2006年01月25日
藤木哲朗san〜フォトメッセージマガジン創刊 [ インタビュー ]
「ついこの間までは勤め人だった・・・。でも、自分が世界の国々で見てきた現実と高千穂の独特な風土が僕を熱いものへと導いた・・・・・。」 今回ご紹介する”藤木哲朗さん”は高千穂在住のフォトグラファー!言葉どおり、地元の寿司店で働きながらお金を貯めては海外の様々な土地を歩きまわり、それを写真に収める作業をくりかえしていた。そうこうしているうちに、いつの間にか自分が生まれ育った宮崎と、今まで以上にしっかりと向き合っている自分がいるのに気付きはじめた・・・「この宮崎でしっかりとと根を張り、生きていく上で大切なものはなんなのか・・・」。やがて「地元宮崎に対し今の自分に何ができるのか?」を考えるようになり、でてきた答えが「今まで見てきたものや感じた事を、リアルな画像を通して宮崎人に伝えたい!」というもの。いろいろと伝達方法を考えてみた中、自主出版としてフォトメッセージマガジンを創刊する事を決意する。地元では悪い意味としても使われる「日向時間」という言葉をあえて使ったのも、「おおらかさ」や「ゆとり」といった、現代人が見失ってしまった心を再確認するためのものだそう!しかし、出版に関してはゼロからのスタートという事もあり、創刊を実現するにあたっては様々な問題も出てきたが、それらを持ち前の行動力で一つひとつクリアしていき、県内各地に協力者を求め走り回る日々が数ヶ月間つづいた。そして2006年4月ついに念願の「フォトメッセージマガジン・日向時間」を創刊する事が決まった。只今、「日向時間」の製作は着々と進んでおり、藤木さんご自身も忙しい中、時間を見つけてはPR活動をしているとの事。そこで今回のインタビューでは「フォトメッセージマガジン・日向時間」に関する様々な思いを、これまでのご自身の活動を振り返りつつ語ってもらった。ちなみに、すぐ下の画像は藤木さんと、彼が海外で撮影してきた写真の一部である。
(レポート:松田秀人)
〜藤木哲朗プロフィール〜
1976年 宮崎県高千穂町に誕生
1994年 宮崎県立高千穂高等学校普通学科卒業
1994年 大阪ビジュアルアーツ写真学科卒業〜卒業後、北海道へ
1997年 ワーキングホリデーにてニュージーランドへ
1998年 バヌアツ共和国 帰国後「地球の中のタニマチ」写真展(福岡)
1999年 高千穂町に帰郷 小僧寿司高千穂店勤務
2001年 バングラデシュ撮影(NGOアジア砒素ネットワーク)
バングラデシュ医療プロジェクト報告写真展
2003年 ベルギー、ツバル撮影 「ツバルの光」写真展(延岡市、宮崎市)
2004年 フィンランド、ツバル撮影
2005年 「神夜の物語」高千穂の夜神楽の写真展(高千穂町)
※第2回MRTラジオCM大賞 大賞受賞
現在、宮崎県高千穂町に在住
〜藤木哲朗インタビュー〜
-----海外を旅するようになったきっかけは?
18歳の時に、大阪の写真専門学校に通っていたんですけど、宮崎とは正反対の大阪の環境になじめず、あまり積極的な活動ができないでいました・・・。この時期は、自分的に「見てもらいたい」といえるような写真は撮っていませんでした。せっかく写真の技術を学びにきたのに気持ちが前向きならない自分に苛立ちながら、「こんな事ではいけない」と思い、卒業と共に、思い切って大自然の北海道に行きました。
自然に囲まれての生活で、実際に気持ちもリフレッシュし、もっとリアルな自然の中で生きる人達が見たくなり、北海道で働きながらお金を貯めてワーキングホリデーでニュージーランドに行く事を計画しました。日本を離れ自然の中を旅しているうちに「いったい人間が生きる上での根本的な幸せってなんだろう?」ということを考えるようになりました。あわただしい大阪はもちろん、自然が豊富な地元宮崎にいる時ですら、自然があまりに身近すぎて、考えてもみませんでしたが、日本を離れ一人でボーっとしているとアレコレ考えてしまうんです・・・・・たとえば「電気もガスも無い土地で生活している人は何を考え、どのような事を楽しみに日々をおくっているのか?」等・・・。そこで、実際にそういった土地に行き、地元の人とふれあい、体験すればいいと考え、22歳の時に南太平洋にあるバヌアツ共和国のタナ島へ行きました。この島を選んだのは、漠然と”南の島”をイメージしていたら、いろんな偶然が重なりタナ島の情報が集まってきたからです。
-----タナ島で印象深かった事は?
実際にタナ島について、目の当たりにした光景には驚かされました。現地の人々は、飛んでる鳥を石を投げて捕まえたり、凄く高い、枝のない木でも何もつけずにスルスルとのぼり、木の実を採っているんです。もちろん火は木を擦り合わせて点けますし、主食は芋類がほとんどです。そんな中、現地の人が語った言葉に衝撃を受けました。現地の人は、僕が日本人だという事や、現代のアメリカ人がどういった生活をしているか知っています。なぜかというと、第二次世界大戦時に、アメリカ軍兵士として共に戦い、その後、様々なセレモニーなどに呼ばれた老人達が情報を伝えているからです。彼らはニューヨークのビルの高さなどよりも、スラム街の人々を見て心が痛んだそうです。漠然とですが、日本もアメリカに近い生活環境にあると、彼らは認識しているようです。そんな事から、日本人である自分にこう話しました。「アメリカと同じく日本にもスラム街にいるような、貧しい生活をしている人がいるはず。なのに、同じ国民でありながら、月に行く事はできるのに、何故彼らを助けてやる事ができないんだ?」。この会話をした時の事は今でもよく覚えています。また、戦争を経験した浜辺に住む老夫婦は「人間は地球にとって毒だね」と語ります。「地球上で人間だけが意味もなくたくさんの人を殺すから」そして、ご主人が遠くの森を指差しながら、私にむかってこう言いました「鳥は自由に飛んで、自由に死ぬんだ。俺は明日あの森で死ぬ事もできるし、海の中で死ぬ事もできるんだ。もし日本に苦しんでいる人がいれば、ここにつれてきなさい。」
この島に滞在したのは約2ヶ月間だったのですが、島での僕の生活パターンは、歩きつかれたらテントで寝て、また疲れるまで歩く・・・といったものでした。食べ物はタロイモやクマラといった原産するイモ類を食べていました。いろいろと心に響く体験をしましたが、やはり印象にのこっているのは、先ほど話した地元の人の言葉と、自然に守られているという、感覚を感じる事ができた事です。何度も歩き疲れて木の幹によりかかって休んだのですが、大きな木の・・・いやいや”大きな”といっても幹の直径が10メートルぐらいあったりと、馬鹿でかいんですが、そんな木のそばでじっとしていると「守られている」という安心感がわいてくるのです。ここで経験した印象深い出来事の数々が今に繋がっているんです。
-----現地での会話はどうされていたんですか?
僕はカタコトの英語でしたね!1980年の独立までは、イギリスとフランスの共同統治下にあった歴史的背景から、フランス語や英語は通じるんです。それでも中々伝わらない事もおおいので、体と「伝えたい」という心を大切にし会話します。何とかなるもんですよ!だって、うそのような話ですが、現地には自然と対話できる人がいるんですから・・・。
-----藤木さんの旅のテーマ「根本的な人々の幸せ」は見つかりましたか?
ハイ、それは実にシンプルなものでした。みんなで歌ったり、体を動かしたり、自分や子供の成長する姿をみる。あと”カバ”という植物の根っこからとれる飲み物を飲んで、心を沈め安らかにしてそのまま眠ってしまう・・・そんな単純な事でした。私達のような生活を経験している人間にとっては非常にシンプルなものに感じますが、この島ではそれが幸せなんです。
-----その後、日本に帰国してからの事を教えてください
帰ってきてからは、福岡、大阪、東京などの都市部をまわってみました。今までは感じませんでしたが、小さな子供達がみんな携帯電話をもっているのにビックリというか、違和感を感じました。そして、自分が一人になって物事を考えられるようなスペースがない事に気がつきました。一人になれるといえば、アパートやホテルの部屋だけです。大きな美しい海を一人で眺めるなんてもってのほかです。タナ島の老人のように「疲れた人がいたらこっちにこいよ!」なんてとてもいえませんね、僕自身が疲れてしまうのですから・・・。
-----故郷宮崎に戻られてからは?
直ぐに地元の高千穂にはもどらず、国富町の親戚の農家に行き、農家の作業を手伝いました。みんなで働き、みんなで食事をし、焼酎を飲んでいい気持ちになって寝る・・・そんな生活をしていたのですが、不思議な事にタナ島で感じた心地よさを宮崎でも感じましたね!
-----藤木さんがテーマをもって写真を撮られるようになったのは?
その後も、お金を貯めて海外へ行ったのですが、特にテーマを持って撮影をしていたわけでなく、ただ写真が好きだったからというだけで、記録としての撮影をしていました。「こういう写真を撮りたい」と意識するようになったのは高千穂に帰ってきてからですね。夜通し開催される夜神楽を撮りながら「こんなにじっくり夜神楽を見たことってあっただろうか・・・?」などと考えているうちに、自分の身近にも、このように代々受け継がれてきた素晴らしい文化があるのに、ちゃんと地元と向き合おうとしていなかった事を感じ、自分が生まれ育ったこの土地にちゃんと根っこを生やし、あのタナ島の老人のように「ココ高千穂にいながら僕なりのメッセージを発信できないだろうか?」と考えるようになり、単に写真という事だけではなく、自分自身の活動自体にテーマを持とうと思いました。
-----03、04年のツバル訪問で感じたものは?
”ツバル”について知らない方もいらっしゃると思うので、簡単に説明しますね!ツバルは9つの珊瑚島からなる小さな島国で、約10,000人の人達が暮らしています。場所は地図上でオーストラリアの右上あたり・・・ちょうどハワイとの間で、ややオーストラリアよりといったところをイメージしてください。しかし、この小さな島々は地球温暖化による海面の上昇で、ひとつひとつなくなってしまう危機にさらされているのです。高波などで、浜辺に近いヤシの木などは倒され、大潮の満潮時などでも直ぐに洪水が発生していまいます。温暖化の原因となる温暖化ガスを多量に排出する先進国のおありをこの、ツバルがもろに受けてしまっているのです。このツバルの現状を見てしまうと、先進国の人達が当たり前のように感じている幸せは、地球環境にとって大きな不幸の上に成り立っている事に気付かされます。私達が便利と感じるものがひとつ増えるたびに、地球上のどこかに歪が生じているのです。しかし、先進国で暮らす人々は、そんな被害を受けている国の人々の事をどれだけ気にかけているのでしょうか?まったく現状を知らない方も、きっと多いのではないでしょうか?だからこそ、僕に出来る何かで、これらの出来事を少しでも多くの方、特に自分が関わっている宮崎の人々にはしっかりと伝えていきたいという気持ちが強くなりました。
-----フォトメッセージマガジンを創刊しようと思ったきっかけは?
活動にテーマを持つといっても、直ぐにフォトメッセージマガジンが思い浮かんだわけではなく、まずはじめに、バヌアツ共和国タナ島から帰ったばかりの時、福岡の知人との話の中で「写真展」の話がでて、福岡の雑貨屋さんを利用し「地球の中のタニマチ(下画像参照)」という”南の島と人の幸せ”をテーマにした写真展開催しました。ちょうどその会場に、宮崎で出版関係のお仕事をされている方が来ていて、そこで知り合いになりました。そして昨年(2005年)の夜神楽で偶然に再開し、自分の気持ちを打ち明けたところ、自主出版というアイデアを具体化する話などもいただき、それから創刊にむけての僕の活動が始まりました。
藤木さんにとってフォトメッセージマガジン・日向時間とは?
自分の心の中にあるものを、みなさんにもわかってもらえるような形で表現できる大切なツールですね!この”日向時間”を通して、宮崎の人、自然、文化、平和というものを、わかりやすく表現できればと願っています。今年の4月に創刊号が発売される予定です。それからは7月、10月、翌07年1月、と3ヶ月に1度のペースで発刊されます。是非、皆さんにもご覧になっていただきたいと思います。1部700円となっております。よろしくお願いいたします。
藤木さんありがとうございました
〜フォトメッセージマガジン・日向時間 内容〜
文:藤木さんの資料による
4月創刊号:地球温暖化について
☆A4判 68ページ予定 700円(1部) 創刊号4,000部
過去、現在に渡り、人間が最も背負わなければならない罪は、自然を破壊し地球の環境を狂わせてしまったことにあると思います。特に先進国と呼ばれる国々の罪は重く、それをどう清算し未来へ繋げていくのかがとても重要だとおもいます。この号では特に、地球温暖化問題に焦点を当て、読者と共に考えていけるように問題を提起していき、私達の生きている環境を深く見つめ現在と未来のために、私たちに何ができるかを考え、関連情報を伝えていきたいと思います。
7月号:平和について
10月号:自然と環境について
07年1月号:人と文化について
※日向時間は啓蒙や啓発を考えて創られる雑誌ではありません。
※日向時間は何かを告発したり、誰かを責めるために創られる雑誌ではありません。
※日向時間は私のメッセージ、思いを伝える雑誌です。
※日向時間の仕事はメッセージを発するところまでとします。
投稿者 matsuda : 2006年01月25日 23:16
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コメント
「先進国の人達が当たり前のように感じている幸せは、
地球環境にとって大きな不幸の上に成り立っている事に気付かされます。」
なんだかこの言葉にドキーっとしました。
さまざまな国、地域を歩いて来られた藤木さんだからこそ言える言葉ですね。
一昨年前に帰省したのですが、このレポを拝見して自然豊かな宮崎で暮らせることを改めて幸せに感じました。
高千穂は祖父の本家があり、とても身近で大好きな所。明日、遊びに行く予定です(^^
フォトメッセージマガジン・日向時間、楽しみにしています!
投稿者 飛 : 2006年01月31日 21:02
