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2008年05月31日
ランボー 最後の戦場 R15指定 [ 劇場/洋画/アクション ]
原題:John Rambo
(2008年/米 1時間30分 カラー)
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督・脚本: シルベスター・スタローン
製作総指揮:ランドール・エメット、ジョージ・ファーラ
製作: アヴィ・ラーナー 、ジョン・トンプソン
音楽:ブライアン・タイラー
出演:シルベスター・スタローン 、マシュー・マースデン 、 グレアム・マクタビッシュ
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■パワナビ松田 レビュー (劇場にて鑑賞)
お気に入り評価: 75点/100点満点
タイ北部にあるジャングルの中で『運び屋』を営み生計を立てひっそりと暮らしている、かつてのベトナム戦争の英雄ジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)。ある日彼のもとに軍による少数民族への迫害が激化するミャンマーへ、医療品などを運ぶ支援活動を行うアメリカのNGOボランティア団体が訪れる。彼らは迫害を受ける民族のひとつ「カレン族」が暮らす村へ行くことを希望しているが、土地柄地雷の多い陸路を避け、川を利用するルートを選択したため『運び屋』であるランボーにボートでの道案内を依頼する。「ここは戦場だ、君たちはあまりにも現実を理解していない」との理由から一旦はボランティア達の依頼を断るランボーだったが、唯一の女性スタッフであるサラ・ミラー(ジュリー・ベンツ)の熱い思いに心打たれたランボー(前作でトラウトマン大佐救出のため、無謀とわかっていながら単身アフガンに乗り込む姿が思い出される)は結局彼らをミャンマーに送ることを決心する。しかし数日後、ランボーのもとに届いた知らせは「先日のボランティア団体が軍に拉致された」というものだった。この事実を受けた政府は「表沙汰にはできない」とボランティア団体の救出に公的な手段を用いず、5人の傭兵を雇い「極秘救出作戦」を展開することに決定した。当然、道案内にはランボーが指名される事になる。単なる『運び屋』としての日々を送っていたランボーだが、その出発前夜、念入りに手製のナイフを鍛え上げる姿があった。
1988年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』以来、約20年ぶりのシリーズ最新作(第4弾)となる『ランボー 最後の戦場』。「前作は満足がいかなかったから、ぜひ続編を製作したかった。もしかしたらこれがシリーズ最後の作品になるかもしれないからその全てに携わりたかった・・・」と語る61歳にして今なおハードなリアルアクションにこだわる(途中大幅な脱線もあったが)シルベスター・スタローン。今回は出演だけでなく監督(シリーズ初)、脚本、演出もこなすという力の入れようだ。舞台となるのは内戦の続く軍事政権下のミャンマー(作品中ではBurma/ビルマ表記)。スタローン自身も「60年も続く一般的にあまり知られていない悲惨な内戦に目を向け、しっかり現状を見て欲しいと思いミャンマーを舞台に選んだ」と語っている。
ランボーシリーズといえば、撮影で使用される本格的かつマニアックなミリタリー関連の武器や兵器が常に話題なるが、そんな武器・兵器を120%活躍させるために過激で暴力的なシーンが多くなるのも確かだ。前作『ランボー3/怒りのアフガン』では、本編の殺戮シーンで108人の死者が出ると計算され、1990年度ギネスブックに「最も暴力的な映画」と記録されているほどである。本作『ランボー 最後の戦場』でも戦闘シーンなどの映像に暴力及び過激な描写(人体破壊など)が含まれているため日本ではR15指定となっている。そんな過激描写は「ある一部に含まれており・・・」といった生易しいものではない。最初から最後まで、まるで当然のように人体が吹き飛び、手足がちぎれるシーンが登場するため「○○のシーンでは思わず目を背けてしまった」などとのんきな事を言っている暇はない。また「ここが人体破壊の見せ場ですよ!ここを見てください!ほら凄いでしょ!」的な無意味な演出もなされていない(全作、前々作には見受けられた)。
撮影に関しスタローンは「リアルな映像を通して戦場の本当の恐ろしさや人間の本質を表現したかったから極めて原始的な方法にこだわり撮影している」とインタビューで語っており、さらに「毎晩雨が降って寒くて苦労した」とロケの過酷さを付け加えた・・・。本作で撮影を担当したのは『16ブロック』を手がけたグレン・マクファーソン。その臨場感溢れるカメラワークからは、ロケ地でのスタッフ達の過酷さが充分うかがえるし、CGでは表現できない重量感も感じさせてくれる。そのためか?前作、前々作の圧倒的なスケール感とはまるで方向性が違い、まるで第1作目を彷彿させるような、張り詰めた独特の雰囲気の中、さらにスピーディーに、そしてスリリングに映像を展開している。それはまるでスタローン自らの「前作、前々作などは単なる戦争ごっこの映像だった・・・」という嘆きの声さえ聞こえてくるかのようである。
その映像を言葉にして表せば、きっと「凄惨」とか「悲惨」「残酷」という事になるのだろう。しかしそうした光景が目の前で展開されているとき、それらの表現はまったく意味をなさない。本作の中でランボーがボランティアスタッフをボートで送る途中、武装した強盗団に襲われるシーンがあるのだが、強盗団と口論となり危険を察知したランボーがボランティアスタッフ達を守るためにすばやく強盗団を殺してしまう。ところがボランティアのリーダーは「いったいなにをしているんだ、たった今君は虐殺を止めにきた我々の目の前で人を殺したんだぞ、このこと(殺人)は国に帰ってからしっかりと報告させてもらう」と言う。ランボーは「しかしこうしなければ今頃、この女は犯されお前の頭は飛んでるぞ、君らはそういうところに来たんだ」と言う。皮肉な事にこの作品に登場するボランティア達は、台詞のように虐殺を止めるためにミャンマーのジャングルに入っていくわけだが、結果的に彼らのアクションがきっかけとなり、より多くの人々が死んでいくのである・・・。もしそこで殺された人間に「悪人は殺されて当然」という差別をするのなら、上記のボランティア達はまったく矛盾していることになる。
矛盾といえば、この地域周辺の事情に関してはベトナム戦争より数十年前からの歴史を紐解いていけばわかりやすいと思うが、ベトナム戦争の問題を含め、政府が造りだした実に無責任で矛盾だらけの社会のどまん中に、勝手な都合でほっぽリだされ放置された市民や兵士がいったいどれほどいたことだろうか・・・。これに関しては一概に自業自得ではすますことはできない。もちろんランボーもその中の一人である。前作、前々作と寄り道?もあったように思われるが、全作品を通していえるのは「ランボーの自分探しの心の旅」である。第1作目で帰還兵として迫害を受けるランボーが涙ながらに「軍にいた頃は100万ドルの兵器をも任されたのに、ここ(アメリカ)では駐車場係としても雇ってくれない」と涙ながらに訴えるシーンは、26年たった今でも忘れられない。そんなことから本作のラストシーンもファンにとっては見所のひとつといえる。
話はかわるが、第1作から26年も立っているのだから実際に年には勝てないメンバーも多数出てきているようである。有名どころでは、過去の作品の全てに登場し、常にランボーを戦場に駆り立てたトラウトマン大佐を演じるリチャード・クレンナが2003年にすい臓癌で死去している為、本作では直接的な絡みはない(フラッシュバックのみ)。さらに前3作とも音楽を担当していたジェリー・ゴールドスミス(サルの惑星、パピヨン、オーメン、エイリアン、etc)も2004年に肝臓癌で死去してしまったためブライアン・タイラーに変わっている(しかしおなじみのテーマ曲は健在である)。しかしスタローンは「この作品がヒットすれば続編の製作もあり得る」とも語っていたと言う。いやはや元気としか言いようがないが、あの「魅せる筋肉」を維持するためにかかる肉体的な負荷はかなりのもの・・・。61歳という年齢や興行的な事を考えれば、若手俳優を使い大掛かりなランボーリメイクもありえるし、今やアクションシーンなどはワイヤーとCGでどうにでもなる時代にも関わらず、少し前に公開された『ロッキー・ザ・ファイナル』しかり、リアルアクションにこだわるスタローンの気迫には頭がさがる。かつてのライバルであるシュワルツェネッガーもアクション映画の現場からしりぞき、CGなどの発達から、子どもを含めそれほど肉体を駆使しなくても、簡単にアクションシーンの真似事ができる時代となり、ハリウッドにおいて真のアクションスターといえる存在があまり意味をなさなくなってきた。それでも自身に架せられた「アクション俳優」という十字架を背負いそして受け入れ(途中のジタバタも含め)不器用に戦い続けるスタローンの生き様は、まるで物語の中のロッキーやランボーの本質を生で見せられているかのようだ。そしてこの作品のキャッチコピーにもなっている「無駄に生きるか、何かのために死ぬか、おまえが決めろ」というランボーの台詞は、そのままスタローン自身の自問自答のようにも聞こえなくない。
過激な映像や、ミャンマーの情勢の理解度などを含め、作品の内容には賛否両論あるだろう。とくに人体破壊=グロと受け止めてしまう人は見ないほうがいいともいえるし、カップルで見に行ってディナーで会話がはずむような作品では決してない。それほど徹底している。そんな事から近年のメジャーなシリーズものを見る度、常に何処かに意味不明な気持ち悪さ(視覚的グロさという意味ではない)や切れの悪さを感じていたが、本作には「こんな表現をしたらきっと○○になってしまうのでは」といった中途半端さが無く、むしろ「責任は全部俺がとってやるよ」と言わんばかりのスタローンの"覚悟"や"いさぎよさ"が前面に現れているのがいい。個人的にはなんといっても第1作目が好きだが、シリーズ中では、その次に切れ味があると感じた。スポーツなどではよく「技術ではなく気持ちでぶち当たれ!」とか言われるが、映画にも同じような事が言えるのでは?そんなことから小手先だけの大作に飽き飽きしている人にはおすすめである。まあ1作目ほどの新鮮さはないにせよ、スタローンが演じるランボーだからこそ感じられるカタルシスがそこにあるのは確かだ。
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※今回はこの作品を観賞するにあたり、前3作を振り返った↓
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◆第1作:ランボー (1982年)
(原題:First Blood)
お気に入り評価: 90点/100点満点
デイヴィッド・マレル原作の『一人だけの軍隊』を映画化したもの。ベトナム戦争ではグリーンベレーとして活躍し、様々な勲章を受賞している英雄ジョン・J・ランボー。しかし祖国に帰還した彼をまっていたのはベトナム帰還兵への冷たい視線だった・・・。かつての戦友達もみな過去の人となり、帰還兵であることから中々仕事にもありつけないランボーは、最後の1人となった戦友との再開を果たすため友人の実家を訪れるが、彼もまたベトナムで浴びた枯葉剤の影響による癌ですでに死亡していたことを知らされる。途方にくれたランボーは気のままに歩き、とある小さな田舎町にたどり着き、食事をとり休憩しようとするのだが、見慣れぬ青年(ランボー)を発見した地元の保安官は彼を「やっかいもの」として扱い、食事をとらすことも許さずパトカーに乗せて町外れまでつれていき「二度とこの町には立ち寄るな」と放置する。しかし帰還兵に対する祖国のあり方に不振感を抱くランボーは「何故食事をとることすらゆるされないのか?」と町に引きかえすも、その途中であえなく逮捕され警察署に連衡される。しかし警察署でランボーは尋問を受けるだけでなく、虐待ともとれる行為を受けてしまう。やがて警察官達の虐待行為が引き金となり、ランボーの脳裏からベトナム戦争での地獄のような記憶がよみがえってしまう・・・。気がつけば警官達を振り切りバイクで逃走。町外れの森に逃げ込む事になるのだが、面子を潰された保安官は警察署の人員を総動員しランボーの追跡を開始、その光景はまさに「ハンティング」だった。しかしベトナムのジャングルで幾多の困難を乗り越えてきたランボーにとって「森」はまさに彼の庭。散弾銃やライフル、猟犬を手にした警官達を、持ち合わせたサバイバルナイフ1つで返り討つのだが・・・。
1976年の『ロッキー』で人気を獲得したシルベスター・スタローンにとって、俳優としての「ロッキー越え」は課題中の課題だった。『ロッキー』後、社会派ドラマの『フィスト』やプロレスをテーマにした『パラダイス・アレイ』などに出演及び監督を試みるが、あまりパッとせず、まるでロッキーフィーバーが夢幻のごとく感じられた。結局、1979年の『ロッキー2』に頼る事になる・・・。その後、対テロ用特殊部隊ATACをテーマした『ナイトホークス』や、ペレなどの国際的サッカー選手が出演する『勝利への脱出』が日本でもちょっとした話題となったが、1982年の『ランボー』という作品で、孤独なベトナム帰還兵の役を心身ともに120%出し切りロッキー越えに挑戦し(完全にランボーイメージがロッキーと同等になったのは2作目だが)たことにより、ハリウッドでの「彼自身の価値」を高めるきっかけになったたといえるし、またそれほど入り込める役柄だったともいえる。崖から落ちるシーンではアバラを4本骨折し、自分で右腕の傷を縫うシーンも本当に縫っているそう。演技派の役者達から言わせれば「それがどうしたの?なんの自慢?」ということかもしれないが、「つべこべ言わずやれるもんならやってみな」と言わんばかりの必死さがスクリーンから伝わってくるのは事実。そんな不器用なやり口がなんともスタローンらしい。またベトナムの地獄を生き抜いた英雄ランボーが、今死に物狂いで、精神的にも肉体的にもサヴァイブ(生き残る)しようとしているのが祖国アメリカであるという設定もユニークである。それは「軍にいた頃は100万ドルの兵器をも任されたのに、ここでは駐車場係としても雇ってくれない」と涙ながらに叫ぶシーンからもわかる。当時のアメリカ(日本でのヒットとは裏腹にアメリカでの興行成績はいまいちだった)を考えれば、アクション娯楽映画ながら、かなり熱いメッセージが込められていたように感じられる。さらに、この役への挑戦こそがスタローン自身、真の業界生き残りを賭けた戦いのようにも感じられる。ちなみに原作のラストではランボーは自殺して物語の幕が閉じられるのだが、映画では続編製作プランがあったため、元上官トラウトマン大佐に説得させられ警察に逮捕されるシーンがラストとなっている。近年のCGたっぷり気味なド派手アクションが大作好きな人には映像的に物足りないのかもしれないが、逆にCGを使っていない分、全体的に緊迫感がありとてもスリリングである。そんな事から彼にとってもファンにとっても『ランボー』は思い出深い作品である。この『ランボー』をみれば、ロッキー越えに燃えるスタローンの気迫が充分に伝わってくるというものだ。いい意味でも悪い意味でも、その後のアクション映画に影響を与えるきっかけとなる傑作である。個人的にもとても面白い作品だと評価しているし、ロッキーという成功を手中にしながら、それを越えようと、30代半ばというターニングポイントで不器用に頑張るスタローンの業界サヴァイブの気迫が感じられる点が気持ちいい!
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◆第2作:ランボー/怒りの脱出 (1985年)
(原題:Rambo: First Blood Part II)
お気に入り評価: 50点/100点満点
元上官であるトラウトマン大佐が、前作の事件で服役中のジョン・ランボーのもとを訪れ、釈放を条件に極秘任務を依頼するシーンから始まる『第2作:ランボー/怒りの脱出』。じつは彼に依頼された作戦は戦後10年以上が経過したベトナムのジャングルに潜入し、すでにアメリカ兵士など居るわけもない空の捕虜収容所を撮影し、消息のわからなくなった兵隊達の家族や関係者を納得させる事後処理の一部(ジェスチャー)に過ぎなかった。そんな事からランボーには「敵と闘ってはならない情報の収集だけをせよ」との強い命令が下されていた。しかし、ランボーが現地で実際に見たものは紛れも無いアメリカ兵士達の変わり果てた姿だった。彼は単身救出作戦を開始し、捕らえられていたアメリカ兵士の1人を救出。本部に合図を送り、まだ数人に兵士が捕らえられている事を報告した。しかしこの作戦を担当する本部のマードック司令官にしてみれば、それは大きな誤算であり、また探られたくない腹だった・・・。マードック司令官はランボーからの報告を聞いておきながら捕虜救出はおろか、ランボーすら見捨ててしまう・・・。そして本部の裏切りを知ったランボーの怒りの脱出がはじまる。
前作の公開後、ベトナム帰還兵からスタローンに届いた「もし続編をつくるのならベトナム戦争の行方不明者をテーマにしてほしい」とのファンレターが元になっているという。原題にRamboという表記が入るのもこの作品からである。なんでも日本においてのヒットの要因の一部に『ランボー』というタイトルの語呂がよかったから・・・というのが理由だそう。それが功を奏してか?アメリカ本国でも、中ヒットだった前作に対し『ランボー/怒りの脱出』は空前の大ヒット(85年の年間興行収入2位、1位はバック・トゥ・ザ・フューチャー)を記録し、一躍ブームとなる。スタローンが完全にロッキー越えを果たしたのもこの作品だろう。後に誰もが記憶しているランボーのイメージは第1作ではなく、この作品のものである。ブームといえば、この頃スタローンは『ロッキー3』『ロッキー4』も発表しており、日本ではスタローンブームとなり、ロッキー越えどころか、スタローンは世界ナンバー1のアクションスターの地位を確立してしまった。しかし同時にそんな大ヒットとは裏腹に、せっかく育てたロッキーやランボーがなにやら正体不明の存在になってしまっていく・・・。私個人的には、ロッキーやランボーにみられる「哀愁や心の影の部分」がかもし出す独特の雰囲気が好きだっただけに、この『ランボー/怒りの脱出』もスケールは大きくなり、アクションシーンもド派手にはなったが、「サヴァイブ」「孤独」「自分探し」というよりは単に「ちょっとした戦争ごっこ」っぽくなってしまったのが残念だった。まあミリタリーマニアにはたまらないのだろうが、私の好きな空間はそこにはなかったので評価は大幅に下がり50点である。
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◆第3作:ランボー3/怒りのアフガン (1988年)
(原題:Rambo III)
お気に入り評価: 35点/100点満点
前作後、約束どおり釈放となったランボーはバンコクの寺院で暮らしはじめる。ある日彼の元にトラウトマン大佐が現れアフガン潜入の任務を依頼するも、もう戦場へは行きたくないと断る。トラウマン大佐はランボー無しで任務遂行を試みるが、あえなくソ連軍に捕らえられてしまう。それを知らされたランボーはトラウトマン大佐救出のため現地に乗り込み、アフガンのゲリラ部隊の協力経てソ連軍基地に潜入。なんとかトラウトマン大佐を救出するも、二人の直ぐうしろにはソ連軍の大部隊が迫っていた・・・。
本作内(101分)の戦闘シーンでは108人の死者が出る計算となり、その過激な内容から1990年度のギネスブックに「最も暴力的な映画」として認定されたという。当然、スケールも大幅アップ。軍の協力により、実際に使用されていた兵器の数々も登場とこれまたミリタリーマニアにはさらにたまらない内容。しかし、この頃になると、『コブラ 』や『オーバー・ザ・トップ 』といったスタローン主演のアクション作品が次々と公開され、日本でもヒットとなり、せっかくロッキー越えを果たしアクション俳優の代名詞になったスタローンだが、それゆえなんとも皮肉な事に「どんな映画でなんの役をしようがジャッキー・チェンはジャッキー・チェン」というような、アクション俳優にありがちな「軽さ」が感じられるようになってしまう・・・。また1984年の『ターミネーター』公開後から、同系のライバル的存在であるアーノルド・シュワルツェネッガーが極端にかぶりまくる『コマンドー』『ゴリラ』『プレデター』『バトルランナー』『レッドブル』といったアクション作品を次々と公開しているため、ド派手戦争も泥沼化し、ついに収集がつかなくなり『怒りのアフガン』では108人も殺してしまった最後に「この映画をすべてのアフガン戦士たちに捧げる」というテロップを流す始末・・・このような馬鹿っぽい部分こそまさにアメリカそのものかもしれないが、トラウマン大佐の「愛国心をもったゲリラがいる国は征服できない我々はそれをベトナムで体験した」という台詞だけは何故か耳にのこっており、当時読んでいた明治維新をテーマもした小説の中で、クロフネに乗ってやってきたアメリカ人が、日本の武士(薩摩、長州、土佐)を見て、トラウマン大佐の台詞と同様に「ほかの亜細亜諸国とはちがい日本だけは侵略できない」と本国に手紙を送ったという下りを思い出し、それからすると今の日本は果たして・・・と当時は考えたものである。まあ、この作品で印象に残ったのはその台詞とテカテカしたスタローンの筋肉質な体だけだったので評価は35点。
投稿者 blogpawanavi : 2008年05月31日 20:29
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