有限会社アキ工作社/松岡勇樹さん [ インタビュー ]

 みなさんはd-torso/ディー・トルソーって聞いた事がありますか?私は昨年のある取材時に、たまたまd-torsoと出会い、そのあまりに個性的なルックスにひかれ、パワナビ編集部に飾ったり2007年の年賀状に使用させていただいたりしました。さてそのd-torsoですが・・・「Torso/トルソー」は、よく洋服屋さん等でみかける人体の形に類似した、頭や手足のない像のこと・・・。じゃあ「D/ディー」は何の頭文字?ということになるのですが、実は"ダンボール"の"D"なんです。でもダンボールといえば、誰もが直ぐに思い浮かぶのが"箱"ですよね・・・・・。そんなことから、当然ダンボール箱に入れる中身には注目しても、ダンボールそのものを凝視することはめったにありません・・・。しかし、よく見れば、ダンボールの断面は独特な波型の形状をしているのが分かります。そのため、ダンボールを面で構成してしまうと、何処にでもありがちな何かになってしまうのですが、断面に注目が集まるような構成にすることにより、木や鉄、アクリルなどとはまったく異なる、独特な素材感を演出できるものに変身するのです。
(文:松田秀人 撮影:甲斐英利)

d-torso
▲d-torso使用例(画像:有限会社アキ工作社)

 d-torsoの発案者であり、製作会社の代表でもある「有限会社アキ工作社」の松岡勇樹さんは、もともと建築デザイナーであることから、建物の側面や断面の美しさには人一倍こだわりがあり、あることがきっかけとなり、ダンボール断面の特性をデザインに取り入れた立体造形システム、"DTS"(D-Torso System/ディー・トルソーシステム)を考案することになります( PCT国際特許出願中 )。"DTS"とは、コンピューターにより立体情報をスライスデータに分割し、これを再構成して3軸(x,y,z)で組立てる造形手法を用い、さらにコンピューター制御によるレーザーカット技術を駆使し造られる立体造形のことで、主にマネキン製品を中心に、ミニチュア動物フィギアや照明器具、特殊パッケージ、各種インテリア、遊具、OEM商品等があります。

松岡勇樹代表
▲有限会社アキ工作社、松岡勇樹代表

 そして下の画像を見ていただいてもお分かりの通り、実にユニークで個性的な表情をもっていることから、既存のトルソーやマネキンに飽きたという、全国の店舗やギャラリーなどから注文があり、遠くはニューヨークやロサンゼ ルス、または海外のミュージアムなどからも注文があるそうです。さらに、パワナビ甲斐もハマってしまった「豚段」や「猫段」といった手作り感が楽しく、さらに購入しやすい商品もラインナップされていることから、d-torsoのファン層もアーティストやアパレル業界関係者はもとよりペーパークラフト好きの方や可愛いインテリアを求める女性達まで、とても幅広いのが特徴です。さらに今週、3月6日(火)から9日(金)まで、東京ビッグサイトで開催される「ジャパンショップ2007」にも出展しているそうです。そんな、今、のりにのっている商品"d-torso"を製作している「有限会社アキ工作社」さんは、パワナビ編集部がある延岡市のお隣の大分県だというから私としてはじっとしておれません。早速、大分県は国東市安岐町にあります「有限会社アキ工作社」さんに伺い、d-torso誕生秘話や、製作風景など、細かくレポートしてきましたので、是非ご覧ください。

d-torso d-torso
▲お腹にハムを挿入しギフト用に(左) 様々な形状に対応できる(右)

***********************************************

●有限会社アキ工作社

 有限会社アキ工作社さんは大分空港の直ぐそば(歩いても行ける)にあります。会社の外観もd-torso同様にユニークでお洒落!そして外観だけでなく、この建物が面白いのは、日中は建物なが非常に明るく、夜になると逆に横の外壁面が光り、近所を通る人々の目を楽しませてくれるところです。上記でも触れたように、代表の松岡勇樹さんはもともと建築デザイナーであるという事がインタビュー中にわかり、そんなことから「この建物もご自分でデザインされたのですか?」と質問したところ、「いえ、自分のことを自分でやってしまうよりは、自分が一番好きな建築デザイナーに頼みたいな〜と思い、知人でもある塩塚隆生さんに一任しました」ということでした。ちなみに夜の外観風景は、塩塚隆生さんのホームページ内にあります、WORKをクリックすると画像を見る事ができます。さらに、「国東市は大分の中心部から離れているので不便ではないですか?」とお尋ねしたとこ、「いえ、仕事としては、海外にもお客様がいるので飛行機を使うことのほうが多いため、空港が直ぐ近くにある方が便利なんです。飛行機が着陸するのを見てから家を出ても間に合いますし(笑)、それに、日本国内や海外からのお客様が来られる時も、ごちゃごちゃして分かりにくい東京よりは、大分空港まで来ていただけば、直ぐに迎えに行けるので、場所的には不自由はしていませんし、情報的にはインターネットがあるので活動をしていく上ではまったく問題ありませんね!」と応えてくださいました。

有限会社アキ工作社 有限会社アキ工作社
有限会社アキ工作社 有限会社アキ工作社

住所:大分県国東市安岐町下原2406番地1
TEL:0978-66-7336
FAX:0978-67-2220
URL:http://www.wtv.co.jp
お問い合わせご注文:info@wtv.co.jp

ニット 油絵
▲奥様の洋子さんはニットデザイナー(左) 洋子さんが描いた油絵(右)

 さらに、事務所内には素敵なニットが飾られています。実は松岡代表の奥様はニットデザイナーとしてご活躍されており、ニットウェア専門のホームページも立ち上げられています。
◆Yoko-laboratory
URL:http://www.yoko-labo.com/

***********************************************

●d-torsoのいろいろ

※商品の詳細は下記のホームページをご覧ください↓
URL:http://www.wtv.co.jp

 d-torsoは大小、さまざまな大きさのものがありますが、現時点で一番大きいものは、等身大の馬だそうです。d-torsoは様々なパーツを組み合わせて作りあげるものなので、パーツの設計・組み合わせ次第では、かなりの大きさのもににも対応できるそうです。「まだ作った事はないですけど、象ぐらいまでなら作れます」とのことでした。さらに、その個性的な構造から、強度も優れています。また、素材がダンボールなので、様々な色にペイントしたり、紙を貼り付けたりするのは容易なので、楽しみ方の幅も広がりそうなのですが、松岡代表いわく、「やっぱりいろいろやってみたんですけど、最後はダンボール本来の色が落ち着くし、飽きないんですよね・・・」とおっしゃっていました。社内にはダンボールではない素材のものも飾られており、中でもびっくりしたのは鉄製のもの・・・ちょっと持ってみたのですが、めちゃめちゃ重かったです・・・。ちなみに、パッケージデザインや「猫→ダンボール→段々・・・だから猫段」といったネーミングも松岡代表のアイデアだそうです。

d-torso d-torso
d-torso d-torso
d-torso d-torso
▲ユニークなハンガーも登場するそうです

070307-dtorso-035.jpg 070307-dtorso-036.jpg
070307-dtorso-037.jpg 070307-dtorso-038.jpg
070307-dtorso-039.jpg 070307-dtorso-040.jpg
▲猫→ダンボール→段々・・・だから猫段・・・作りたくなる。

***********************************************

●松岡勇樹代表インタビュー

松岡勇樹代表と洋子さん
▲松岡勇樹代表と奥様の洋子さん

松田:大変申し訳ない話なんですが、こちらの取材が決まる前に、豚段と出会っておりまして、そのときにd-torsoを製作されている会社が気になって、アキ工作社さんのホームページを拝見したんです。でもさすがにd-torsoの情報はあっても、仕事場の風景までは見ることが出来ず、"町工場"のようなイメージを勝手にもっていたのですが、来てびっくり、とてもお洒落で、室内も明るく、加工スペースもとても清潔感があるんですよね・・・。ちなみに創業されて何年くらいたつのですか?

松岡代表:えっ・・・綺麗ですか?それは、ありがとうございます。まず、会社としてはこの春で8期目を終わろうとしていますね!そして、この建物を新築したのが2年前でして、私の知人で、私が大好きな建築デザイナーである、塩塚隆生さんに一任したんです。特徴的なのは、昼はとても明るくて、夜は外からこちらを眺めると建物自体がビニールハウスのように光って見えるんです。実は、もともと自分は建築設計が仕事で、彼とはまったくの同業なんですけど、まあ、自分のことを自分でやるより、自分の好きな人に任せたほうがいいかな〜って・・・。

松田:へぇ〜、建築設計をされていたんですか・・・で、今は建築設計のお仕事をされていないんですか?

松岡代表:ん〜、現在はd-torsoのほうで忙しいですね・・・。

松田:では何がきっかけで、建築設計からd-torsoに移行されたのですか?

松岡代表:d-torsoの原型を作ったのはですね・・・・・実は、彼女(奥様の洋子さん)が手がけているニットの事業方が、d-torsoより長くて、1995年頃だったかな〜?初めてのニット展示会を渋谷のパルコで行う事になって、その時に彼女が、「どこかにいいデザインのマネキンないかしら?」ってことになって、いろいろと市場をさがしまわったんですけど、中々気に入ったものがみつからなくて・・・。マネキンもアジアから輸入された大量生産ものなら安価ですが、やはり展示会で使えるような、いいものとなると意外とレンタル料も高いんです・・・、だから、「じゃ自分で作ろう」って僕が5体ほど手作りしたのがきっかけですね。そして、いざ展示会が始まってみたら、僕の手作りマネキンがアパレル業界の人達の間でとても評判がよくて、「これはいいよ!早くパテントとっておいたほうがいいんじゃないの?」なんてアドバイスまでくれたりもしたんです。それから直ぐに、自分で特許申請書類を作って提出したりしました。

有限会社アキ工作社

松田:ということは、d-torsoの原型は10年以上前からあったんですね・・・。でも、このd-torsoを手作りするって・・・ちょっと信じられませんね・・・気が遠くなりそうです。

松岡代表:製作方法が進化しただけで、構造や仕組みは、今もまったく当時と変わってないんですよ・・・。まあ、今にしてみれば、お金はなかったけど時間はありましたからそういうことができたんでしょうね〜(笑)。あたりまえですが、その頃は今みたいにコンピューター使って機械的に作業したりなんてできなかったから、全部手作業ですよ!デッサンして、型紙作ってカッターでコツコツと切リ抜きましたよ。

松田:展示会で評判だったということですので、その後は忙しくて大変だったんじゃないですか?

松岡代表:いや、まったく逆です・・・。特許がおりるまでに少し時間がかかるんですが、パルコの展示会の時はあれだけ盛り上がったのが、いざパテントをとっていろんな企業に事業をもちかけたら、まったく反応がなくて・・・・・。正直「アレ」って思いましたね。中には「お疲れ様」って、図書券送ってくる会社もあったし(笑)。ただ、話を持ちかけた会社が、マネキン関連の会社ではなく、紙関係の会社などをあたっていたので、今思えば、相手側の受け入れ態勢がなかったという事もあったかもしれません。おかげさまで、今では少しづつ評価をいただいているところではありますが、まだまだ、頑張ります!今のところ、宮崎では取り扱い業者はいませんので、もし、宮崎で気に入ってくださった方がいらっしゃれば是非、ご連絡ください。

松田:話はかわりますが、ダンボールという素材について聞かせてもらいたいと思います。「どこかに面白いマネキンないかしら?」から、どういう経緯でダンボールに至ったんですか?ほかの素材もあったでしょうし、もっといえばワザワザ(失礼)こんなに複雑なデザインにしなくてもよかったのでは?

松岡代表:ん〜、やっぱり当時を振り返れば、当然いくつかの制限はでてきますよね!たとえば素材は出来るだけ安価なものがいいとか、加工しやすいものでなければならないとか・・・。そんなことから、その2点で絞っていけば、大よそ紙に行き着くじゃないですか?じゃ、紙を使ってどうやって立体を作っていこうかと考えたときに、通常は紙を折りたたんだりして面をつくり、それを構成しようと考えるのが一般的じゃないでしょうか?でも、そうしていくと、多角形なら簡単にできるけど、曲面の表現が非常に難しくなるんですよ。かといって滑らかな局面を面で作り、その形を維持するには、中にその面を支える骨組みが必要になりますし・・・。ただ僕の場合もともとが建築設計をやっていたので、物事を断面で捉える思考が出来たんですよ。だから「どんな曲線でも、輪切りにして、断面を利用し面を表現すれば大よそ何でも出来る」っていうのはすんなり入ってきましたね・・・。だから。当時も設計は皆さんが考えられているよりはスムーズに出来ていたんです。そして、先ほどいった紙を折り曲げて作る直接的な面ではなく、断面の組み合わせによってできる間接的な面なので、素材そのものの断面の形状(デザイン)がかなり重要なんですよ。そんなことから、ダンボールの独特な波型の断面がd-torsoでは重要になります。d-torsoの構造の面白さと、ダンボール素材の構造の持つ面白さ合わさって、はじめてd-torsoの魅力が引き立つんです。それに、なんといっても自然環境の事まで考えたらリサイクルできる紙のほうがいいですよね!


松田:第一号は完成までどのくらいかかりました?手作りですよね・・・。

松岡代表:第一号に関しては、プロトタイプということもあったので試行錯誤はしましたが、設計から完成まで1週間ぐらいで出来ました。

松田:ダンボール素材以外でも製作はされるのですか?

松岡代表:クライアントさんによっては、様々な要望もあるので、ダンボール以外の素材でも製作はするんですが、建築設計を手がけてきたものとしては、「構造の持つ美しさ」という意味でのd-torsoの原点は、やっぱり「断面に魅力のある」ダンボールなんですよね!素材的にカラーリングも簡単なので、もいろいろためしてみたりもしました。あるときは、表面に海外の新聞を貼り付けたり・・・まあ、いろいろやってはみるんですけど、最後に落ち着くのは、シンプルなダンボールですね・・・。

ダンボール素材 木製
▲左がダンボール素材、右が木製、素材の質感の違いがわかる

松田:製作方法としては、現在はレーザーカットを導入されていますが、ダンボールは紙なので焦げたりしないんですか?

松岡代表:厳密にいえば焦げますね!でも、ダンボールの構造上、たとえば木製の板を切ったときのような断面の焦げ方にはならないですよね?ダンボールって断面を構成する面積が非常に少ないじゃないですか・・・ある意味"ない"とも言えるほどです。ただ少ないとはいえ、厳密にいえば断面があるから焦げるんですけどね・・・でも、ダンボールならその焦げも最小限度におさえられますよね!

松田:レーザーカットに比べて原始的かもしれませんが、たとえば金型などを利用してせん断加工をすれば焦げの心配もなくなり、大量生産もできるのではないでしょうか?

松岡代表:いや、それだと、せん断加工の特性上、結局最後は押し切って(引きちぎって)しまう形になるので、若干ですが断面がつぶれてしまうんですよ・・・。まあ、焦げはしないでしょうけど、レーザーでスパッと切ったような美しさはないですね!金型は一度作れば、大量生産には向いているかもしれませんが、やはり「断面ありき」のd-torsoのコンセプトには反するんじゃないかと・・・。逆に、レーザーのいいところは、まったく同じデータをつかって鉄素材でも、木素材でも同じように切れてしまうところです。うちでも鉄製のものを作った事がありますよ!

d-torso d-torso
▲ダンボール以外にも鉄(左)や木(右)といった素材のものもあった

松田:一番大変だった、形状はなんですか?

松岡代表:ずっと、マネキンの形態のものをつくってきたなかで、はじめて動物に挑戦したときが大変でしたね!動物自体は体の構造が似ているので、1ツできれば、犬でも猫でも豚でも、あとはどうにかなるのですが、人型のように、スッっと立っているわけでなく、4本の足を地に付けて立っているじゃないですか・・・だから、犬のプロトタイプが一番てこずりました。今では動物もなんてことはありませんが。

松田:設計をする上でのポイントは?

松岡代表:そうですね・・・全体の雰囲気を壊すことなく、いかにしてパーツを少なくするかというところですね・・・。パーツを詰め込みすぎるとカッコよくならないんです。ある意味、隙間がカッコいいみたいなところがありますから!実際には無い空間を演出するのがd-torsoの特徴なので、空間の気持ちよさが重要です。たとえばボディーは何処で輪切りにするのがいいかとか、隙間を何ミリにすればいいかなどは、いくらコンピューターがあっても、決めるのは人間ですから。

松田:あまり深く考えていませんでしたが、d-torsoはパーツとパーツの「空間」が気持ちいいわけですね!だからオブジェとして見ても、都会的なインテリアにも、大自然のなかにでも、直ぐに溶け込めるわけですね!それはd-torso自信がまわりの空間を取り込んで、本体の一部にしてしまえる特徴を持っているからなんですね!

松岡代表:だから、いつもパーツをどうやって減らそうか・・・?って悩んでいます。そこをクリアできれば、もう完成したも同然です(笑)

松田:松岡代表、いろいろとお話ありがとうございます!d-torsoの何処が魅力で、何処を見ればいいか?などが理解できたような気がします。さらにお願いがあるのですが、もしよろしければ、d-torso製作の作業工程など、見せていただくことはできないでしょうか?できれば写真や、レーザーカット風景の動画も・・・。

松岡代表:ハイ、写真でもビデオでもなんでもOKですよ!じゃぁ、まずはじめに、設計からお見せしましようかね・・・。

☆というわけで、ここからは、その"てこずった"という"犬"さんにモデルになっていただき、d-torso製作の流れを追いかけて見たいと思います。レーザーカットに関しては途中の「動画」をご覧になっていただきとわかりやすいかと思います↓↓↓

***********************************************

●d-torso製作風景

設計
▲まずはコンピューターで設計をします

設計
▲題材を選び元となる3Dデータを入力します

スライス前
▲上記のデータからスライスイメージを引き出します

スライス位置決め
▲どの部分でスライスするのがいいかをミリ単位で見極めます
 
イメージ化
▲各パーツの3Dイメージを見ながらディテールの細部を確認します

070307-dtorso-018.jpg
▲各パーツを平面に置き換え、レーザーカット用のデータを作成します

工場
▲データを加工スペースにもっていきます

070307-dtorso-025.jpg
▲加工スペースには様々な大きさのダンボールが置かれています

レーザーカット
▲アキ工作社さんには、このようなレーザーカット専用マシンが2台あります

カット風景
▲実際にレーザーでカットしているところです。先端にレーザーの光がみえます


▲こちらはレーザーでカットしている動画です。

完了
▲カット終了、あとは組み立てるだけです

犬
▲プロトタイプの製作が大変だったという"犬"の完成品


▲スタッフのみなさまご協力ありがとうございました

***********************************************

●松田の感想

ダンボール

 なんといっても、誰も気にかけないような、ダンボールの断面をクローズアップしてしまうあたりが、凄いですよね・・・。使い終わったら捨ててしまうだけのダンボールをココまで美しいものにしてしまうのだからさすがです・・・。ダンボールにしてみれば、自分の長所を見つけてもらい、それを引き出し演出までしてくれる人と出会えたのだからこれほど幸せな事はないでしょう。そんな考え方は"人"にも当てはまるような気がします・・・。さらに、d-torsoがよく考えられているのは、環境問題がクローズアップされる今日において、ダンボールから造られるこれらの商品が不必要であれば燃やす事もできるし、リサクルを経てまたd-torsoとして再生されるという、環境に優しいものなのです。そんなことから、今後、"地球に優しいオブジェ"して、あちこちで見かける事になるかもしれませんね〜楽しみです。そして、なにより印象的だったのは、あの複雑な形状をしたd-torsoを、はじめは手作りしていたということです・・・。松岡さんは、いとも簡単に「お金はなかったけど時間はありましたからね〜」なんて言っておりましたが、いやいやどうして、そのくらいの事でこれだけの作業ができるとはおもえません・・・。きっと心の奥底に自分を信じる事ができる力や、一緒にそれを共有できるよき理解者がおり、なによりd-torsoというアイデアが素晴らしいものだったからに他ならないのではないでしょうか?これからも、松岡代表はこのDTSシステムを利用し、様々なアイデア商品を開発される事と思われます。デザインから汎用性、さらにはリサイクルといった環境問題をもクリアしている今の時代にピッタリのd-torso!今後も「有限会社アキ工作社」さんからは目が離せなくなりそうです。

PS:お忙しい中、お付き合いいただきました、松岡代表そして奥様の洋子さん、さらにスタッフのみなさま、本当にありがとうございました。また遊びに行きたいと思いますので、その時はよろしくお願いいたします!

投稿者 blogpawanavi : 13:19 | コメント (2) | トラックバック


その他のエントリ


THEATER JUNK in宮崎 2006年07月19日 09:23

















新門 剛san(トマト栽培) 2002年06月28日 02:57







佐藤和彦san(高千穂焼) 2001年08月22日 02:05


戸高太治郎san(祖母工房) 2001年07月21日 02:01







pawanavi since 2001.01.24  last renewal 2005.10.11  Copyright - (C) 2001-2005 All Rights Reserved