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2007年04月21日

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン [ 劇場/邦/ヒューマン ]

■タイトル 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
■監督 松岡錠司
■出演 オダギリ ジョー、樹木希林、松 たか子、内田也哉子、小林 薫 
■作品詳細 シネマセントラル延岡作品情報へ

みんなの平均点→4.333点(5点満点中)

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シネマレビュー↓
※評価は5点が最高です!点数間隔は0.5点です。(平均が3点)
※コメントはあくまでも主観に満ち溢れていますのでよろしくお願いします。

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パワナビ松田・40代 男性 (評価:3.5点)

 2005年の原作単行本発売からすでに200万部を突破している大ベストセラー、リリー・フランキー原作の「東京タワー」が止まらない・・・。2006年には書店員が推奨する本の中から選ばれる「本屋大賞」(2004年、博士の愛した数式受賞など)を受賞し、発売からわずか1ヶ月で10万部を突破!さらに2年弱の間にドラマ2本に映画、舞台と様々な形で発表されており、数多くの役者達がそれぞれにボクやオカン、オトンを演じている。ちなみにその内容は、2006年11月にはスペシャルドラマ、2007年に入ってすぐの1月からは月9(ゲツク)の連続ドラマがスタートし3月で終了、続けて4月は今回鑑賞した映画版の公開、さらにこの後には舞台公演も予定されているというから、この「東京タワー現象」はまだまだ続きそうである・・・。残すは漫画ぐらいのもので、ここまで、矢継ぎ早に「これでもか」と繰り出されると、少々節操が無いようにも感じられのだが、ともかくも、一時の「セカチュウ/世界の中心で愛を叫ぶ」のごとく、もはや知らない人いないのでは?と思われるほどの作品である。

 まずは少々長くなるが、映画の感想の前に、原作について触れておきたい。私も原作を読ませてもらったが、話題になっていたわりには、とっつくのが遅く、2005年夏の発表とともに読んだのではなく、1年が過ぎた昨年(2006年)の夏頃に"やっと"読むに至った・・・。きっかけは、知人の女性から「面白いから是非読んでください」と薦められ、本を渡されたことである。その時手にした本はしっかりとした作りで、ずしりと重かった・・・。タイトルを見て「ああ・・・」と思った。私も「東京タワー」という書籍の存在は知っており、また、ベストセラーであることも知っていた。まったく興味がなかったわけではない。しかし、あえて遠ざけていたのである。だから、「読むに至った・・・」という変な言い方をしたのだが、何故かといえば、正直いって「ものすごく泣ける」という噂と、多彩な才能を発揮している、やり手の業界人「リリー・フランキー原作」というのが相まって、誠に失礼ながら「きっと仕掛けがいっぱいあるのだろう」と勝手に決め付け、「そういった現象には乗せられないぞ!」と変な意地を張っていたからである・・・。ヘソ曲がりと思われても仕方ないが、作品の出来に関係なく、最近よくある、テレビドラマの流れの一部に映画を挿入するなどの手法が、特に嫌いな私としては、映画の本編を見る前に、予告編だけでなく必要以上にサイドストーリーが出来上がっていたり、ものすごく予習をしなければその世界観についていけなかったり・・・その辺がちょっとなじめず、まわりが盛り上がれば盛り上がるほど、妙にさめてしまうのだ。だから「本」とはいえ、はじめの1ヶ月で10万部突破というあまりの急激な加熱ぶりに、なんかそれらしい臭いを感じてしまい、距離をおいてしまった・・・。そんな事から、本を借してくださった女性には申し訳ないが、たぶん借りてから数ヶ月間は放置していたハズだ。とにかく、私からすれば、よくも悪くもリリー・フランキーは、作家・芸術家とは違うところにいる、いわば業界人なのである。テレビにラジオ、書籍、さらにたまに子どもと一緒に見る事がある、NHK教育テレビの「おでんくん」に至るまで、様々な分野でその才能を発揮している、いわば日本のサブカルチャー文化の代表者の一人であることから、この「東京タワー単行本」の大ヒットも、今後動き出すはずの大きなプロジェクトの第1段階と受け取ることができ、読む前からドラマや映画の影が見えてしまうのが、敬遠していた理由だった・・・あくまでも勝手な想像である。

 とはいうもののせっかく本を借してもらったのに、読まずに返すわけにはいかない・・・と、数ヶ月たった頃、ようやく重い腰をあげ、立派な作りの本のページをペラペラとめくりはじめた。なんとなく目を通しているうちに、そんな仕掛けの事など忘れてしまい、あれよあれよという間に読みきってしまった。実際に読んでみると、以外や以外・・・最近このような純文学的作品から遠ざかっていたせいか?リリー・フランキーのイメージとは異なる、商業性ない気持ちのいいものだった。本来なら、自分自身の内側にしまいこんでおきたいような、恥ずかしい感情なども、言葉を飾らずストレートに書き綴っており、まるで、人に見せる事のない、中川雅也(リリー・フランキーの本名)の日記を盗み見しているような気分になった。内容的には「母と息子の絆」をテーマにしているが、ストーリーも決して、現実にはありえないような数奇な運命を描いたものではないし、作品の中に描かれている主人公の中川雅也(ボク)は、どこにでもいそうな中途半端な人物で、完全なドロップアウトを決めることもできず、かといって優等生にもなれず、なんとなく好きな事をやりながら、親のスネをかじってダラダラと学生生活をおくり、とりあえず流されるまま社会人になってしまったように見えるが、実は流されていないぞ!という・・・まあ、このように簡単に書き表せば、あまりにも普通な青春物語なのだが、その実はなんともいいがたいドロドロとした、まるで闇鍋のような独特の体験をしており、その辺は原作に詳しく描かれているのでそちらを見ていただくとして、にしてもとりわけてドラマチックなものではない。時代背景としては、"昭和バブルのストライクゾーン外角やや高め"に多感な時期を過ごしており、同世代(現40代)の人々の中には、彼と同じような境遇におかれ、両親を癌でなくされた方も数え切れないほどいるであろう事は容易に想像できる・・・。私は横浜育ちだが、都会にはそうした若者が溢れており、私のまわりですら、似たような知人が何人もいたぐらいである。しかし彼らの話が面白いかといえばそんなことはないし、どちらかといえば「ああいう風にはなりたくない」という見本のように言われていた連中である。もちろん、そうした仲間うちで、現在リリー・フランキーのように華々しい活躍をしている者はおらず、才能を食いつぶしてしまった奴のほうが多い・・・。そんな事から、この本を最後まで読ませたのは、ドラマの面白さではなく、メディアの世界を縦横無尽に駆けめぐり、遺憾なく才能を発揮している、リリー・フランキーの意外な素顔・・・"中川雅也"の自問自答がたくさん詰まっていたからであり、あたかもリリー・フランキーが私の目の前に現れ、独占インタビューに応じてくれているようなワクワク感が感じられたからである。

 確かに、ありとあらゆる事をネタにし、消化していく業界人だけに「はじめは自分の家族までネタにするのか?」と思ったりもしたが、いざ読み進めていくと、全然そんなことはなく、リリー・フランキーと同世代の誰もが抱える問題を、母と息子の絆を中心に家庭、友人、親戚、仕事、その他、彼のまわりに息づく全ての事柄を全部ひっくるめて、「こんなとき私の場合はこういう決断をし、こういう行動をとったら、こういう結果がうまれました」と、自分なりの筋を通し、今まで挑戦してきた事とそれに対する結果を、はずかしいぐらい正直に描き出しているのである。私も今年40歳になり、リリー・フランキーと同世代となった。また病気こそ違うが体が利かなくなってしまった母親がいる身として、さらに老人の介護や、高齢者の問題が問いただされる現代においては、作品中での彼の決断や行動は、大いに参考になる部分もあるし、共感させられる部分もある。しかし、様々なメディアの中で「母と息子の絆」や「オカンの闘病生活」の部分がクローズアップされているせいか?何故か巷では「泣ける」が前提にあり、「ものすごく泣ける」とか「思ったより泣けなかった」などといった感想がたくさん耳に入ってくる・・・。それが、いいとか、悪いとか言うつもりはサラサラないが、私としては「泣けるか」「泣けないか」などはどうでもよく、テレビやラジオで見る"あの"リリー・フランキーが、業界人リリー・フランキーではなく、家族にしか見せることのない中川雅也としての素顔をさらけ出し、挑戦や失敗、人間関係、時にはエロ話までをリアルに表現していることで、彼の文章を読み進めるうちに、境遇は違えど何故だかそれらの出来事を自分の立場に自然と置き換え、自分の事として自問自答が出来るのが面白いのだ。

 ということで、いざ読んでみると、まず原作を「読まず嫌い」していた事を反省しなければならない・・・。しかし、原作はともかく、やはり、はじめに感じていたように、矢継ぎ早で過密な「東京タワー合戦」がはじまった・・・。確かに商業的にはよくもあるのだろが、「東京タワー」本来の価値はどんどん薄れ磨り減っていくだろう・・・。上記で触れたように、原作からドラマ・映画に至るまで、全てが計算のうちかもしれないと思いはじめると、心なしかまた「読みたくない」と思っていた頃の振り出しにもどるのだが、しかし、まったく同じ作品を作家を目指すサラリーマンの中川雅也が発表したからといってもこういう現象にはならないのも確かで、私自身も原作を楽しいとは思わなかったはずである。著名人であるリリー・フランキーだったからこそベストセラーになったというのは誰にでもわかることで、そのため、どうしても作品から商業臭を感じるのは仕方の無いことなのだ・・・と納得をしてみる。逆にいえば、一方に商業臭がプンプンするスタイリッシュでやり手なリリー・フランキーを思い浮かべ、また一方に「オカン・オカン」と泣き叫ぶ、お金の匂いどころか泥臭いまでの中川雅也をイメージし、その落差を感じながら、読みすすめるのがこの原作の醍醐味であり、その二面性こそが、誰にでもある普通の出来事に独自性を持たせているのだと思う。だからこそ、なんだかんだいいつつも、しっかりと最後まで読みきれてしまったのかもしれない。ただ、それが、ドラマや映画の世界になり、リリー・フランキーと中川雅也、さらに役者というもうひとつの素材が入った時にはややこしくなってくるだろう。リリー・フランキー、もしくは中川雅也のどちらかの影が薄くなるのではないだろうか?

 この「東京タワー」の原作は「泣ける」という口込みで、あっという間にベストセラーになったようだが、私からすれば、リリー・フランキーならではの、ユーモアや涙や笑いがふんだんに織り込まれたとても面白い内容のもので、号泣するためのものとは認識していない。近頃は感動の延長線に涙があるのではなく、泣ける事が大前提で劇場に足を運んだりするようでもある。確かに過去においても「会場には必ずハンカチをおもちください」的なキャッチコピーを聞いたこともあるが、その頃とは泣かせの質が少々違うような気がする・・・。だから、「泣ける」というイメージがついてしまうと、100発100中で泣かせないといけない。そのため、あえて泣かせようとしていることが見え見えの演出をよく見かけるが、この映画版「東京タワー」はその辺、あっさりしているので、個人的には好感がもてるのだが、逆に、あえて力技で泣かすような事をしていないのに対して、ものたり無さを感じる方がいるかもしれない。確かに近年では「エステティックサロン」ならぬ「涙サロン」へ足を運ぶ感覚のごとき作品が流行っており、下手に金をかけたハリウッド大作よりも、そうした韓流映画などのほうが意外に強いのも事実ではある。

 さて、オダギリジョーと樹木希林が主演を勤めたこの映画版だが、両ドラマ版と比べると、トータルでの雰囲気は映画版のほうが原作に近いと思われるのだが、内容面では薄くなったと思われても仕方がない。特に連続ドラマと比べてしまうと、キャラクターやエピソードなどにかけられる時間が少ないだけにキツく、映画版の公開時期が、連続ドラマ完結のすぐ後ということもあり、この作品が好きな人なら、無理にでも比べてしまうだろう。かりに、ドラマで泣きまくったという方にとっては、少々薄味に感じるかもしれない。さらに比べると、映画版は意図的に淡々とした流れで作られている上に、メインでとなる役者達(オダギリジョー&樹木希林&小林薫)が、あまり大げさではないリアルな演技をするものだから、見方によってはメリハリが感じとれず、頭っから「泣ける」という事を過剰に意識してしまうと裏切られたように思われるかもしれないのでご注意を・・・。だからといってまったく泣けないわけではなく「さあココで泣きなさい」と言わんばかりの、過剰な演出がなされていないだけで、私が鑑賞したときも場内のあちこちから鼻水をススル音が聞こえてきたように、自分自身で泣き所をもっている方は大いに泣ける作品であることは事実のようである。

 それはさておき、確かに、原作に比べると、ボクとオカン以外の人々との関わりが、深く描かれておらず、どちらかといえば、そうしたボクとオカンをとりまく人間関係の描写が好きだった私としてはちょっと残念だった。きっと原作を読まずに、映画版だけを見れば、涙の質もかなりストレートな「ボクとオカン味」になるのではないだろうか?まあ、それはそれで悪くはないだろう。続いて作品の雰囲気を大きく左右する俳優陣の好みでいえば、スペシャルドラマ版の大泉洋&田中裕子&蟹江敬三、月9の連続ドラマ版の速水もこみち&倍賞美津子&泉谷しげる、といったドラマ版の組み合わせよりも、オダギリジョー&樹木希林&小林薫の映画版の組み合わせのほうがシットリとしていて好感がもてる。特に、作品の雰囲気を大きく左右するであろうオトン役は、他のドラマのオトンと比べても小林薫がピッタリだと感じられた。何故なら、自分の中では「ボク」や「オカン」はそれぞれ役者によって多少カラーが変わってもいいと思うのだが、オトンだけはブレてはいけない!都会と田舎、過去と現在、環境の変化、そんな事はお構いなしで、唯一わが道を行き続けるキャラクターだからこそ、カラーはひとつでなければならないのだ。やりすぎ・しゃべりすぎはNGだし、無骨・大げさすぎるのもNG、ルックスも微妙に洒落ていなければならなず、チャーミングでなければならない。そして、ここぞという時に、味のある一言をポロッというのである。そんなことから、だまっていても絵になる小林薫の存在感は大きいし、ブレがないのがいい。もちろん蟹江敬三や泉谷しげるにも味はあるのだが、あくまでも個人的にはオトンは小林薫である。それだけに、オトンの登場シーンが少ないのと、オトン語録?が炸裂していないのに少々不満がのこる・・・。なんといっても、オカンを輝かせているのは、ボクではなく、オトンなのだから・・・原作の中でも「ああ、なんだかんだいってオカンはオトンにほれてるんだな〜」という節が心地よい。タイプは違うが、「麻雀放浪気」のドサ健的存在ともいえる。「麻雀放浪気」も主人公である"ぼうや哲(映画では真田広之)"よりも、むしろ脇役の"ドサ健(映画では鹿賀丈史)"の出来次第で雰囲気が変わってしまうからである。ちょうど、ドサ健の彼女である"まゆみ(映画では大竹 しのぶ)"もオカンのような女性だった・・・。雰囲気といえば、樹木希林が演じるオカン役の若い頃を、樹木希林の娘である内田也哉子(本木雅弘夫人)が演じることで、リアルな雰囲気づくりに大きく貢献しているし、なんとなく子どもの目線を大切した感のある背景や小物、色合いなどもいい味を出している。そんな事からも、映画「東京タワー」は原作の雰囲気はバッチリ抑えられていると思うので、私としては、映画版ならではの斬新さが、もっとあってよかったと思うのだが、原作を読んだ人達にとっては、むしろ余計な贅肉がはぶかれ、さらりと原作をなぞっている分、ビジュアルを楽しみながら、原作を回顧するにはドラマよりもむしろいいのかもしれない。あとは役者が好きか嫌いかである。

 とまあ、いろんな事を書いてみたものの、結局おわってみれば、原作からドラマ、映画を何らかの形でチェックしてしまっているのだから、私も立派に「東京タワー現象」の一端を担っているといえるといえる・・・。よって、映画の点数は3.5点だが、まんまと乗せられてしまった原因となる原作には、少なくとも5点満点はつけなければならない。とにもかくにも流石にリリーさんである・・・私の想像の及ぶところではない。

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パワナビ甲斐・30代 男性 (評価:4点)

 自分が、リリー・フランキーと聞いてイメージするのは、おとぼけキャ ラのイラスト。みなさんもどこかで目にしているはず・・・今はおでん くんでしょうか?そして、「エロイ?」ということでしょうか?そこら へんは映画本編にもオチ的に登場します(笑)。そんな、イメージのリ リー・フランキーが原作を書いた「東京タワー」。原作は冒頭部分だけ 読んで、読めずじまいのまま映画を見ました。ボクとオカンとオトンの 「小さな話」・・・この「小さな話」というのがなんかキーになってい るように感じました。すべてではなくても物語のどこかには必ず自分と ダブるところがあるような感じです。実際に同じ時を過ごしてきた人に は懐かしい出来事もあるのではないでしょうか?自分も高校卒業して京都の専門学校に通っていた頃の母親とのやり取りなんか思い出しました。アパートの斜め前に吉野家があるのに小包で吉野家のレトルト牛丼の元を送ってきたりとか(笑)部屋に野郎共がたまってうだうだとくだらない話なんかしてるシーンは、もうそのまんまでした・・・そんな「小さな話」がギュッと沢山この物語には詰まっています。みなさんも重ね合わせてみてしまうところがきっとあるはずですよ。その「重ね合わせ」がきっかけで物語にすっかりと入り込んでしまうんですけどね。

 そして、ちょうど物語の中に入り込んだ頃から「ボク」が生まれ変わっていきます。すべてが上手くまわり始め徐々に「ボク」から現在のリリー・フランキー像が浮かび上がってきて・・・「オカン」病気。ここからが原作を読んだ人たちが「泣いた」部分ではないでしょうか?「ボク」「オカン」「オトン」が持つそれぞれの愛情がたっぷりと描かれています。この3人以外の人々とのやりとりも涙を誘います。ここまできたらもう自分の中の「リリー・フランキー像」は完全に壊れていました。 映画を見終わった後、沢山のリリー・フランキー物を改めて見ました。イラストだったり、インタビューだったり。とくに「ほぼ日刊イトイ新聞」の原作に関してのインタビューを以前に読んでいたんですが、今回改めて読んでわかる話もありました。物語がさらに身近になった感じもしました。映画を見る前でも、見た後でも一読を!「現実は小説より奇なり」という事を強く感じました。自分も自分の半生を書けるような濃い人生を送りたいと思います。

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■Sさん 女性 (評価:4.5点)

 原作同様泣けました。ドラマなども見ましたが映画が一番雰囲気があっ てよかったですね。リリー・フランキーさんは名前は知っていましたが原作で初めて知ったと言ってもいいくらいでした。ラジオとか聞いたら 引いちゃうかもしれませんが(笑)とにかくいろんな愛の形みたいなも のに共感できました。映画の長さも気になりませんでした。


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■Jさん 40代 男性 (評価:5点)

 原作は読んでいません。でも、自分とはまったく同世代で、同じような学生時代を過ごし、就職で東京に行き、母を癌で亡くしていることから、見ていてとても人事とは思えませんでした。そんなことから、映画の中でも、病床の母親を見守っているシーンは脳裏に焼きついてしまいます。なかでも、オカン役の樹木希林が冷蔵庫の中のものをひとつひとつ話すシーンが印象的でした。また、若い頃のオカン役を樹木希林の娘である、内田也哉子が演じたのはよかったと思います。とても自然でした。あと、オトンの小林 薫がいい味を出していましたね!

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■3Lさん 30代 女性 (評価:5点)

 原作は読んでいません・・・。オダギリジョーさんのファンなので見にきました。とにかくSFものや、時代劇などでは見ることのできない、ライフカードのCMのような彼らしさが随所にみられ、流石だなと思いました。実はもっと涙涙の映画なのかと思ったのですが、意外に淡々としていて、かえって気持ちいいくらいでした。せっかくのオダギリジョーさんの好演がワザとらしい派手な演出に邪魔されなかったのは、ファンとしてうれしいばかりです。

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■耕作さん 40代 男性 (評価:4点)
 原作、ドラマ、どちらも見たのですが、映画は映画で味があっていいんじゃないですか?とくにオカン(樹木希林)とボク(オダギリ ジョー)の組み合わせは映画版が一番ぴったりじゃないですか!まあ、残念だった点といえば、原作のダイジェストを見ているように思えたことです。個人的に、東京タワー関連の作品はすべて抑えていたので、特に映画で細かく描写されていなくても、いろいろと想像できたのですが、原作もドラマも知らない人にとって、入り込みやすいものだったのかといえば疑問です。

投稿者 blogpawanavi : 2007年04月21日 15:59

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コメント

原作は読みましたが映画は観ていません。読んで、自分の母親と重ねてしまい泣きました。
しかし読後の感想は、正直なところむず痒く、そして不快な思いでした。
なぜかというとこのような内容はそれぞれの心にそっとしまっておくべきで事で商業ベースに乗せるものではないと思ったからです。
誰でも、どんな家庭でも、辛い事、悲しい事たくさんあります。
でもそういう部分をしまいこんで笑顔で暮らす。そんなところに日本人の美意識を感じる自分にとってはまさに、松田さんの言うような、日記を盗み見た感であり、自分から公開すべき事ではないと感じました。作者のリリーさんは別のエッセイで、親しい友人の前ではトイレを開けっぱなしにして大便をする事に抵抗はなく、その友人も横でメシを食いながら話をする。という記述がありましたが、まさにそういう感覚だなと思いました。
なんでもオープンにする。そういう感覚が作家には必要なのかも知れませんが、私の感想としてはむず痒く不快で泣けるものでした。

投稿者 横浜ミッドナイト : 2007年07月15日 02:46

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