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2005年09月12日
台風14号被害状況~延岡・桜ヶ丘
☆パワナビ松田
9月12日、6日の台風14号接近から約1週間がたった・・・。
もう過去のものになりつつあるのだろうか?
いやたった1週間である・・・被災地では、まだまだ問題が山済みだ。
少し前に、パワナビ☆オオタヒサヤの叔父・叔母夫婦が
被災した宮崎市の現場”小松”に取材に行ったが、
そこには現場に行かなければ絶対に知りえない光景が広がっていた・・・。
延岡市も小松同様に被災からの復旧に時間を費やす地区がある。
岡富、古川、細見、小川、そして私の叔父・叔母が住んでいる
延岡市の桜ヶ丘地区も大きな範囲で床上浸水の被害にあっている。
6日の深夜、台風の通過をまって、炊き出した白飯をかかえ
私の自宅である行縢から桜ヶ丘に向かった時の事を思い出してみる・・・。
あれから約1週間がたった。被災にあった人、被災を免れた人・・・。
それぞれに時間の経過は違うのだろう・・・。
「もう1週間もたってしまったんだな~」そんな風に思えればいい、
しかし被災地区の住民は、今だに不自由な生活が続いているのが現状だ。
「あと何日が過ぎれば元の生活に戻れるのだろう」・・・。
指折り数えるのも馬鹿らしくなるほどやるせない毎日をおくっている。
精神的にも肉体的にもかなりまいっているのは確かだ・・・。
下の画像は、私の叔父・叔母の自宅だが、1週間が過ぎてもこの状態、
2人はたった2畳のスペースで睡眠・休息をとっている。
右の画像にある右奥に見える2畳分だけが睡眠をとれるスペースである。
さらに昼間は復旧作業で通常より体力を使っているのだから
普通に考えても、これでは休まるどころかストレスがたまる一方だ・・・。
2畳分の生活スペース以外は左の画像のように床板を全てはずし、
綺麗に洗浄してから天日で乾燥させている。
これは何処の家庭でも同じだ。町内には乾燥中の床板がズラッと並ぶ。
「とにかく洗濯ものが多いのよ・・・」
開口一番、叔母はつぶやいた。何せ洗濯物を干すスペースがなく
車で20分かけて行縢にある私の自宅まで洗濯物をもってやってくるのである。
コレだけの洗濯もの・・・私は直ぐに宮崎市で直面している水問題から”節水”の
2文字を思い浮かべてしまった。不思議なもので、コレだけ節水、節水と
言っていれば、頭に”節水”がこびりつき片時も離れない・・・・・。
しつこくても”節水”を呼びかける事は必要だと、ふと感じた。
たまたまだが水に関して言えば延岡市は恵まれてはいるが、
ここでも通常より多くの水が使用されているのは確かである。
小松地区でも、町に溢れた泥を洗い流す作業をしている光景を見かけたが
復興には多くの水、それも飲料水ではない”水”が大量に必要である事をしらされた・・・。
宮崎市の方達が、生活用水がなくて困っている意味がよくわかる。
この生活用水がなければ、それがたとえ人間であれ物であれ、
やっとの思いで、泥の中から引きずり出せても、次のステップへ進めないのである。
復興にはどうしても生活用水、とにかく大量の水が必要なのだ。
だから今は贅沢な水の使い方をしてはいけない。
たとえ水が止め処もなく出てくる地区にいても、むやみに使う事はできない。
被災からの復興を1日でも早くするために”節水”の努力は必要なのだ。
水が出ているか、出ていないかで復興の速度が大幅に変わってくる。
だから今はとにかく”節水”と叫ぶしかない・・・。
「節水っていってもうちらは関係ない地域だし・・・」
今だけはこのように思ってもらいたくはない・・・。
パワナビのトップページにも”節水にご協力お願いします”と大きく出しているが、
効果が有る無いに関わらずとにかく叫びつづける。
また、宮崎市近隣地域からは水の供給が始まっているようだが、
この叔母の「とにかく洗濯ものが多いのよ・・・」という言葉から、
県北などの遠い地域からはせめて「出前洗濯サービス」ぐらいできないだろうか?
こういった地区では洗濯機事態が使い物にならなかったり、
付近のホコリっぽい環境から乾燥ができないなどがあるだろう。
また、近くのコインランドリーまで、重たい洗濯物を持って行くことができない
老人や障害者もいるだろう・・・。今しばらく水問題が続くなら、
この大量の洗濯物の問題は当たり前のように出てくるはずだ。
・・・コレについてはちょっと考えて見たいと思うが。
逆に、当たり前のように既に実施している団体があるのだろうか?
できれば教えてもらいたいし、現実的にやっていく上での
具体的な方法などあれば教えていただきたい。
さて話を戻して、叔父・叔母との会話でも災害ボランティアの話がでた。
こちらも先週末に小松地区の災害ボランティアの取材をパワナビ☆Kが行い、
レポート以外にも様々な話を聞き「この時期の被災者に喜ばれるもの」
という事で、情報を元に本日、叔父と叔母には、
業務用の厚手の90リットルゴミ袋、乾燥剤セット、タオルセットなどを持っていったが、
これらが非常に喜ばれた。どうも薄手のゴミ袋は直ぐに破けて使い物にならず、
何だかんだとタオルは重宝するらしい・・・さらに、洋服ダンスが水没し、
家屋自体にまだまだ湿気があるため、せっかく乾かした衣類がまた駄目になる。
そこで乾燥剤があると厚手のビニール袋に丸めて衣類を詰め込み、
ガムテープなどでしっかりと防水対策をし、中に乾燥剤を入れておけば
しばらくの間は衣類や布団類の保管ができる。
下の画像は、水没したタンスの底を全てはずし、乾燥させているところだ。
思えば叔父・叔母とゆっくり話ができたのは、台風通過後初めてだった。
台風接近当日はお互いに余裕すらなく、台風通過後の深夜に
「ご飯がないのでは」と叔母に連絡を取ったところ、案の定だった。
行縢から車を走らせ停電で街中真っ暗な桜ヶ丘へ向かったが、
出てきたのは疲れはてた顔をした従兄弟だった・・・。
叔父・叔母は肉体的・精神的な疲れと停電、空腹でぐったりしていたようだ・・・。
この日は従兄弟に白飯を渡すのが精一杯だった。
台風接近当日は私も家で家族と過ごしたり、時折、近隣の状況を
見て回ったりしたが、途中、叔父・叔母の自宅の直ぐそばに住む
叔母の兄(私からすればまた別の叔父だが)から連絡があったのを覚えている。
電話の向こうから聞こえる大声!
「あいつらは避難できたじゃろうか・・・今うちは2階に避難しよる・・・
ああ・・・商業の体育館なんて行けるもんかい・・・もう年じゃ。
いきなり膝の上まで水がきよる・・・歩いていけるわけがないじゃろ。
いくらなんでも2階までは上がるもんか!わしらは大丈夫。
でもあいつらは平屋じゃし、心配じゃね・・・。」
結局こちらの叔父達の自宅も床上浸水たわけだが、上の会話からもわかるように
高齢者にとっては、若者が何とかたどりつける距離でも無理だ。
結局、叔父・叔母は水が上がるのが早かったらしく、
避難するので精一杯・・・自宅をどうこうしている暇などなかったようだ、
とりあえず体一つで飛び出し、近所の2階立ての家に避難したらしい。
最終的には、70~80cmぐらいまで水が上がったという。
ある程度状況が落ちついてから、少し高台にある従兄弟(息子)
の家に行ったが、この地区全体が長い停電に陥っていた。
この桜ヶ丘は全体的に土地が低く、近くには祝子川をはじめ、
祝子ヶ内川、蛇谷川などが流れる事から、浸水の経験は何度となくある。
しかし、今回のような大規模な浸水には少々戸惑っている様子だった。
それにしても、その後の長い停電にはさすがにまいったと言っていた。
いくらなんでも1日半という長い停電はなかったという。
その間、作業状況の情報などもまったくといっていいほど連絡が入らず、
そのためTVを見ることができない、ラジオをつけても
「只今復旧作業中です」といったメッセージが時折流れるだけだ。
住民達はみんな、かなりヤキモキしていただろう。
「電気そのものが流れていなくても、どういう原因で電気がこないのか等を
車で巡回し説明するとか、地区の代表者に連絡する等があってもいいのでは?」
こんな話を方々で聞いた。災害中はどんな小さな情報でもほしいものだ。
結局、24時間以上たっても説明がなかったらしいが、理由はわからない。
あれから?1週間が立つが、桜ヶ丘はまだまだ1週間前と変わらない。
ばかりか被災者の疲労はピークを過ぎている・・・ストレスも相当なものだ。
こちらから見ていてもそれとわかるのだから、本人達はかなりのものだろう。
今日もずぶぬれの畳山と格闘している姿を見かけた・・・こうした畳を運ぶのも
かなりの重労働である。延岡でのボランティア活動募集も昨日11日の日曜日で
一旦打ち切りになったが、ある方面からの呼びかけにより、
再募集が開始された。力仕事もまだまだたくさん有るのが現状だ。
これからもまだ一時は、災害ゴミとの格闘が続く・・・。
延岡市でも確実に高齢化が進んでいるのは事実だ。
今回、延岡市だけでなく、他地域でも避難できないでいたお年寄りが多かった。
耳が遠くて避難勧告がわからない、少しの水でも歩行が困難になる・・・。
普通の事が普通でなくなる災害時は、一般の若者の動きも何パーセントかダウンする。
明日はわが身、今回の被災を経験に、今後どのような対策がうてるのか?
その前に、今、目の前にある現状を、たとえ被災していなかったとしても
もっとよく見る事が大切かもしれない。よく見ていると、
次第に自分にもできる事が見えてくる・・・。
さて、最後に本日、ブログの書き込み欄に、中越地震のボランティアに参加した方より
「最もお伝えしたい事」として書き込みがあったのでご紹介する。
この中にもきっと、今から直ぐにでもできる事があるはずである。
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~名古屋の日向もんさんより
謹啓
初めて、メールさせて頂きます。私は宮崎出身の男性、40代です。
遠方(名古屋市)に住んでいますと、故郷 宮崎の情報が初期的・断片的で歯痒い思いです。
今般の台風14号災害に見舞われた皆々様に、心よりお悔やみ申し上げます。
さて 私は、幸い(?)にも昨年10月23日の「中越地震」の
復興ボランティアに参加させて頂きました。震源地(震度7強)の新潟県川口町
ボランティアセンター(全国から自発的に、勝手に?集まった個人集団の中心基地)
の立ち上げから、そのセンターを社会福祉協議会へ、バトンタッチするまでの
「お手伝い」の為に、延べ1か月間 現地に滞在しました。
(川口「町」といっても人口 僅か5,600余名の田舎村。有名になった「山古志村」の隣です。)
沢山の貴重な経験をさせて頂きましたが、その1か月間を語るには、数時間を要しますので割愛します。そこで…
「最もお伝えしたい事」
1:実際の被災地の惨状は、新聞・テレビ報道の5倍!、10倍!!であること。
又、新潟の場合余震が続き、自分自身の身の危険を五官で感じることが度々あった。
2:民間ボランティアは、純粋な「何か、お手伝いをさせて下さい。」の気持ちで
全国から勝手に?来ているので、宮崎の被災者の皆様にも、
『どうぞ、ボランティアに甘えて下さい。』と申し上げたい。
※注…新潟には、悲しいかなボラを装った火事場泥棒が一部、徘徊したようです。
3:今般の台風災害についても 自治体は、近隣地区からのボランティアのみを
求め勝ちであるが、「お手伝いをしたい人」は、手弁当(テントや自家用車を含む)
で行くのであり、遠方からのボラお断り的な報道・通知は、行うべきでない。
余計なお役人の気配りである。本当に困っているのは、被災者の皆様であり、
あなた方お役人さんでは無い!
(新潟での経験上、『非常時に役人は、何の役にも立たない!』…を実感しました。)
4:罹災現場には、多くの無償労働者へのニーズ(声なき声)がある。
例えば…。
>医療関係者
>老人、子供の精神的ケアの経験者
>マッサージ、鍼灸師
>理容、美容師
>建築、電気、水道技術者
又、ご参考までに
日本道路公団は、災害ボラに対し「無料高速通行証明書」を発行してくれる。
現に、私は名古屋IC~川口IC間の5往復、約10万円を無料で走行しました。
ところで、中越地震のボラ活動には、偶々 行くことが出来ましたが、
諸々の事情で、今般の故郷宮崎の災害復興ボラには、誠に申し訳ないのですが、
赴くことが出来ません。一日も早いご復興を、心よりお祈り申し上げます。
又、貴グループが益々、『美しき日向の復興』に ご貢献されますように…。
敬具
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投稿者 pawanavi : 2005年09月12日 20:24
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