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2008年03月14日
宇納間地蔵尊大祭 [ 美郷町 ]
宇納間地蔵尊大祭(美郷町北郷地区)
日時2008年3月1日(土)2日(日)
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3月1日。快晴。美郷町(旧北郷村)の宇納間地蔵尊大祭を撮影にいく。高千穂町から車で1時間ほどいったところに北郷地区はある。普段は人けの少ない山村なのだが、今日は大変な賑わいである。まだ9時なのに特設の駐車場にはたくさんの車が止まっている。沿道には屋台がずらりと並び、お爺さんとお婆さんが楽しそうに笑っている。「ゴーン。ゴーン。ゴーン…」と、そこはかとなく趣のある鐘の音が青空に響く。甘酒が振舞われ、いい気持になる。まさしく縁日である。
鉄城山山頂にある地蔵堂まで続く石段は365段あるそうだ。途中に咲く紅白の梅が美しい。一つ目の石段を登りきったところに全長寺があり、火伏せのお札を求める参拝者が大勢いる。宇納間地蔵尊は正しくは「延命地蔵菩薩」といい、名僧行基(668年〜749年)の手による一刀三礼の霊仏だそうだ。古くから火伏せのご利益があると信仰をおさめ、江戸時代には江戸市中で大火が起こった際に、延岡藩主内藤政韶(まさつぐ)の祈りを聞き入れ、「水を注ぐこと大雨の如し」、鎮火して藩邸を守ったという言い伝えもある。
陰陽石
「わたしゃ、ここでいいわ〜」と座り込むおばさんを横目に杖をついたお婆さんがお堂を目指して登っていく。子どもが後に続く。赤ちゃんを抱いて登るおじいさん。犬を抱いて登る若夫婦。普段は手も繋がないと思われる壮年の夫婦も手を取り合って登っていく。何が人を登らせるのだろと不思議に思う。杉の木立に囲まれた参道。絶え間なく続く鐘の音。休憩してはまた登っていく。
登りきるとお堂が目の前に現れた。木造の小さなお堂だ。ここにお地蔵さんは祀られている。お参りをする前に手酌で水を一杯。皆、そうしている。地元のおばちゃんたちがお茶を振舞っている。三人でせわしく働いている。お坊さんが鐘をついているのかと思いきや、そうではなくて参拝者がついていた。つくために並んでいる。気づかなかったが、当たり前といえば当たり前のことだ。ずっとなり続けているわけだから。一年間の火伏せの感謝と、これからの火伏せの願いを込めて鐘をつく。鐘の音は村中に響く。この鐘の音を聞いてはいてもたってもいられないだろう。子どもの頃から聞いていれば、毎年登らずにはいられないはずである。
おばあさんが一人で降りていく。その後姿を見て、一人で暮らしているのかと思いを巡らせた。きっと昔は家族が大勢いたと思う。子どもたちと登っていたと思う。子どもたちが村を離れてからもお爺さんと登っていたと思う。お爺さんは他界されたのだろうか。来年はお孫さんと登ることができるだろうか。バトンのように受け継がれていく風習。宇納間の地蔵さんが温かく見守ってくれている。
北郷の山と川を望む。
宇納間を後にして北郷散策にでかけた。天文台までいき北郷の山を望み、それからまた宇納間へと車を走らせることにした。途中、市木地蔵の看板が見えた。ここでも地蔵祭が行なわれているのかと思いのぞいて見ると、『宇納間地蔵尊奥の院』とある。地元の市木地蔵保存会の方にお話しを聴いてみると、元々、宇納間のお地蔵様はここに祀られていたそうだ。今でも60年に一度は里帰りをすると仰っていた。予期せぬ出会い。これだから、旅は面白いのである。「上がっていかっさんですか?」お堂に誘われ、香りの良いお茶を一杯ご馳走になった。
市木地蔵尊のお札には、梵字が書かれていた。読みは、(オン・カ・カ・カ・ビ・サンマ・エイ・ソワカ)。意味は、(おん、ハハハ希有なる徳を有する御身よ、成就)。地蔵菩薩は、釈尊の付託を受けて弥勒佛の常道に至るまでの間、無佛の世界に住して六道の衆生を済度する菩薩−と謂われる。…そうだ。お札と一緒に並べられていた小説『飛び地蔵』(著・秋篠哲也)の行基は言う。「お釈迦様が亡くなられて五十六億七千万年後に末法の世となると、弥勒慈尊が現れて世の乱れを更に正される、と謂われています。その間の長い年月、衆生を救うお役目は、お地蔵様が受け持たれるのです。もちろん、他の佛さまも居らっしゃるのですが、自ら人間界の中に在って救いの手を差し伸べてくださるのは、お地蔵様だけなのですよ」。
なるほど、そういわれてみれば自分の町にも至るところにお地蔵様が祀ってある。いや、祀ってあるというのは正しくないのかもしれない。道端に座り、日に照らされ雨にうたれ雪をかぶる。お地蔵様は人間と同じ苦しみを味わっているようにみえる。六道に迷う欲深き人間を救うお役目はさぞかし骨が折れることだろう。今日の地蔵大祭に集まった村人、参拝者は感謝の気持ちをもって火伏せのお祈りをしていた。もはや、宗教・宗派を超えたところに信仰がある。村人の暮らしを見守ってきた宇納間のお地蔵様。お地蔵様に仕え守り継いできた村人。千年以上に及ぶ信頼関係が訪れる参拝者の心に安心を与える。不確かなものが多い人間界にあって、確かなものだと感じる。日暮れが近づくなか、お接待をしてくれた地元の方に別れを告げ、もう一度、市木地蔵尊に手をあわせ火の用心を祈願した。
投稿者 blogpawanavi : 2008年03月14日 00:44
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