« 週間競馬予想 | メイン | アヤヤならぬオヤヤ? »
2005年05月02日
ラジオ&清原500号
☆パワナビ松田
先週はジャイアンツの清原が500号ホームランを放ち、
ゴジラ松井は絶不調・・・イチローは絶好調。
昨日の天皇賞も荒れに荒れ、北朝鮮のサッカーサポーター問題など等ありつつ
ゴールデン中盤の5月も2日を迎えた!
さて、今週パワナビは黄金週間ならぬラジオ週間である☆
明日はゴールデンウィーク特別番組JOYFM”Drive A Go! Go!”に午後2時頃より生出演(電話)!
ドライブにぴったりのゴールデンウィークに、
リスナーからのおすすめドライブスポットや、
SHIROのとっておきドライブコース、道の駅からの中継など、
どこか出掛けたくなるような情報と音楽を中心にお届け↓
http://www.joyfm.co.jp/aiwai/aiwai.htm
そして5日こどもの日の午後4時頃からはシティFM都城”ぴゅあアフタヌーン”に生出演(電話)。
さらに、同日の午後7時頃からは”レディオパラダイス耳が恋した”に生出演(スタジオ)。
ゴールデンウィークも大詰めの一番盛り上がるあたり・・・。
もし、時間のある人は聞いていただきたい。
★長〜いPS:清原500号ホームラン
私と一緒の昭和42年生まれの清原選手・・・。
高校時代、清原・桑田のPL学園、KKコンビと騒がれたころより、
なんとなく、同世代という事もあり、応援し続けた・・・。
西武球場にも何度も足を運んだし、東京ドームにもいった。
練習を見に行ったりもした。
川崎球場のロッテ・西武戦の時はバックネット裏で
ロッテスコアラーの真後ろの席で見たりと
熱の入れようは凄かった。
スコアラーの後ろは面白い
「今のはスライダー、今のはチェンジアップね、
あれ今日の潮崎はシンカーにキレがないな〜」
とか解説までしてくれる(実際は話声が聞こえてくる)。
川崎球場が一番選手と近くて楽しかった。
ブルペンで野茂のカーブとホークをま近で見た時はビックリした。
伊良部のストレートもかなりヤバイ。
近鉄のブライアントのライナーで電光掲示板に直撃する
ホームランも凄かったし。
古くは大洋ホエールズの松原、シピン、
ロッテのパリーグに変わってからは
張本や門田、落合、からレオン・レロンにマニエル!
ピッチャーでは村田、山田、鈴木とパ・リーグを背負って来た選手達を
本当に近くで見れたいい球場だった。
ロッテが千葉に移ってからはさびしくなったが・・・。
さて清原入団後、最も西武が強かった
森監督時代のお決まりラインナップはこうだ
1番:辻 (2B)
2番:平野(RF)
3番:秋山(SF)
4番:清原(1B)
5番:デストラーデ(DH)
6番:石毛(3B)
7番:投手により俊足選手を日替わり
8番:伊東(CH)
9番:田辺(SS)
石毛はコーチ兼任、田辺などは恐怖の9番バッターなどとも言われた。
恐怖ならなんでもっと前にしないんだろう?
などとも思ったが、それはさておき、
ピッチャーは工藤、角、潮崎、鹿取、渡辺x2、石井・・・。
これはかなり固定されていた。
まるで、ビートルズのメンバーの名前を挙げるように安易さだ。
中日には有名な歌がある。みなさんは知っているだろうか?
坂東英二が歌う”燃えよドラゴンズ”歌詞は
一番高木が 塁に出て
二番谷木が 送りバント
三番井上 タイムリー
四番マーチン ホームラン
こんな感じだ。
歌こそ無かったが西武もそんな歌を作れそうな勢いだった。
(松崎しげるの球団応援歌「地平を駆ける獅子を見た」はよくかかっていたが)
もちろんチームが弱い時は日替わりでいじくりまわすから
こんな事にはならない、これは強さの証でもある。
その西武黄金時代に4番を張っていた清原だ。
当時パ・リーグの看板打者としてだけでなく
パ・リーグの歴史のなかでも、張本、野村、落合に匹敵する打者に
なるだろうと期待していた。
そして只今地獄の中でお散歩中のジャイアンツもかつてはそうだった。
長島は引退・・・チームも少しづつ変化し、
原、中畑、篠塚、岡崎・・・などなど、長島監督が古い体制にカツを入れ
若手を育成、定番メニューは消え去った・・・。
清原が西武から移籍した頃は、”生え抜き選手”との摩擦などもあり、
あのパ・リーグの3冠王、落合もあれやコレやと巻き込まれた・・・。
昨年より絶好調の現中日落合監督だが当時は様々な言い分があったようで、
それは数字にも現れてしまう。そうした精神的なストレスを、乗り越え、
さらに今年最悪の状態のジャイアンツの中で生まれた清原500号だった。
500号の瞬間はTV中継で見ていたが、
前後の流れを見てなんとなく、うちのかみさんにこういった
「次の打席は絶対に500号出るから見といたほうがいいぞ!
後でニュース見てもしょうがないから・・・。」
「嘘!」とかみさんはいったが、
次の瞬間に500号がでた。
「なんでわかったの?」とかみさん。
いやいや、わかるはずはない・・・。
長年、清原を見続けているからこそ、期待を込めつつ言っただけだ!
驚いているのは、むしろこっちで
本当に打ったよ・・・。と心で叫んだ。
横浜から宮崎に来てから約5年・・・仕事もあり、また番組のスケジュールもあり
野球中継などほとんど見れなくなった・・・。
自分にとって今ここに座っている事が既に奇跡的なのだ。
もしかしたら、神様からのプレゼントかもしれない・・・。
多分ファンはみんなそう思っているはずだが、自分だけと思っておこう。
それはさておき、特に印象的だったのは500号よりもむしろ
清原の白髪・・・いや白髪まじりのヒゲだ。
頭は帽子&スキンヘッドなみの坊主狩りでよく分からないが
ヒゲには沢山混じっていた・・・。
そういえばチャンスに弱いだの、4番失格だの、と言われつづけ、
なんども怪我をし、球団、首脳陣、ファンの全てを敵に回したこともあった・・・。
ジャイアンツにこだわったばかりに、とんでもないことになった。
そりゃ白髪にもなるだろう・・・。
私が清原ファンとしっている者などから、私もずいぶんヤジられたこともある。
しかし、2000本安打を放ち、500号ホームランを放ち、
この日は、ジャイアンツファンだけでなく、広島のファンからも祝福されていた。
高校〜デビュー時はイチロー等とも比べられないほどの天才ぶりを発揮していた清原。
もしかしたら、そのまま西武にいれば、
もっとはやく、どちらの記録を達成できたかもしれないし、
いや、もっとはやくつぶされていたかもしれない、
ただ、どちらにせよ確実に白髪になる年齢は伸びていただろう・・・。
白髪になるほど戦いつづけ、戦場から逃げずに潔ぎわるく大好きなジャイアンツ居続けたた男に、
時間は白髪と引き換えに輝かしい栄光をあたえた。
華やかな西武時代。
苦悩のジャイアンツ時代。
同世代としては、今だに甲子園時代の天才バッター清原のイメージがある。
そのイメージがありすぎ、信じて裏切られたゲームも沢山あった。
けれど、そのイメージが一番忘れられなかったのは清原本人かもしれない。
人になにを言われようが自分と戦い続けた清原
500号越しに見た清原の笑顔と白髪に、
なにかこっちまで、こみ上げてくるものがあった。
ジャイアンツに移籍して数年
「たかが、ジャイアンツにそこまで、金だってあるだろ?
カッコよくやめるか、西武で巨人をやっつければいいんだ・・・。」
そんなふうに思った事もあったし、
ファンとしては、あまりのふがいなさに
「最近、清原に興味なくなったよ」
なんていったりしたこともあった・・・。
アンチ巨人には、いい口撃の的だったのも確かだったから、
清原本人よりこちらのほうが苦しくなった・・・。
同様に広沢ファン、江藤ファン、も苦しかったろう・・・。
ジャイアンツなんかに入ったばかりにと思っても仕方ない。
しかし彼には500号の瞬間が見えていたのだろうか?
憧れのジャイアンツのユニホームを着て、
プロ野球史上8人目という大快挙をなし遂げる瞬間が。
そして一時は自分に罵声をあびせ、笑ったファン達、
野球界までもが自分のために歓声を贈る瞬間が・・・。
今となっては清原の潔悪さ、執念深さこそが彼の魅力となった。
いつかは彼も引退するだろうが、
長島の引退中継をみながらアンチ巨人の親父が
「これで、一つの時代が終わったな・・・なんかさびしいな」
といったが、はっきり言って自分にはピンとこなかった。
いずれ、この親父の気持ちもわかる時が来るだろう。
オールスターなどではMVPを幾度となく受賞するも
日本プロ野球史上、8人目、世界で28人目という
500本超!コレだけの記録を残しながら、まだ
ノンタイトルというのが実に清原らしい。
番長などと呼ばれ、正に記録より記憶にのこるタイプだが
しっかり記録にものこっている・・・。
やはり白髪にもなるだろう・・・。
同世代ファンとして心からお疲れ様と言いたい。
投稿者 pawanavi : 2005年05月02日 17:22
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pawanavi.com/blog/info/mt-tb.cgi/122
コメント
本塁打打者の基本指標となる本塁打率の比較
(本塁打率とは、本塁打を1本打つのに必要する打数のこと)
清原の数値は14.71。これはメジャーで最後の4割打者と言われるテッド・ウィリアムズ(1941年に4割6厘でア・リーグ首位打者。521本塁打)の本塁打率14.79を上回り、堂々の世界7位にランクされる。(スポーツナビより抜粋)
らしいです。このまま行けば、2代目長嶋茂雄を襲名しそうですね。
個人的には、関西弁を使い出す前の完全に素を隠している感じの清原が好きです。そんなに我慢しなくてもよいのにってな感じで★
投稿者 K : 2005年05月02日 18:12
よくスポーツ新聞の記事なんかで
自分の事を「わて」とか「わい」とか使って
面白く書いていたけど、実際TVのインタビューとかでは
そういう言い方はしないよね!
そういえばサッカーの中山雅史(ゴン)も150得点を決めたね!
彼も清原と同じく1967年生まれ。
やっぱり、同世代として感じるものがあるね!
他に1967年生まれの熱い
いや暑苦しい奴はこいつらだ↓
ゴルゴ松本
ピエール瀧
マイケル・ジョンソン
松岡修造
織田裕二
江口洋介
三浦知良
デーブ大久保
大竹一樹
伊集院光
投稿者 ☆パワナビ松田 : 2005年05月02日 23:30
