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2005年09月29日
サウンドビーチすみえ~その後
☆パワナビ松田
9月28日(水)、サウンドビーチすみえから10日がすぎた・・・。
しかし事務的な作業や報告・連絡事項などがまだまだ残っている。
まつり延岡実行委員会がレゲエフェスタのラストに美しい花火を上げてくれたが、
花火と共に「お疲れ様~また来年・・・」とはいかない。
この日も、反省会を兼ね、様々な事後処理を行うため
久々に実行委員達が集まった。なんだかんだとみんないそがしそう・・・。
誰も私の画像を撮ってくれないので「オレも会に参加しているぞ!」
という証拠画像が撮れない・・・結局自分で撮った・・・。
チケット清算や、領収書、その他、イベント当日では集計できなかった事柄を
この10日間の間にそれぞれの係りが仕事の合間に整理し、
ここで報告をし漏れや間違いがないかを、みんなが確認できるところで事細かにチェックし、
みんなで数字が合っている事を確認しながら、一ツづつ潰していく。
とりあえず昨日の集計結果下記にまとめてみた。
前回の報告でも書いた内容と一部重複している部分もあるが、とりあえず報告↓
●救援物資
総数142点(お米、ビニール袋、ブルーシート、飲料水等)
→上記はサウンドビーチ実行委員長(パワナビ☆K)より台風14号被災者代表に渡り、
桜ヶ丘で開催された被災者のためのバザーに出品されたとの報告があった。
●サウンドビーチすみえイベント当日関連情報(ほぼ正確だと思われる)
☆入場者関連情報
・レゲエフェスタ→1000人
・ライブイベント→150人
・ビーチの森すみえ→800人
・アトラクション→200人
計2150人
☆運営者関連情報
・出演者→100人
・イベント企画・運営実行委員→20人
・スタッフ(当日ボランティア含む)→130人
・その他関係者(出店者含む)→100人
計350人
合計→2500人
※どのアトラクションにも参加せず、ただビーチに遊びに来ただけの人数は不明。
会場に外に漏れる音をききながら、浜にいた人も多数おり、
駐車場の込み具合などから、かなりの人が来たと思うがカウントはしなかった。
●今回のイベントを通して長期的に「ビーチクリーン募金」と、短期的に
「台風14号救済募金」の二つの箱を設置したが、回収できていない箱もあり
こちらはまだ集計がでていないので、結果は後日。
●尚、さらに詳しい情報や画像は後日レポートにしてホームページアップ予定。
現時点での数字的な集計もおわり、感想や反省点をみんなで語り合った。
今までの5年間を振り返る資料をみながら、今後を考えたりもした。
とにかく反省点は多いようだが「みんな来年もやりたい!」という部分は一致していた。
この話合いの中で決まったことがある。それはサウンドビーチすみえの実行委員達が
今後、常に心に留めておかなければいけないメッセージだ。
イベント全体としては→「つながろうや宮崎人」
イベントキャッチフレーズ→「今年最後の夏まつり」
実行委員内標語→「体で感じて、形にすっとよ!」
中でも最後の実行委員活動に直接関わる標語がよかった!
「体で感じて、形にすっとよ!」は今年参加したばかりの実行委員のもの。
情報が中々現場におりてこなかったり、担当者が頭の中に閉じ込めたままで
形になって出てこないもどかしさを表現したもの。
早い話が「一人でかかえこまないで、こっちに仕事をふって!
頭はなくとも体を使って解決するから☆」ということである。
若者達が多くボランティアで参加しているイベントなので、知らないうちに
溜め込んでおり、気がついたら仕事をふれなくなる事がおおい・・・。
上記の標語はいろんなケースで使えるのでルールとしてもあると便利だ!
重要な事柄の伝達も終わり、来年も頑張ろー!ということになり、そして
「本当の最後の最後にやらなければならない事を先にすませてしまおう」と
反省会を打ち切り、またまた作業に取り掛かった。内容はというと
イベント運営に協力いただいた方達に御礼や報告をしなければならない・・・。
上記のような数字とあわせて、御礼のメッセージを関係者に送る作業だ。
リスト作成から本文、宛名などなど・・・。
このような感じで、イベント自体が終わるには以外に時間がかかる。
とりあえずみんなには「お疲れ様」と言っておこう(笑)。
投稿者 pawanavi : 09:51 | コメント (4) | トラックバック
2005年09月28日
歩けるようになった
☆パワナビ松田
子供の成長とは、早いもの。
今年の4月に遊びにきた時は赤ちゃん赤ちゃんしていた
パワナビご近所さん「ギタリスト松田家」の”ヒビキ君”
なんと、勝手に歩きまわるようになった・・・。
目に見える成長はいいな~ほめてもらえるし。
年をとればとるほど、だんだんと成長が見えにくくなり、
成長しているかすら疑わしくなってくる。
さらに、誰かに認めてもらえなくとも
成長する努力をしなければ、ほめられるどころか笑われる・・・。
わかりやすい肉体的成長が少ない大人はつらいが、
ヒビキ君に負けないよう精神的に成長しよう。
しかし、「見て感じる」だけの単純作業も子供のほうが得意かも?
投稿者 pawanavi : 10:04 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月27日
賞金5万円!名物料理・お菓子コンテスト
☆パワナビ松田
下の画像はひでじビールの永野さん!
なんで永野さんがパワナビにいるかというと、
毎年延岡市で開催される「のぼりざるフェスタ」の打ち合わせに来ているのだ!
永野さんはのぼりざるフェスタ実行委員会の物産部会サブチーフを務めていて、
今年はなんとグランプリ賞金5万円という
「名物料理・名物お菓子コンテスト開催」
についての打ち合わせという事で来ているのだ。
とりあえず、10月2日まで募集中という事なので
興味の有る方は下記の詳細を見ていただくとして、
☆パワナビ松田もこのイベントには取材だけでなく審査員として参加する。
募集は今週いっぱいなので、急を要するが、すでにレシピが有る方や、レシピを作る
お時間の有る方はぜひ、応募していただきたい!
☆のぼりざるフェスタ今年の目玉企画
「県北」新★名物料理・名物お菓子コンテスト 大募集!
一般の方・プロの方問いません
今年もやります!のぼりざるフェスタtogether2005
→10月22・23日(土・日)延岡中町通り
■地元食材で一工夫!あなたのオリジナル料理やアイデアお菓子などを募集します。
今までに無い斬新な発想で、新★名物料理・名物お菓子にチャレンジしませんか?
・募集部門 1名物料理部門 2名物お菓子部門
・募集テーマ 宮崎県県北地域で生産される農作物・水産物をメインの
食材として使用した、素材感を活かした独創的な料理またはお菓子。
・応募資格 テーマを満たした作品であればプロでもアマでもOK!
複数応募OK!但し未発表作品に限ります。
・応募締切 10月2日必着
・応募方法 応募要項・応募用紙を事務局までご請求ください。
・お問合せ のぼりざるフェスタ実行委員会事務局
延岡市本小路121-1延岡市役所商業観光課内
TEL 0982-34-7833 FAX 0982-32-6010(担当:谷川・森)
■見事グランプリに選ばれたら・・・
1 グランプリ賞金5万円!
2 のぼりざるフェスタ当日開会式にて表彰!
3 イベント期間(2日間)特設ブースにて販売できます。
4 イベント期間の出店料無料
5 イベント出店がはじめての方には実行委員会が全面バックアップ
投稿者 pawanavi : 19:18 | コメント (1) | トラックバック
2005年09月21日
サウンドビーチすみえ05~報告
☆パワナビ松田
9月17日(土)、18日(日)、に延岡市須美江家族旅行村で開催された
”サウンドビーチすみえ05”が無事終了した。
特にレゲエフェスタが開催された18日の須美江は人が溢れていた。
会場付近にある駐車場、数箇所は満車・・・。
トータルで何人きたかは正確にはわからない・・・。
各イベントの参加者は大よそわかるのだが、1人づつ数えたわけではないので
なんとなくぶらっと来て、ぶらっと帰った人など人数が把握できなかった。
イベント自体の参加人数は2500人だが、上記の人数を入れると
2800人なのか3000人なのかは?だ・・・。
そしてこの日無料開放となった、レゲエフェスタ会場入り口にある
”ビーチの森すみえ”だけでも約800人の家族連れが訪れた。
とにかく特設ステージも、海水浴場の浜も、ビーチの森も活気に溢れていた。
※数字的な詳細はこちら
さてイベントレポート詳細をアップするのにもう少し時間がかかりそうなので、
この編集日記では、多くのみなさんにご協力をいただいた
台風14号被災者救援物資とビーチクリーンに関する事をメインに報告し、
イベントの大まかな部分を紹介しながら救援物資関係の話題に触れたい。
まずは今回の目玉だったプログラム”REGGAE FESTA”の
画像を参考にしていただき、メインステージの雰囲気を紹介しよう。
下の画像は18日の”REGGAE FESTA”の模様、ゲストは下記↓
MOOMIN、NANJAMAN 、H-MAN 、JUNIOR DEE 、BAMIUDA
SYNDICATE GIRLS 、KIYO(LOVE MILK)、MURDER ONE、HIMUKA S.C、他
なんといっても、観客席の最後列部分が”海”というのがこのイベントの特徴。
まさにREGGAEにピッタリのロケーションであると思う。
お客さんからもアーティストからも、その点をほめていただいた。
地元人としてとても嬉しい事であるが、それと同時に、この場所が
寂れたビーチにならぬよう、使いながら守っていかなければと感じた・・・。
こちらの画像は同日行われた参加者による”ビーチクリーン”の風景。
イベント参加者全員に呼びかけて、浜から近隣の道路を清掃してもらう。
使用するゴミ袋や軍手は”宮崎県北部港湾事務所”が提供してくれた。
なんといっても、会場にいる人間がいっせいにゴミを拾うのだから気持ちいい!
今年は台風14号の影響で、この浜も少し変わってしまい、砂浜が小さくなっている。
もう少し時間がたつと以前のような砂浜に戻るのだろうか・・・?
しかし、この風景の中で、砂浜を舞うエイサーを見れたのはラッキーだった。
彼らに聞いたところ、砂浜での演舞は、ありそうで意外と無いらしい・・・。
そして今年はとにかく清掃を徹底した。このビーチクリーンタイムでは、
地元のダイバー達の協力で海底清掃も行ったし、たとえレゲエフェスタ中で
ゲストが歌っていても、実行委員会がビニール袋をもってまわり、
邪魔かもしれないが、お客さんにも協力・理解してもらいゴミの回収を行ったが、
ライブ中でありながらゴミの回収を手伝ってくれる方が多かったのが嬉しかった。
さらに、”JT鹿児島”から提供いただいた携帯用灰皿を喫煙者に配り、
ビーチへのタバコのポイ捨てを軽減させる努力もした。
下の画像は、18日のイベント終了直後の会場と、翌19日の会場。
足跡の多さの割りにほとんどといっていいほど、ゴミは落ちていない。
イベント終了後の翌々日、21日、様々な業者の出入りが終わるまでゴミ拾いをした。
この日のうちにゴミはクリーンセンターの協力で回収してもらったが、
今年はゴミの量も多く、分別が徹底されていなかったために、クリーンセンターの
方達にかなり手間取らせてしまった・・・大きな反省点である。
下の画像は、今回集まったゴミ・・・物凄い量だ・・・。
ゴミの前に立っているのは21日、最後まで清掃をしていた実行委員達。
左から☆パワナビ松田、実行委員長パワナビ☆K、花岡、
パワナビ☆ヒデ、J-BOY高木、池田
こんな事を言っては失礼だが、巨体&強面なJ-BOY高木さんや、池田さんが
民宿の前などをゴミ袋をもって小さくなってゴミ拾いしている姿を見ると
このイベントならではの光景だと感じた・・・。
池田さんに至っては2メートルの長身を折り曲げての作業となった!
もちろんゴミ拾いだけでなく、力作業や警備でも大活躍だった。
今開催で5回目となるこのイベントだが、今年も実行委員長をはじめ
4人のパワナビスタッフが立ち上げから当日の運営まで関わっていた。
私とパワナビ☆ヒデは1年目から参加している貴重なスタッフである(苦笑)
そんなことから毎年「無事終了」の声を聞くと、本当にホッとする。
しかし、今年ほどホッとした年はなかっただろう・・・・・。
やはり、例年とは違う緊張感が実行委員達にもあったのは確かだ。
サウンドビーチすみえも、毎年、下記のようなお決まりの
「私達の愛する"須美江"をもっと沢山の人に知ってもらいたい!」
といった軽い感じのキャッチフレーズで開催していたイベントだが、
今年は台風14号の影響で例年とはまったく異なる趣旨のイベントとなった。
具体的に「このイベントを使って何ができるか?」を考えなければならない。
でなければ、ただ若者が集まってワーワー騒ぐだけのイベントになってしまう。
これほど人が集まる事はそうそうないのに、ただ騒ぐだけでは意味が無い!
人がコレだけ集まったらこんな事ができた・・・というのがなけれならない・・・。
今年を境に、きっと実行委員会の意識が変わるにちがいない。
特に1年目から見ている自分としては、そう願ってやまない・・・。
ちなみに下の画像、左側は会場となった須美江家族旅行村の全景、
右側が海からの会場画像。画面手前の浜や芝生広場様々なイベントが開催され、
画面中央に見える施設”ビーチの森すみえ”はこの日、無料開放となった。
何故「私達の愛する"須美江"をもっと沢山の人に知ってもらいたい!」
だけではダメなのか?別に悪くはない・・・今まではそんなふうにやってきたんだから。
しかし、ただ騒ぐだけなら、このような状況の中でワザワザ開催することも無いだろうし、
須美江を知ってもらいたいだけなら、また別な機会だってあるだろう・・・。
ただ台風14号によりイベント会場となるはずの須美江は
見渡す限り海草や流木で埋め尽くされ、スタッフや出演者達の中にも、
自宅や親戚が床上浸水してしまった・・・・・と、そのように
被災現場をあまりにも身近なところで感じた関係者が多かった・・・。
北方町や延岡市でも大きな被害を及ぼした地区から参加している者などは
2階の床まで浸水し、ボートで救出されたという。
イベント当日のステージ上から
「家電や家具は全て捨てた、家の中には何も無い・・・でもガンバロウや!」
と叫ぶ者もいた。逆に、スタッフの中には消防として救出活動をしていた者もいる。
あたりまえだが、とても、イベントどころの騒ぎではないという事にナリ、
一時は天候に関係なく、イベント中止を考慮しなければならなかった時期もある。
ワザワザとは決して大げさな表現ではない、みんな家庭が大切なのだから・・・。
だからこそ、「”今”私達にできる事」をみんなで考えた。
イベント開催前のレポートで書いたように、
スタッフ、関係者が集まり「水害復興のために今私達に何ができるか?」
をみんなで討論した結果、「つながろうや宮崎、ウチらオレらにできること」
というスローガンを掲げ、普及活動で忙しい中、頑張ろうと開催を決定し
「被災者」よりもむしろ「被災していない側の人間」を対象と考え
下記のような内容で、それらの人々に訴えようという答えが出た。
もちろん被災を受けている関係者も「予定どおり参加する!」と言ってくれた・・・。
こうして文字にして上げてみると、なんとも当たり前の事だが、
これが、また、なかなか率先して音頭をとってやるまでに至らないのが現状だ。
・救援物資の提供を呼びかける
・被害状況写真やレポートの展示
・募金箱設置 などを行った。
しかし、小さな力も馬鹿にはできない・・・アレだけ大きな損害を受けた
北方町から、お米を30キロも持ってきてくれたり、
県外のゲスト出演者自ら救援物資をもってきてくれたり・・・。
本当に人の心の温かさを感じさせられた。
下の画像が、皆様より預かった救援物資。
撮影の問題で画像では上手く伝わっていないかもしれないが、
山の下にもビニール袋やお米などが沢山下敷きになっている。
数字的には142点の物資があつまり、そのうちの13点は、
救援物資のみを届けに来た人からのもの。
ご協力いただいた皆さんには関係者一同心より感謝しております。
![]()
この救援物資はイベント終了翌日の19日に、延岡の被災地区代表に渡した。
イベント会場から軽トラックを飛ばし被災地区に向かった実行委員長いわく
「ありがとう!って言われた時がここ数日で一番嬉しかった」
満面の笑みに、薄っすらと涙を浮かべ語っていたのが印象的だった。
今回、このイベントで集めた救援物資などは、どこか遠くに送るものではなく、
自分達の近くにいる人たちのために集めたものだから、一つまた一つと物資が
詰まれていく度に、なにか特別な感情がわいてきて、スローガンに掲げた
「つながろうや宮崎」という言葉を実感させられる瞬間が何度もあった・・・。
今回の企画だって、こういう状況下での、若者達の思いつきである。
いろいろと討論はしてみたものの、結果的には
特にひねった事など何もやっていない。やれる事だけ堅実にやった・・・。
それだけの事である。でも、コレだけの物資が形となって帰ってきた。
何もやらないより、やったほうがいいのが身にしみた・・・。
「今、ウチらオレらにできること」がまだまだあるかもしれない・・・。
そして私☆パワナビ松田としては、5年もやっていながら
スタッフとしてまるまる2日間会場の運営として入るのは今年がはじめてだった・・・。
いつも当日はイベントの取材に追われ、中々現場作業ができなかったが、
今年はカメラマンとしてパワナビ☆ヒデとパワナビ☆オオタヒサヤがいてくれたおかげで
まったく取材の事を忘れて現場作業に没頭できた。
17日はライブのタイムテーブルと舞台監督的作業、
18日はビーチの森の卓球大会や、レゲエフェスタの会場見回りなど・・・。
若者達と一緒に機材を運んだり、穴を掘ったり、土嚢を運んで堤防を造ったり、
みんなが踊り狂っている中、バンドやJ-BOYのスタッフとゴミを拾ったり・・・。
たくさん汗もかいたが、実に楽しい2日間だった。
こういった機会を与えてくれた実行委員会のみんなに心から感謝している。
5年を通して一番楽しかったし、いろいろあったが5年間やってきた
様々な経験が無駄にはなっていなかったのだと思えた。
来年もぜひ、取材ではない立場で参加できれば思う。
ご協力いただいたたくさんの方々、連日ハードな作業を手伝ってくださった
関係者の方々・・・本当にお疲れ様でした。ゆっくり休む間も無いかと思われます。
さらに、イベント運営にご協力いただいた団体・業者の皆様には行き届かない点が
多々あり、ご迷惑をおかけした事と思います。あらためてありがとうございました。
私は筋肉痛と気だるさが中々ぬけません・・・もう年ですね。
そして、ここ数日間は須美江にカンズメ状態だったので、パワナビの更新や
掲示板の管理が遅れ、皆様には大変ご迷惑をおかけした。
これから、またいつものように、様々な取材に出かけていきたいと思う。
さて、ここから先は、当日のイベント画像を少しだけご紹介します。
詳しい内容は後日、レポートとしてアップいたします↓
■REGGAE FESTA 18日
MOOMIN、NANJAMAN 、H-MAN 、JUNIOR DEE 、BAMIUDA
SYNDICATE GIRLS 、KIYO(LOVE MILK)、MURDER ONE、HIMUKA S.C、その他
REGGAEスタッフが下のような、出演者直筆サイン入りウチワセットを用意していた
とは、まったく知りませんでした・・・。ステージの合間に書いていただいたそうです。
■C.S ROCK LIVE おこわ 17日
・悶(宮崎) ・AIR GROOVE(宮崎) ・THE SUS(延岡) ・DRUNKEN MASTER(日向)
・The Baggys(大分) ・THE ROOKIE STAR(大分) ・山猿(延岡) ・SUKABAND !(延岡)
■ビーチの森すみえ無料開放
パワナビペアピンポンバトル、アームレスリングメリージュカップ、森の音楽会
投稿者 pawanavi : 13:10 | コメント (5) | トラックバック
2005年09月13日
台風14号被害状況~延岡・須美江
パワナビ☆K(サウンドビーチすみえ実行委員長)
今週の週末17、18日にサウンドビーチ須美江というイベントを開催します。
私、パワナビ☆Kはこのイベントの実行委員長として、10ヶ月以上活動をしています。
会場など、延岡市の施設を利用させてもらっているので
行政が主催しているイベントと勘違いされている方もいらっしゃるようですが、
このイベントはあくまでも民間の若者が有志であつまり、
みんなでアイデアをもちよって委員会を進めています。
そんなわけで彼らとはもう10ヶ月近く様々な話し合いをもちながら、
開催まであと数日となりました。
しかし、今回の台風14号のもたらした被害はあまりにも大きく
私達が暮らす延岡にも大きな被害をもたらし、スタッフの中にも
被災を受けた人、どうにか受けなかった人と様々でした。
そして私達が「全国に自慢したい延岡の風景」という事でこだわって
イベント会場としている、美しい須美江海水浴場にも、
たくさんの流木が溢れ、会場としてまったく機能できない状態です。
もちろん、毎年急な雨天時のために延岡市総合文化センターも押さえてあります。
しかし、今年に限っては、この須美江の浜でイベントが開催されなければ
まったく意味がないのです。自分は、実行委員長という立場から、
イベント開催・中止についてかなり悩みました・・・。
ただ、最低条件として、須美江海水浴でなければ開催はありえない・・・。
それだけはイメージできるのですが、頭は真っ白になっています。
今まで毎日夜中まで付き合ってくれた実行委員会の仲間達の顔と、
自分がパワナビとして被災現場でみてきた被災地の風景が交互に浮かび、
情けない事にいくら考えても、自分なりの答えが出せませんでした。
「こんな時こそみんなで話し合おう・・・」と思い、台風事後処理中の
実行委員会のみんなに集まってもらい、開催か中止かを話し合いました。
被災者に対する気持ちももちろんですが、さらに、現在の須美江の浜は
下記の画像のようになっているのです。ここがイベント会場なのです。
どう考えても、この大量の流木がなくならない限り、開催は不可能なのです。
そして、悲しい事に、業者を呼んで片付けてもらうお金もないし、
このような事態で、苦しんでいる人がたくさんいるのに、
たとえお金を持っていたとしても業者を呼ぶ事はできません・・・。
実行委員会のみんなは延岡人です。被害の大きい地区に関係する人もいます。
台風通過後の作業が忙しい時期なのです「こんな時に呼び出しやがって!」
と思われるているのは覚悟の上で、みんなを呼び出してしまいました。
とにかく集まった実行委員会のみんなに、携帯電話のカメラで撮った
上の画像を見せ現状を把握してもらい、質問してみました。
「今年の開催は被災者などの事を考えると微妙なのはみんなもわかってるはず。
逆に、このイベントを利用して、俺達が被災者に何かができるかもしれない。
イベントを開催するなら、もう一度みんなで考えて意味のある事をしたい。
しかし、どちらにせよ、この大量の流木やわかめを取り除かない限り、開催は不可能。
ステージ設営まであと1週間しかない、自分の家の事もあるだろう・・・どうする・・・。」
自分では強気強気の実行委員長とは思っていましたが、
さすがに台風直後のこの状況では「みんなで片付けろ!」なんていえません。
実際にそれどころではない人もいるんです。
少しの沈黙でしたがとても長く感じました・・・。
すると実行委員会の誰かが「自分達の手で全て片付けよう!」と言い出しました。
誰だったかはよく覚えていませんが、それにならうように
また誰かが「どの道、須美江の浜も誰かが清掃しなければいけないのだから、
どうせだったら、いつもお世話になっている俺達でやろう」
この特殊な状況でのみんなの言葉に実行委員長として感動しました。
ただ単に天候不良のために開催中止か否かを決めているのではないのです。
苦しかった胸のうちがパッと晴れたように感じられましたが、
しかし、直ぐに現実に戻されてしまいました・・・。
実行委員長としてこのままでは、イベントの内容に納得がいきません。
なぜかというと、台風通過前と今とでは状況がまったく違ってしまったのです。
もし、今イベントを開催するなら、いくらたくさん人が来てもらっても、
ただ楽しいだけの若者イベントではまったく意味の無いものになってしまうのです。
それほど台風14号の災害は深刻であり、先週とはまったく状況が変わっています。
これらを含め、あと10日ぐらいで準備ができなければイベント開催はできません。
延岡市や宮崎市の現場をパワナビに取材を通し、この目で確かめ
または直接被災された方とお話をしてきた自分としては、
被災された方・・・というより、彼らを支えていく側の人々の理解や
認識が必要だと、強く感じました。
被災された方達は、1にも2にもなく、ひたすら復旧作業をしなければ
自分の家で安心して暮らす事ができません。
とにかく状況やまわりがどうあれなりふりかまわず頑張っています。
しかし被災者を支援する立場の側にいる人々の受け止め方はどうでしょう?
親身になってお手伝いをしている人もいれば、
まったくといっていいほど人ごとで、もはや忘れさっている人もいます。
きれい事を言うつもりはありませんが、こんな小さな町だからこそ
「被災者でない人にも身近な問題として受け止めてもらう事ができないか?」
そんな事を表現できるアイデアをみんなで考えてみました。
そしてみんなのアイデアをまとめたのが以前に
パワナビ災害情報掲示板に書き込みした内容です。
以下が掲示板に書き込みをした内容です。
台風から約1週間。各地とも甚大な被害が出ています。
被災した方々には、心よりお見舞い申し上げます。
この一週間、被災現場の取材やボランティア活動を通して、
今回のサウンドビーチすみえの開催内容は、
このままじゃいかんと強く感じました。委員会内でも「中止にすべきじゃないか」
とかいろんな意見が飛び交いましたが、イベントを通して被災者の方や
我々支援していく側に、いろんなことを発信できたら…と思い、
イベントは開催することにしました。
災害復興に関する部分の内容は、被災してしまった方達へ頑張ろう!
というメッセージを送るのはもちろん、自分も含めた今回被災しなかった、
支援していく側の方達に対して、今回のこの出来事を風化させないためにも
いろんな展示物や行動で支援を呼びかけしていくことです。
まず、募金箱の設置し、イベント終了後に、延岡市災害対策本部に寄付します。
それからメッセージボードの設置。これは、このイベント翌日に
被災現場にて炊き出しを行なう予定になっていて、
そこにみんなからのメッセージを伝えよう的な主旨で行ないます。
あと、被災当日と現在の様子の写真の掲示。
災害復旧ボランティア参加のリスト作成。これは、イベント終了後
延岡市ボランティア協会に提出します。ボランティアが必要になった時
(今回はまだ必要ですが…)に活用してもらおうという主旨です。
ぜひご記入を…
そしてイベント翌日、被災現場での炊き出し。(場所などは現在調整中です)
これに絡んで皆さんへお願いなんですが、
もし今回のイベントに行こうと思っていた方がいたら、
少しで構いませんので「お米」を会場に持ってきてもらえませんか?
そのお米でおにぎりを作って、現場で食べてもらおうと思っています。
今回のテーマは、つながろうや宮崎 です。
ビーチクリーンも大きな意味で言えば、復旧作業です。
みんながつながれば、どんな難関も克服できると思います。
イベントは、今週の土曜日曜と2日間、延岡市の須美江海水浴場一帯にて行ないます。
メインステージはチケットが必要ですが、それ以外は無料で入場できます。
ぜひ、たくさんの方のご来場、そして災害復旧ボランティアへの参加をお願い致します。
昨日は、イベント会場の延岡市須美江海水浴場内で清掃活動をスタッフと一緒に行いました。
大量のワカメや魚が海岸に打ち上げられていて、終わるかどうか心配でしたが、
地元の方達も手伝ってくれてどうにか終了しました。ありがとうございました。
台風14号通過後の須美江海水浴場は本当に悲惨な状態でした。
例年の台風災害より遥かに悪い状態になってしまいましたが、
自分が見てきた被災地区の事を思うと複雑な気持ちになります。
彼らは自分の大切な自宅に大きな被害を受けているのです。
そして9月11日(日)雨が降る中、朝8時に延岡市内に集合し
須美江海水浴場へと向かいました。
実は昨年の台風後にもビーチの清掃に行ったんですが
打ち上げられた流木やわかめなどの数が、今年は半端なく凄かったです。
はっきりいって、作業前に、この浜におりたった時
「自分達でやると言ってはみたものの・・・」と思いました。
そして、須美江家族旅行村の職員さん達の協力も
いただきながら作業を開始しました。
浜の方には流木と大量の海草、そして魚の死骸が打ち上げられ、
携帯電話の画像に写っているのはほんの一部ですが、
海岸のほぼ全域がこの状態でした。
今年ほどの被害はそうあることではないのでしょうが
地元の方や須美江家族旅行村の職員の方達は毎回
台風の度にこのような浜の復旧をされているそうです。
私達が普段目にしている美しい自然というのが、
こういった形で守られているという事に気づかされた瞬間でもありました。
シーズン中に安心して自然の中で遊べるのも当たり前のことではないのです。
昼過ぎには、まだ細かい流木や海草類が残っていましたが、
午後5時過ぎ、みんなもかなりへとへとになってきた頃になると
やっと綺麗な砂浜が蘇ってきたかのように思えるまでになりました。
集めた海草等はゴミ袋に入るだけでもこれだけの量になりました。
このほかに流木などがたくさんありましたが、これらは須美江家族旅行村の
職員さんがトラックなどに積み込み処理してくれました。
最終的には10時間以上かけての清掃活動となりました。
そして下の画像は、2日後の13日(火)の須美江海水浴場の風景です。
晴天の効果もあり、今までの黒いく湿った砂から、
さらさらの白い砂が顔をだし、美しい須美江の表情が帰ってきました。
あれほどにごっていた水も綺麗な色にかわり、
これなら、県外の人にも自慢できるものになったような気がします。
とにかく、時間がかかってでもコツコツと作業すれば、いつかは
元の綺麗な風景に戻るという事を実感できました。
今回、本当にたくさんの方のご理解、ご協力で須美江の復旧、そして
イベント開催に至る事ができました。是非、イベント開催の経緯、趣旨等をご理解頂き、
皆様のご協力をお願い致します。jこの須美江の浜のように、
延岡の町並みが元通りになるように、心より祈ると同時に、
上記の文面でも書いてありますが、自分達にできる事を諦めずに実行するのみです。
このイベントの終了後も、私達サウンドビーチ須美江実行委員会は
自分達のできることを探し、被災地復興のお手伝いができればと考えています。
そしてゲストアーティストケアの方の話では、東京や横浜から、
アーティスト達が「延岡どうなってる?」と気にしていたそうです。
そうした、ゲストアーティストのみなさんにも、現地の声を届けたいと思います。
投稿者 pawanavi : 18:49 | コメント (4) | トラックバック
2005年09月12日
台風14号被害状況~延岡・桜ヶ丘
☆パワナビ松田
9月12日、6日の台風14号接近から約1週間がたった・・・。
もう過去のものになりつつあるのだろうか?
いやたった1週間である・・・被災地では、まだまだ問題が山済みだ。
少し前に、パワナビ☆オオタヒサヤの叔父・叔母夫婦が
被災した宮崎市の現場”小松”に取材に行ったが、
そこには現場に行かなければ絶対に知りえない光景が広がっていた・・・。
延岡市も小松同様に被災からの復旧に時間を費やす地区がある。
岡富、古川、細見、小川、そして私の叔父・叔母が住んでいる
延岡市の桜ヶ丘地区も大きな範囲で床上浸水の被害にあっている。
6日の深夜、台風の通過をまって、炊き出した白飯をかかえ
私の自宅である行縢から桜ヶ丘に向かった時の事を思い出してみる・・・。
あれから約1週間がたった。被災にあった人、被災を免れた人・・・。
それぞれに時間の経過は違うのだろう・・・。
「もう1週間もたってしまったんだな~」そんな風に思えればいい、
しかし被災地区の住民は、今だに不自由な生活が続いているのが現状だ。
「あと何日が過ぎれば元の生活に戻れるのだろう」・・・。
指折り数えるのも馬鹿らしくなるほどやるせない毎日をおくっている。
精神的にも肉体的にもかなりまいっているのは確かだ・・・。
下の画像は、私の叔父・叔母の自宅だが、1週間が過ぎてもこの状態、
2人はたった2畳のスペースで睡眠・休息をとっている。
右の画像にある右奥に見える2畳分だけが睡眠をとれるスペースである。
さらに昼間は復旧作業で通常より体力を使っているのだから
普通に考えても、これでは休まるどころかストレスがたまる一方だ・・・。
2畳分の生活スペース以外は左の画像のように床板を全てはずし、
綺麗に洗浄してから天日で乾燥させている。
これは何処の家庭でも同じだ。町内には乾燥中の床板がズラッと並ぶ。
「とにかく洗濯ものが多いのよ・・・」
開口一番、叔母はつぶやいた。何せ洗濯物を干すスペースがなく
車で20分かけて行縢にある私の自宅まで洗濯物をもってやってくるのである。
コレだけの洗濯もの・・・私は直ぐに宮崎市で直面している水問題から”節水”の
2文字を思い浮かべてしまった。不思議なもので、コレだけ節水、節水と
言っていれば、頭に”節水”がこびりつき片時も離れない・・・・・。
しつこくても”節水”を呼びかける事は必要だと、ふと感じた。
たまたまだが水に関して言えば延岡市は恵まれてはいるが、
ここでも通常より多くの水が使用されているのは確かである。
小松地区でも、町に溢れた泥を洗い流す作業をしている光景を見かけたが
復興には多くの水、それも飲料水ではない”水”が大量に必要である事をしらされた・・・。
宮崎市の方達が、生活用水がなくて困っている意味がよくわかる。
この生活用水がなければ、それがたとえ人間であれ物であれ、
やっとの思いで、泥の中から引きずり出せても、次のステップへ進めないのである。
復興にはどうしても生活用水、とにかく大量の水が必要なのだ。
だから今は贅沢な水の使い方をしてはいけない。
たとえ水が止め処もなく出てくる地区にいても、むやみに使う事はできない。
被災からの復興を1日でも早くするために”節水”の努力は必要なのだ。
水が出ているか、出ていないかで復興の速度が大幅に変わってくる。
だから今はとにかく”節水”と叫ぶしかない・・・。
「節水っていってもうちらは関係ない地域だし・・・」
今だけはこのように思ってもらいたくはない・・・。
パワナビのトップページにも”節水にご協力お願いします”と大きく出しているが、
効果が有る無いに関わらずとにかく叫びつづける。
また、宮崎市近隣地域からは水の供給が始まっているようだが、
この叔母の「とにかく洗濯ものが多いのよ・・・」という言葉から、
県北などの遠い地域からはせめて「出前洗濯サービス」ぐらいできないだろうか?
こういった地区では洗濯機事態が使い物にならなかったり、
付近のホコリっぽい環境から乾燥ができないなどがあるだろう。
また、近くのコインランドリーまで、重たい洗濯物を持って行くことができない
老人や障害者もいるだろう・・・。今しばらく水問題が続くなら、
この大量の洗濯物の問題は当たり前のように出てくるはずだ。
・・・コレについてはちょっと考えて見たいと思うが。
逆に、当たり前のように既に実施している団体があるのだろうか?
できれば教えてもらいたいし、現実的にやっていく上での
具体的な方法などあれば教えていただきたい。
さて話を戻して、叔父・叔母との会話でも災害ボランティアの話がでた。
こちらも先週末に小松地区の災害ボランティアの取材をパワナビ☆Kが行い、
レポート以外にも様々な話を聞き「この時期の被災者に喜ばれるもの」
という事で、情報を元に本日、叔父と叔母には、
業務用の厚手の90リットルゴミ袋、乾燥剤セット、タオルセットなどを持っていったが、
これらが非常に喜ばれた。どうも薄手のゴミ袋は直ぐに破けて使い物にならず、
何だかんだとタオルは重宝するらしい・・・さらに、洋服ダンスが水没し、
家屋自体にまだまだ湿気があるため、せっかく乾かした衣類がまた駄目になる。
そこで乾燥剤があると厚手のビニール袋に丸めて衣類を詰め込み、
ガムテープなどでしっかりと防水対策をし、中に乾燥剤を入れておけば
しばらくの間は衣類や布団類の保管ができる。
下の画像は、水没したタンスの底を全てはずし、乾燥させているところだ。
思えば叔父・叔母とゆっくり話ができたのは、台風通過後初めてだった。
台風接近当日はお互いに余裕すらなく、台風通過後の深夜に
「ご飯がないのでは」と叔母に連絡を取ったところ、案の定だった。
行縢から車を走らせ停電で街中真っ暗な桜ヶ丘へ向かったが、
出てきたのは疲れはてた顔をした従兄弟だった・・・。
叔父・叔母は肉体的・精神的な疲れと停電、空腹でぐったりしていたようだ・・・。
この日は従兄弟に白飯を渡すのが精一杯だった。
台風接近当日は私も家で家族と過ごしたり、時折、近隣の状況を
見て回ったりしたが、途中、叔父・叔母の自宅の直ぐそばに住む
叔母の兄(私からすればまた別の叔父だが)から連絡があったのを覚えている。
電話の向こうから聞こえる大声!
「あいつらは避難できたじゃろうか・・・今うちは2階に避難しよる・・・
ああ・・・商業の体育館なんて行けるもんかい・・・もう年じゃ。
いきなり膝の上まで水がきよる・・・歩いていけるわけがないじゃろ。
いくらなんでも2階までは上がるもんか!わしらは大丈夫。
でもあいつらは平屋じゃし、心配じゃね・・・。」
結局こちらの叔父達の自宅も床上浸水たわけだが、上の会話からもわかるように
高齢者にとっては、若者が何とかたどりつける距離でも無理だ。
結局、叔父・叔母は水が上がるのが早かったらしく、
避難するので精一杯・・・自宅をどうこうしている暇などなかったようだ、
とりあえず体一つで飛び出し、近所の2階立ての家に避難したらしい。
最終的には、70~80cmぐらいまで水が上がったという。
ある程度状況が落ちついてから、少し高台にある従兄弟(息子)
の家に行ったが、この地区全体が長い停電に陥っていた。
この桜ヶ丘は全体的に土地が低く、近くには祝子川をはじめ、
祝子ヶ内川、蛇谷川などが流れる事から、浸水の経験は何度となくある。
しかし、今回のような大規模な浸水には少々戸惑っている様子だった。
それにしても、その後の長い停電にはさすがにまいったと言っていた。
いくらなんでも1日半という長い停電はなかったという。
その間、作業状況の情報などもまったくといっていいほど連絡が入らず、
そのためTVを見ることができない、ラジオをつけても
「只今復旧作業中です」といったメッセージが時折流れるだけだ。
住民達はみんな、かなりヤキモキしていただろう。
「電気そのものが流れていなくても、どういう原因で電気がこないのか等を
車で巡回し説明するとか、地区の代表者に連絡する等があってもいいのでは?」
こんな話を方々で聞いた。災害中はどんな小さな情報でもほしいものだ。
結局、24時間以上たっても説明がなかったらしいが、理由はわからない。
あれから?1週間が立つが、桜ヶ丘はまだまだ1週間前と変わらない。
ばかりか被災者の疲労はピークを過ぎている・・・ストレスも相当なものだ。
こちらから見ていてもそれとわかるのだから、本人達はかなりのものだろう。
今日もずぶぬれの畳山と格闘している姿を見かけた・・・こうした畳を運ぶのも
かなりの重労働である。延岡でのボランティア活動募集も昨日11日の日曜日で
一旦打ち切りになったが、ある方面からの呼びかけにより、
再募集が開始された。力仕事もまだまだたくさん有るのが現状だ。
これからもまだ一時は、災害ゴミとの格闘が続く・・・。
延岡市でも確実に高齢化が進んでいるのは事実だ。
今回、延岡市だけでなく、他地域でも避難できないでいたお年寄りが多かった。
耳が遠くて避難勧告がわからない、少しの水でも歩行が困難になる・・・。
普通の事が普通でなくなる災害時は、一般の若者の動きも何パーセントかダウンする。
明日はわが身、今回の被災を経験に、今後どのような対策がうてるのか?
その前に、今、目の前にある現状を、たとえ被災していなかったとしても
もっとよく見る事が大切かもしれない。よく見ていると、
次第に自分にもできる事が見えてくる・・・。
さて、最後に本日、ブログの書き込み欄に、中越地震のボランティアに参加した方より
「最もお伝えしたい事」として書き込みがあったのでご紹介する。
この中にもきっと、今から直ぐにでもできる事があるはずである。
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~名古屋の日向もんさんより
謹啓
初めて、メールさせて頂きます。私は宮崎出身の男性、40代です。
遠方(名古屋市)に住んでいますと、故郷 宮崎の情報が初期的・断片的で歯痒い思いです。
今般の台風14号災害に見舞われた皆々様に、心よりお悔やみ申し上げます。
さて 私は、幸い(?)にも昨年10月23日の「中越地震」の
復興ボランティアに参加させて頂きました。震源地(震度7強)の新潟県川口町
ボランティアセンター(全国から自発的に、勝手に?集まった個人集団の中心基地)
の立ち上げから、そのセンターを社会福祉協議会へ、バトンタッチするまでの
「お手伝い」の為に、延べ1か月間 現地に滞在しました。
(川口「町」といっても人口 僅か5,600余名の田舎村。有名になった「山古志村」の隣です。)
沢山の貴重な経験をさせて頂きましたが、その1か月間を語るには、数時間を要しますので割愛します。そこで…
「最もお伝えしたい事」
1:実際の被災地の惨状は、新聞・テレビ報道の5倍!、10倍!!であること。
又、新潟の場合余震が続き、自分自身の身の危険を五官で感じることが度々あった。
2:民間ボランティアは、純粋な「何か、お手伝いをさせて下さい。」の気持ちで
全国から勝手に?来ているので、宮崎の被災者の皆様にも、
『どうぞ、ボランティアに甘えて下さい。』と申し上げたい。
※注…新潟には、悲しいかなボラを装った火事場泥棒が一部、徘徊したようです。
3:今般の台風災害についても 自治体は、近隣地区からのボランティアのみを
求め勝ちであるが、「お手伝いをしたい人」は、手弁当(テントや自家用車を含む)
で行くのであり、遠方からのボラお断り的な報道・通知は、行うべきでない。
余計なお役人の気配りである。本当に困っているのは、被災者の皆様であり、
あなた方お役人さんでは無い!
(新潟での経験上、『非常時に役人は、何の役にも立たない!』…を実感しました。)
4:罹災現場には、多くの無償労働者へのニーズ(声なき声)がある。
例えば…。
>医療関係者
>老人、子供の精神的ケアの経験者
>マッサージ、鍼灸師
>理容、美容師
>建築、電気、水道技術者
又、ご参考までに
日本道路公団は、災害ボラに対し「無料高速通行証明書」を発行してくれる。
現に、私は名古屋IC~川口IC間の5往復、約10万円を無料で走行しました。
ところで、中越地震のボラ活動には、偶々 行くことが出来ましたが、
諸々の事情で、今般の故郷宮崎の災害復興ボラには、誠に申し訳ないのですが、
赴くことが出来ません。一日も早いご復興を、心よりお祈り申し上げます。
又、貴グループが益々、『美しき日向の復興』に ご貢献されますように…。
敬具
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投稿者 pawanavi : 20:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月11日
台風14号被害状況~宮崎市小松ボランティアレポ
パワナビ☆Kの状況レポートの前にP☆ヒデより。
今日(10日)はP☆ヒデとP☆Kの両名で宮崎市内へ向かいました・・・。
「小松地区の現状が予想以上に悪い」という、
毎日現場で復旧活動をしているパワナビ☆オオタヒサヤからの話しもあり
この日は小松レポートと市内打ち合わせの二手に分かれ、
P☆ヒデは打ち合わせへ、小松地区へはP☆Kが行くことになりました。
極力無駄な駐車はしたくないので、P☆Kを小松でおろし、
また別の取材先に向かう途中、先日見た(個人的には2回目)
道路沿いに出された家財道具などが再び目に飛び込んできました。
よく見ると先日の物とは違うもの・・・。
災害ゴミ運搬用トラックなども多く見られ、搬出が続いているにもかかわらず
まったくといっていいほど追いついていない状態なのです。
今日も現場で作業中のパワナビ☆オオタヒサヤの親戚宅がある路地などでは
積み上げられたゴミなどで軽自動車がギリギリ通る程の道幅でした。
宮崎市災害ボランティア本部でも”人手が不足”との事でした。
そして、小松地区を離れ、高千穂通を宮崎駅前に進み、信号待ちをしていると
ガソリンスタンドにある張り紙が目に入りました。
「節水の為、しばらくの間、洗車をお断りしています」
もし、目に入ってきたのがフル稼働している洗車機だったら・・・。
本当にホッとした瞬間でした。
それでは、ボランティアの方々からのお知らせもありますので
ここからはP☆Kにバトンタッチいたします。
パワナビ☆Kです。
台風14号が、宮崎県内に甚大な被害をもたらしてから今日で4日目。
各市町村では、復興に向けた動きが着々と進んでいる一方で、
断水の実施や交通網の整備等克服しなければならない問題が
まだまだ山のようにあると感じます。
自分も、延岡市役所や社会福祉協議会等に問い合わせ、
「今自分達に、復興に向けた動きとして何ができるのか?」
ということを考えながら行動しています。
今日は宮崎市小松地区の取材を自分がする事となり、
何に着目したレポートにするかを宮崎までの道中ずっと考えました。
今回、たまたま自宅が災害にあわなかった自分は、
被災者の方々を支援していく立場にあると思い、
今日のレポートは宮崎市の災害ボランティアの方々の生の声を聞かせて頂く事にしました。
松田編集長やP☆ヒデ、オオタヒサヤさん等から
小松地区の被災状況は聞いてはいたのですが、
実際にこの目で見たのは始めてでした。道路脇に固められた、
泥水により使い物にならなくなった家具や電化製品の数々、
泥によってうっすらと白く見える道路…。
自分の想像をはるかに越えた風景が広がっていました。
現場に到着後、まずこの地区の災害対策本部を訪ねました。
下の写真で拡声器を使い学生達に指示を出しているのは、
応対して下さったボランティアコーディネーターの川越さんです。
ボランティアコーディネーターとは、災害復興の為に集ったボランティアのみなさんに、
仕事を割り振ったり、復興状況を確認しながら指示をだしていく責任者の方です。
■ボランティアコーディネーターの川越さんのお話
P☆K:「まずボランティアのみなさんの大まか動きを教えてください?」
川越さん:「今日は土曜日という事もあって、中高生や大学生、個人の方や団体さんなど、
合せて約1300名のボランティアの方々が駆け付けてくれました。
また、ゴミを搬出するためのトラックも30台程個人の方や企業のほうから貸して頂きました。
今日の動きとしては、学生さん達は主に各家庭をローラー作戦で回って頂き、
重たいものを外に搬出していただいています。
一般の方はそのゴミをトラックに積んで集積地まで運んで頂く事をお願いしています。
今の目標は、各家庭からまだ出てくるであろうこのゴミを、
一刻も早く処理して復旧作業がよりスムーズにできる状況を作る事です。」
P☆K:「いろんな場所から救援物資等が届いてると思うのですが、
救援物資を送る上で最も足りないものはなんですか?」
川越さん:「そうですね、本当にこの地にいろんな救援物資を御提供して頂いている皆さんには
心からお礼を申し上げたいです。神戸や名古屋、新潟からも届いています。
ただ、今日の段階でいえば、絶対的に欲しいのが"ビニール袋"と"ブルーシート"です。
先程も申しました通り、現在の作業は主に各家庭内のゴミ出しです。
ただ今回の場合、普段の生活では考えられない程のゴミが出ています。
普段用意している数のゴミ袋では足りないのが現状なんです…。
そしてゴミ出し後は、部屋の中を消毒する作業が必要になってくるのですがその際、
一度部屋の中をからっぽにするんです。その時に外に必要なものを一度出すのですが、
その下に敷く物がいるんです。それをブルーシートで行なうんです…。
是非、その2点を提供していただければ幸いです。」
P☆K:「今回の活動は、一旦19日(月)で終わるとお聞きしたのですが、
支援内容としてはどの辺りまで考えてらっしゃるのですか?」
川越さん:「19日というのはあくまで目安で、もちろんまだかかる場合には日程を伸ばします。
目標は、ゴミ出しの完了。住居内の消毒。そして床ふき等清掃まで行えたら…と考えています。
特に一人暮らしのお年寄りのお宅はそこまで行きたいです。
ただし、あくまで我々の動きはボランティアなんです。支援なんです。
最後まで、ずっと一緒には居てあげられないんです。また、逆にそこまですべきでもない。
被災された方には本当に心から頑張って欲しい。
だからこそ前を向いて歩いていくための"自助努力"が出来る所まで、
我々が共に歩いていくようにしたいんです。」
P☆K:「最後に、これからボランティアに参加される方に何かお伝えしたい事はありますか?」
川越さん:「はい。これから復興ボランティアにご参加される皆さん、
本当に御協力ありがとうございます。皆さんの活動されている姿が、
今回被災された方々の力になり、また励みにもなると思います。
ただ皆さん、決して無理はなさらないで下さい。頑張って頂くのは大変有り難いのですが、
それによってご自分のお身体を壊されては元も子もありません。
怪我等に十分お気を付けた上で、活動して頂くようお願い致します。」
川越さんにはお忙しい中、インタビューをお受け頂き本当にありがとうございました。
その後、今日参加していて、休憩中だった高校生2組と話をする機会がありました。
宮崎農業高校と大宮高校の生徒さん達でした。どちらも今日始めて参加されたとのことでした。
学生達口々に同じような内容をコメントしていたのが印象的でした。
■ボランティアに参加した学生のコメント
「今日ここに来るまでは、テレビの中の出来事だと思ってました。
でも、私達の住んでるとこからあまり離れていない、この場所に来た時、
すべてが現実だという事が分かりました。
明日学校にいって、今日のことをみんなに伝えます。」
「今日ボランティアに参加して、以前のような風景になるには、まだまだ
時間も人も足りないと思いました。時間のゆるす限り、
またここに来てボランティアに参加したいと思っています。
なんか、みんながつながっているような気がしました。
学校のみんなにはそれを伝えたいと思います。」
今日、ここに来るまでは今回の災害は他人事と思っていた学生達が、
被災された方達の家を訪問する中で自分の事として認識し、
皆さんの力になりたいんだという学生達の思いが、物凄く伝わってきました。
なにより、現場を自分の目で確かめることでやっと心から
「誰かにこの事をつたえなければ」となるのだとおもいます。
取材していく中で、いろんな光景を目にしました。
ゴミを荷台に積んで走っているトラックと、作業を行なっている人が「お疲れ様です!」
と声を掛け合っている姿。学生達と一般の方が年齢や立場に関係なく
力を合わせて作業をしている姿・・・。この光景を見ていて感じたのは
今回の災害を他人事と考えるんではなくて、自分の事として考られる・・・。
子供達がたくさんいるという事です。むしろ大人達より子供達の方が多いかもしれません。
子供達が自発的に「自分も何かしたい」と思っている事にとても感動させられると同時に、
自分達大人のあり方についても考えさせられました・・・。
大人達が率先し、復興に向けて本当に自分のできる事をやっているのか・・・?
まだまだ県内には被災された方々が沢山いらっしゃいます。
でも決して、それはテレビの中の出来事ではありません。
今回、被災された方、被災されなかった方、共に協力し歩いていく事で、
きっと以前のようないつもの町の風景が戻ると思います。
お時間のある方や、何かしたいけど、どうしていいのか分からない方は
ぜひ被災現場に足を一歩進めてみて下さい…。
投稿者 pawanavi : 03:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月09日
台風14号~のぞみ宅より
パワナビ☆のぞみ
只今パワナビ事務所から直接、私自身でレポートを書いています。
私の実家は、延岡市でも被害の大きかった地区のひとつ
南方地区でお寺を営んでおります・・・。
昨年の16号でもお寺の本堂までは水がきませんでした。
本堂自体かなり高く造っているのです。
しかし、今年は信じられないぐらい水嵩が増して、
本堂どころか、2階の床までびしょびしょ・・・。
たまらず、自らレポートを書いてしまいました。
数日前、このブログのコメントにこんな書き込みをしました。
今度の16号(間違い14号ですね)はすごかった!
ホンっとに怖かったよぉ(ノД`。)
パワナビ☆南方軍団の一人である私の実家は、床上浸水しました・・・。
1階が車庫になっていて、自宅が2階にもかかわらず、
その2階まで水が上がってきたのです щ(ll゚д゚llщ) オーマイガーッ!!
本当にこわかった!そして、これからがまた大変(>_<)!
みなさん、大丈夫でしたか?
それからというもの、私は毎日後片付けに追われる毎日・・・。
おかげでようやく人が住めるところまで復旧してきました。
実は台風の当日、私は自宅にいなかったのです・・・。
遠く高崎町で台風をやりすごし、通過を共に実家に戻りました。
そんな台風の最中、私の妹ユッコは、お寺に生まれた娘ならではの
非常な運命と共に、避難も出来ず、画像を撮り続けたのです。
~ここからは妹談(撮影:妹ユッコ)
想像以上に早い増水で、避難勧告が出され、続いてすぐに「避難指示」に変わりました。
しかし、うちは「お寺」なんです!避難よりも、檀家さんやみなさまからお預かりしている
大切なものを守らなければならないのです・・・。
遠くに見えていた川が物凄い勢いで自宅の庭までせまってきました・・・。
そして、あっという間に庭全体を飲み込んだのです。
下の画像(右側)は、本堂の正面を横から撮影したものです。
調度水がどんどん浸入してきたところです。この後、まだまだ増水しました。
さらに下には同じアングルから撮影した、水が引いた後の画像を用意しましたので
上と下でよく見比べてみてください。
最終的には、全てのお骨などを高いところに避難させ
私達は2階に避難したのですが、2階の床まで水が上がってきました・・・。
お堂の階段は流され、家具や位牌壇も倒れ、ヒドイとしかいいようがありません。
もうどうする事もできずに、ただただ写真をとるしかできませんでした・・・。
本当に怖かったです。われながら、よく撮ったな~とおもいますが、
万が一の事を考えて、とにかく、何かに残しておこうと思ったのです。
下の画像は恐怖しつつやっとの思いで携帯電話で撮ったものです。
さすがに2階のベランダまで水が来たときはダメかとおもいました・・・。

そして雨がおさまり、水が引き始める・・・と思ったら、
水の逃げ場がないらしく、ずっとその場に留まっていました。
そのために畳や床はもちろん、その下の内部までも水が入り込んでしまいました。
ようやく水が引いた後は、台風の残骸が残るだけ。
何もやる気が起こらず、しばらくの間は、ぐちゃぐちゃの我が家をみながら
ただたただ、呆然としているだけでした。
~ここまでが妹:ユッコ談&撮影
やっと重い腰をあげ、お掃除に取り掛かりました。
電気もつかず、水も出ない。
どうしていいかわからない。
しかし、すぐに近所の方や、ボランティアの方が手伝いに来ていただき、
励まされながら、作業をすすめ、今ようやく家の形を取り戻しつつあります。
先の見通しはまだ立ちませんが、家族全員、近所の方々などと協力し合いながら
がんばって行こうと思います。
被災されたみなさん、つらいと思いますが、がんばりましょう!
パワナビ☆のぞみ&妹でした
投稿者 pawanavi : 20:26 | コメント (0) | トラックバック
台風14号被害状況~宮崎市小松の現状
☆パワナビ松田
「この地域の住民は一瞬にして全てを失ったんです・・・。
泣こうが笑おうが、またゼロから出発するしかないんです。
今頑張れるのは地元のみなさんが、頑張ろう、続けよう、
と声をかけあっているからなんです。」
・・・・・小松地区、洋菓子屋オーナー
「私はもう年老いています・・・しかし、またいつか同じような事が
起る可能性が考えられます。この経験を踏まえて今後、行政を含め、
本当の災害対策ができるのなら、今頑張っているかいもあるのですが・・・。」
・・・・・小松地区、80代男性
9月8日(木)そんな現場の声が本当に胸にしみた・・・。
昨日は昼から夜まで、宮崎市内では最も被害が大きかった小松町に行って、
現場で復旧活動をしている方々に直接現場の生の声を聞いてみた。
この小松という地区は、宮崎市内を流れる一級河川”大淀川”の西側に位置し、
その大淀川に直角に交わるように流れている支流”大谷川”が南端となる。
大淀川の西と東を結ぶ大きな橋が”平和台大橋”で東側は霧島町、祇園町となる。
小松の最南の大谷川に架かる小さな橋を”下小松橋”といい、この橋を越えると
この地区の非難場所”小松台小学校”がある小松台東・西・北、桜ヶ丘
といった地区になる。下の画像は大淀川に架かる”平和台大橋”からの画像。
坂の一番下付近”小松交差点”は泥が乾いて真っ白になっている。
左は”平和台大橋”から見た大淀川。画面右側が小松地区となる。
上記で上げた2つの川を挟みこの一帯で”小松”という地区だけが
完全に壊滅状態に陥ってしまった・・・。
まるで、毎日テレビで放送されているアメリカをおそった大型ハリケーン
”カトリーナ”の被災地の映像の再現VTRを生でみせられているような
なんとも心苦しい錯覚に陥ってしまう・・・。
しかし、それとはまったく違う事に直ぐに気づく・・・
”平和台大橋””下小松橋”の向こう側はまるで違う風景が広がっているのだ。
小松とその他の周辺地区との差はまさに天国と地獄だった。
小松には”潤和会記念病院”もあり、只今機能が麻痺している・・・・・。
復旧作業に加え入院患者の食料確保や、重症患者の他病院への搬送など、
半端ないいそがしさだ。ボランティアの方の姿も多い。
このような惨事となっている原因を地元の人々はそれぞれに上げる。
肝心な排水ポンプの水没停止や行政の不親切な避難勧告、
堤防の設計と防災対策の甘さ、など様々な要因があるようだ。
原因に関して調べ上げたわけではないので、
実際のところは私にはわからなかった。
しかし、この目の前にあるのは全て現実である・・・。
こういったポンプの問題など、莫大な税金を使って造ったはずの設備が
まったく使い物にならなかったとは、はっきり言って言葉にならない・・・。
同じような事が延岡市の218号線古川町付近でもあり、
この地区も壊滅的な打撃をうけている。住民は「近年造られたあの設備はどうした」
とやり場のない怒りを訴えかけている。
このレポートに行く8日の朝、パワナビの「日々輝コーナー」を主に担当している、
パワナビスタッフ、オオタヒサヤから電話と同時に災害情報掲示板に書き込みがあった。
内容はこうである↓
~ここからオオタヒサヤの書き込み
宮崎市 小松(スパーレ21健康ランドがある場所/平和台大橋付近)も
台風の影響で床上浸水した家屋が多数あります。
その地区の方々は現在、小松台小学校の体育館へ非難されているそうです。
私の親戚も(叔父と叔母の二人暮し。もう若くはありません。)
台風の影響で床上浸水して、家の中がすべてメチャクチャになってしまいました。
昨日7日夕方の時点で皆さん必死に家の中の物を外に出す作業をされており、
これから迅速に室内の片付け、清掃、そして屋外へ出した荷物の洗浄、
消毒なんかをやらなくてはなりません。早くその作業を済ませないと、
これからまた何時雨が降るか、そして地区全体の衛生面が心配です。
被災された方々には老人だけで暮らされている世帯もあります。
宮崎県の沢山の被害にあわれた方々は少しでも早くその作業を
終わらせてしまいたいと考えているはずですので、
被災地区近隣に住んでいらっしゃる方々で、手の空いた方、
時間のとれる方々がいらっしぃましたら、現場に行き、被災された住人の方々に
「何かお手伝いできる事はありませんか?」と声をかけてあげてください。
どうぞよろしくお願いいたします。
※ちなみに小松は様々な方々が車でやってきていていますので、
実際これ以上車の数が増えると、消毒車や広報車、清掃車などの
重要な車の移動を困難にする恐れがあります。なるべく、
徒歩、自転車、バイクなどで来られてください。
※小松の人達だけを助けよう!という気持ちでこの書き込みをしたわけでは無い事を
御了承下さい。沢山の被災された地区の近所に住んでいらっしゃる方々、
近所の方々の力が今、必要だと思って、この書き込みをさせてもらいました。
どうか宜しくお願いいたします。
~ここまでがオオタヒサヤの書き込み
というもの・・・もともと彼はカメラマンであることから、
前日7日の朝には「親戚を手伝いながら現状をレポートしてきます」といって連絡をくれた。
この時点で彼はまだ現場の情報を入手しつつも現場に入っていない・・・。
しかし、7日まる1日小松の現場で泥だらけになり手伝いをし、
8日の朝この書き込みをしたあと、現場に向かう前にまた連絡がはいり、
「すいません松田さん、レポートとかいいましたが、
あの現場でオレは写真なんかとれません・・・。
自分の親戚も頑張っていますが、誰もがみんな必至です・・・。
そんな中でも子供達が遊んでいる姿とかを見ると、
本当にホッとできるんです。
こんな状態でも心の底から笑っている子供達の笑顔、
そんな瞬間に出会うと綺麗だな・・・撮りたいと思ったりしてしまいます。
はっきりいって理不尽です。だからカメラは持っていきません。」
「わかった、わかった、とりあえずオレもそっちにいくから
とにかくはやく現場に行って!どうするかは行ってから決めればいいから」
「でも、今回は僕や親戚の画像はNGにしてください。そういうのじゃないから・・・。」
「それもわかった・・・とにかく今日はcobaさんの取材、ラジオもあるから
どの道宮崎にはいくんだ、甲斐・木原・照屋と手分けしてそれぞれの現場に行くから
おれは小松に行くよ!それじゃ・・・」
とそんなやりとりをし、宮崎市の小松に向かった・・・。
現場に着いてまず驚いたのが、その凄まじいゴミの山と、それらが発する臭いだ。
さらに、急激に気温が上昇し、泥がホコリをなって舞い上がり、
この地区一帯が真っ白く煙っている。所々まだ泥がぐちゃぐちゃのまま残っており
下記の画像のように直ぐに足も埋まってしまう・・・そしてこの泥自体が純粋な泥ではなく
油や科学製品といった様々な物質が混ざっているのだろう?異常にベタついており
異様なギラツキをおびている・・・こんな泥がホコリとなって舞っているのだから
体に良い訳がない・・・。オオタヒサヤも2次災害どころか、これらが発するものからの
3次災害を非常に心配しており「一刻もはやく消毒できる体勢にもっていかなければ
、気力、体力共に低下している市民に肉体は直ぐに犯されてしまうだろう」と言っている。
まずは、現地で泥だらけで作業していたオオタヒサヤ談をおとどけする。
「僕は今日で2日目の作業となりますが、まずはお願いから
とにかく近隣からの人は車ではなく自転車とかで来てください・・・
作業車両の出入りの邪魔になる事が頻繁に起こっています。
今回の浸水の状況を叔父に聞いたのですが、叔父は避難勧告の段階で
小松台小学校に避難したそうです。それも、特に深い意味があったわけではなく、
毎年川が氾濫する事はないから、とりあえず大げさなものは何も持たず
軽い気持ちで避難したそうです。するとアッという間に浸水し、なにも出来なかったそうです。
あれほどの人が取り残されてるとは実際におもわなかったそうです。
とにかく民間ボランティアの方の対応がはやく、救出でも貢献していたそうです。
避難所では食事は初日がカンパンとオニギリ、よく日はお弁当が配られたそうです。
水がひいてからは、親戚と一緒になって、使えるもの、捨てるものを分けて
綺麗に泥を洗いながします・・・。全て泥の中に埋まっています。こんなに
悲惨な光景に直面した事は今までに一度もありません・・・。
叔父達が長年かけて集めた思い出が全て泥と化しているのです・・・。
僕もはじめはレポートする気で松田さんに連絡をいれたのですが、
今、オレが出来る事・・・ってまじめに考えたら、体を動かす事だけなので
カメラの事なんかはいっさいわすれて作業する事にしました。
レポートぶっちぎってすいません。」
そして、オオタヒサヤと別れて、変わりに私がレポートする事にした。
まず地元の方に話しを聞いたところ「とにかく、この先の”下小松橋”の向こう側を見てきなよ」
といわれ、行ってみた。驚くのが”大淀川”にほぼ垂直にぶつかる支流”大谷川”に架かる
小さな橋”下小松橋”から南側の地区の被害の少なさである。小松地区と比べると
橋一つで正に天国と地獄なのである・・・。この橋(坂の頂上付近)から小松交差点方面を
見ると、真っ白なホコリが舞い上がり、信じられないような光景が広がっている。
”下小松橋”は”大淀川”の西側を平行して走る国道17号線上にある。
この橋は小松から見ると坂の上にあたる。国道17号線”下小松橋”を越えた部分から南側を
大塚東通りといいそのまま数百メートル進むと国道10号線にぶつかる。
北側は小松橋通りといい、そのまま数百メートル北上すると突き当たりに
コンビニエンスストア、セブンイレブンがありT字路”小松交差点”となる。
ここを東側に右折すると一級河川”大淀川”にかかる”平和台大橋”となり、
対岸は霧島町や祇園町となる。こちらの地区も小松地区とは天と地ほど差がある。
どちらの橋からみても、この小松という地区は坂の下なのである。
逆に西側に左折すると遥かに田園風景が広がる。
水田の多さから水が出やすいといえる。こうした水に囲まれた地形に位置するのが
小松であり、一番水がたまりやすそうなところに住宅地が密集している。
しかし、これほど対岸と被害状況に差があれば、地元住民がいう様々な問題が
地形だけの問題ではないというのもうなずける・・・それほど、この地区だけが
壊滅的な被害を受けているのだ。
下の画像は、1階がガレージになっているお宅の玄関、高さ的には1階半分ぐらいあるが
水が上がってきたであろう部分が汚れている・・・かなりの高さまでのぼった事になる。
下の老人(足だけだが)は80代。逃げる時に足に怪我を負ったと言っていた。
なんでも民間のボランティアに助けられたそうだ。
この老人は、避難勧告などはわからなかったという・・・。
「だって考えてもみなよ・・・耳もよくない老人が、あの雨と風の中
雨戸を閉め切って家の中にいるんだよ、川なんか見にいけるわけも
ないじゃないか・・・水が出てからはあっいう間だよ・・・5分で10cm
上がってくるのに、老人の足では避難もできないよ。しまいには
首まで水が上がってきて、1階の天井まで水がきたよ。
かろうじて私のアトリエのみがガレージの上にあったから
そこに避難していたところ、民間ボランティアの方がボートで駆けつけて
くれたんだよ。この傷は脱出するときに出来たもの。
私はもう年老いてるが・・・しかし、またいつか同じような事が
起る可能性が考えられる。この経験を踏まえて今後、行政を含め、
本当の災害対策ができるのなら、今頑張っているかいもあるが・・・。
体の不自由な人間もたくさんいる事を考えてほしい・・・。」
そう言いつつ老人は足の傷を見せてくれた。
最後のコメントは、被災しているにも関わらず冷静である。
しかし、このような現場で言われるこの一言はかなり重い・・・。
いや重たすぎる・・・決して忘れてはならず。県民は楽しい時でも
決して忘れてはならないという事を強く感じた。それにしても
屋根まで水が迫っている中、下の画像の小さなアトリエの窓から逃げるとは
さぞかし大変だったことだろう・・・両足の傷が脱出の凄まじさを物語っている。
老人の自宅前にはたくさんの家具や小物が詰まれていた。
ほんの昨日までは、この家に何年もの間、飾られていたり、使われていたりしたものだ。
こちらは洋菓子屋さんのご主人、当日は店舗に近づけず、
水がひいてから、変わり果てた自分の店を見たという・・・。
「この地域の住民は一瞬にして全てを失ったんです・・・。
泣こうが笑おうが、またゼロから出発するしかないんです。
自分も必至の思いでオープンした店舗がこのような姿になり
正直いってやる気を失いました、でも地元のみなさんが、
絶対にやめないでね!頑張ってね!と声をかけてくれるから
なんとか踏ん張る事ができています。自分はこの道でしか食っていけない!
だから、今はやるしかないと思っています。今思えば、以前、
神戸の震災を受けたお菓子屋さんの講習を受けた時の言葉が
よみがえってきます。彼もその当時は、ただ、やるしかなかったと
言っていました。そしてなにより、迅速に対応した民間のボランティア
の動きは凄かったですね!ジェットスキークラブ?の方達が
凄い勢いでジェットスキーを飛ばし、救出していくんです。
あの姿は素晴らしかったです。逆にどうにかしてほしいのが、
こんな時にやってくる選挙カー!そんな事してる暇があったら、
こっちに来て、一緒に泥だらけになって手伝ってくれ!といいたい
そうすれば1票どころか何票でもはいるだろう・・・。
この現状を見ながら手を振る立候補者は人の心がわからない人間だ。
とにかくそんな人間の事はほっといて
またこれから少しずつ取り戻していきますよ・・・。」
と復旧作業に戻っていった・・・。
今回、この選挙カー問題をかなり多くの、いやほとんどの被災者から苦情を聞かせれる
、私自身も何度となく、車から「被災者のみなさん復旧頑張ってください」的な言葉
を車中から投げかける選挙カーを、延岡でも宮崎でも目撃した。
これから市や県を代表し、街づくりをしていこう!という人間のする行為ではないとは
私も感じた・・・。「今回は大変な選挙となっております」そういう人もいる。
立候補者か後援者かわからないが「こんな時でも自分かよ!」
これは私の素直な感想だ・・・このような人達が担う宮崎に誰が希望をもてようか・・・。
もちろん今までに、選挙運営にかけた莫大な経費もあるだろう・・・・・。
個別訪問云々という事情から、下車できないかもしれない。
しかし、この現場ではそんな事は通用しない事ぐらいわかりそうなもんだ。
あきれたというより、心から悲しくなったのは確かだ・・・だれに1票を投じればいいのだろう?
下の画像は国道17号線、小松橋通り沿いにある”潤和会記念病院”の一角に設けられた
”災害ボランティアセンター”である。仮設の本部の後ろに山積みされた、残骸が痛々しい・・・。
○災害ボランティア本部TEL0985(22)0261
○県ボランティア協会TEL0985(29)2949
夜になった・・・どうやら電気は来ているようだ。しかし、まだもう少しだけ日がある。
誰もが時間を惜しむように作業を続ける・・・。いや、作業を続けていないと精神的に
まいってしまうのではないか?とも思われる。自分なら、現実から逃れるために
懸命に体を動かすかもしれない・・・。唯一開店しているであろうラーメン屋に
子供達が集まっている・・・ふと、自分も空腹を感じたが、目の前にある
悲惨な状態のコンビニエンスストアをみて、その気がうせた・・・・・。
気がついたら足が泥でグチャグチャだ・・・口が裂けても
「足を洗いたいから水を分けてください」なんていえない。
しかし、この後、打ち合わせがあるこのまま行くわけにはいかない・・・・。
小松での取材を終えて、近隣のスーパーに行っては見るが水が売り切れてる・・・。
そういえば宮崎市は全体的断水している地域が多いのだ・・・・・・。
意識的に小松からかなり遠くに離れた、ある店舗のトイレで足を洗おうとした・・・。
しかし水道の蛇口をひねる勇気がなかった・・・先ほども、ラジオで
切実に節水を訴えている主婦がいた・・・子供のミルクは・・・自分にも子供がいる。
どう考えても出来ない・・・しかしこのまま行くわけにはいかない・・・。
考えた挙句、大きなお茶のペットボトルを買って、それで洗った・・・・・。
今まで、足を洗うことでこれほど悩んだことはなかっただろう。
なかなか落ちにくい、しつこい泥だった・・・。
これから何年もかけて、失ったものを取り戻していかなければならない
彼らに「ガンバレ」はあまりに無責任な言葉だが、他に適当な言葉が見当たらない。
あとは自分に出来る事を少しでもやるだけである。
今回の延岡の細見・小川地区、古川地区の取材と、この宮崎の小松地区の取材を通じて
情報に関しても、投げっぱなしの事が実に多いと感じた。
確かに通達をしたのかもしれにが、イベントP
